鴛鴦呼蝉庵日乗

2001.8.22 日記的なものを記すに当たって
   かくかい のページでは、開発情報やプログラミング、本、かくかいNEWSなどいろいろ発信の場があるにもかかわらず、それぞれが中途半端で、なかなか継続できていません。つまり、テーマを持って書き続けることが私にとって難しいのかもしれません。
 最近は、ソフト開発の時間もとれず、他に請け負っているホームページも準備中のままで更新できていません。そんな中で締め切りに追われて、仕事もいろいろ大変なままで、そうなると、表現できないでいる自分に閉塞状況を感じています。それなら、どうしようかということになって、それなら、今まで書いたことがない日記めいたものを書いたらどうかということです。
 それで、次のように考えました。
  「かくかいNEWS」は「かく」ことについての主張を中心とする
  「」は本についての情報とする
  「開発情報」はソフト開発の内容とする
  「プログラミング」はプログラム上のメモとする
  「作者から」はソフトのヘルプに書いたことで、それは「かくかいNEWS」に転載することにする
しかし、このようにはうまくいかないのが人間で、それゆえ、自分の意見を載せること、そこに意味があるのではないかと思いました。「かくかいNEWS」までにはいかないエッセイを中心として、月に一度程度、表現しようかと思います。
 台風一過となりましたが、まだ東北地方では暴風雨となっています。雨で思い出したのが、昔作った川柳もどきです。
 神鳴の鳴るまで待てぬ梅雨のあけ
子どものころは、梅雨の終わりは夕立があった記憶があります。電線を見ていると、紫の光が走り、そんな時は雨になって、雷が鳴ります。そうすると、梅雨が終わるのです。それゆえ、雷が鳴ると梅雨が終わるという感覚がありました。いつの間にか雷も鳴るのが、遅くなり、時節はずれに鳴ったりします。
 夕立は、暑さの中に、涼をもたらしてくれます。そして、草や木には雨を、そして、ほこりもふせぎ、飲料水としても人々にうるおいを与えます。昨年だったか、7月にとてつもない夕立が来たことがありました。図書館に入る前に夕立が来て、本を探している間、車軸を流すような雨が降り注いだのです。窓から外を見ると、みごとなまでの稲光がして、それこそ、自然現象に感じたものでした。
 かなり前、富士山頂で雷雲に囲まれました。山小屋の主人が「入れっ」とどなったのです。どうしたのか尋ねますと、「雷が来る」とこと。どうしてそれがわかるのか聞いたら「雹が降ったら雷が来る」ということでした。それで、雷雲ということは、静電気に囲まれていることですから、いつか聞いていた実験ができるか聞いたら、やってもいいとのこと。
 さっそく、表に出て、人差し指を舐めて、頭の上で円を描きます。すると、「りーん、りーん」と音がして、指の先が「パチパチ」と放電するのです。すると、髪の毛が逆立っていきました。山小屋の主人は「バカヤロー、死ぬぞー」と叫んで呼び戻しました。あたり一面静電気の中では、いつ雷が落ちるか限りません。雷の巣にいるわけですから。山小屋では、電話機のコンセントを抜きほど、慎重になります。山頂の雷は激しい場合もあれば、ちょっとした放電もあるとのこと。もしかしたら、そのときに雷が落ちたら、命はかなったのかもしれません。
 富士山登山も今年で13回目、だんだん年には勝てず、いままでで2回目の高山病にかかりました。7合目で発病し、8合目の終わりで直りました。症状は動悸でしたが、なんとか、呼吸法によって抑えました。あと何回登れるかわかりませんが、毎年新しい発見があります。
 こんなたわいもないことを書き連ねていきます。いずれ、花火、朝顔、クレマチス、ホタルなど、言いたいことを書き連ねること、亡くなった駒田信二氏の「書き続けて死ねばいいんです」というセリフを思い出しました。

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