鴛鴦呼蝉庵日乗
  2001.10.4 花の盛り
 前回(10月2日)の金木犀があちこちで一斉に花を開きました。乾燥した天気では、薫りませんが、薄曇りの湿度のある日にはその香りがあたりに充満します。昨日は、晴れた中を金木犀の下でひなたぼっこをしばしして、その香りを楽しんでいました。金木犀の香りをかぐと落ち着きます。
 人は生まれた月には安心するといいます。また、別の人は生まれた月にはもの悲しくなるといいます。私の場合は、もの悲しいことが多く、秋はどうも苦手です。それでも、この金木犀の香りは安心を与えてくれます。
 ところが、金木犀の香りとは別に、今年は紫陽花も他の花もどうもうまく咲きません。紫陽花のよく咲いた年は金木犀は咲き誇ることはありません。梅の花も隔年現象だと思います。そうかんがえると、花というのはそれぞれの生き方、季節感、あるいは時節感というものがあるのではないでしょうか。
 人もおなじかもしれません。ある年は生き生きとしても、ある年は不調になるかもしれません。私の場合は今年の夏から体調とともに精神的に不調で、「鬱」傾向が続き、多分それは肝臓の機能がおかしいと気づいたのが最近で、あるいは厄年かもしません。その不調というもの、たとえば疲労というのは、肉体的ではなくて、精神的に疲労するから、ダメージがおおいのです。
 今年は、いろいろな場面でなるべく笑顔でいたのは、それは、自分への語りかけでだったかもしれません。
  ◇
 私自身は、いつも孤独でも大丈夫と考えていながら、以外と弱いことに気づきます。昨日のテレビ番組の「仕立屋工場」でもクライアントが服を選ぶ時、自分と向かい合うといいます。自分と向かい合うこと、それは自分が何であるかを知ることであって、そのことは、とても難しいことなのですが、それを乗り越えた時に、自分の方向性がかすかに見えるのではないかと思います。自分というのは、いつまでも見えない、だから探し続けていくものです。探して、探して、見つからず、振り返って、なんとなくわかるもの。でも、振り返っても先への方向性は見えない。そんな毎日だから、人は人と語り合うのです。
 語り合うことで、相手を信用しそして、信じたいという気持ちを持ちます。信じていくこと、難しいことですが、信じていたいから、理解してくれていると思うから、生きていけることもあります。
  ◇
 達成感が今、足りないので、何かしていこうと思っています。研究ももちろん、いろいろな趣味も。その時間を作ること、そのために何かしたらいいのか、もう少し自分と向き合う時間が必要かかもしれません。私にとって、金木犀とおなじく咲く時期はいつか、その日までにたどりつくまでに、なんとか自分を保ちたい、その思いがむしろ、私にとってのプレッシャーかもしれません。

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