2002.12.06 土地
 今日の帰宅は、日付が変わってまして、今はもう7日です。といっても、ほとんどの日乗が寝る前ですから、その日付とは異なっています。夜11時に校舎の間の銀杏並木で、ふりしきる落ち葉をくぐり抜けて、もう今年もあと少しだと思うと、焦ります。

 そば屋に行きました。家族でやっているのですが、手打ちにこだわり、一日の量はその日に一番いいものが作れる程度ですから、開店して3時間ほどで閉店してしまいます。ゆであげのそばを食べたのですが、店の人曰く、最初は薬味なしで、つゆを少しつけて食べて欲しいとのこと。新そばなので、風味を味わって欲しいとのこと。そこで話をきいたら、今は十割で出していますが、新そば以外の時は、1割小麦粉をまぜるそうです。というのも、その店の地域うどんが中心です。それで小麦粉を1割入れると地域の人が店に入ってくると地元の人のアドバイスで、小麦粉を混ぜることになったそうです。店の人は小麦粉を混ぜたくないとのことですが、地元の人を優先するので、仕方なく混ぜるそうです。店というのは遠来者のみ扱うと、地元から離れていきます。そして人気がなくなると、地元の人との関わりが大切になります。そうかんがえると、最初から地元の人々を大切にする姿勢はいいと思います。逆に言えば地元の意識に束縛される、文化に束縛されます。そのことは基本的に大切なことだと思います。

 公園でシジュウカラを見ました。買っておいた野鳥図鑑で確認すると、少し色が違います。実物は青と白が強く、尾も長く、印象はかなり違いましたが、確かにシジュウカラです。花は好きでも名前はわかりません。同じく野鳥も興味はありますが、名前をほとんど知らないのです。そのシジュウカラは、ハクセキレイに近く、もっともどっちかはよぼと鑑識眼がないと見分けられないかもしません。もちろん、素人の話です。日の光を浴びたシジュウカラは羽が美しく、飛び方もきれいでした。鳥を眺めることは少ないのですが、足を止めて見てしまいました。冬になると花も少なくなります。それで、鳥を見るというのもいいかもしれません。

 左足の親指が外反母趾のように内側に曲がってきたので、いよいよこれは歳に違いないと思ったら、どうも原因は骨の老朽化ではなかったようです。ふと普段使っているサンダルを見たら、ちょうど足の形に従って深くなっていて、縁が高くなっているのです。つまり足はそのサンダルの形に合わせて動くので、自由を奪われているのです。そのような状況では、足もまた縁にしたがって形を変えてしまいます。それで、左足の親指が内側に曲がったようです。家では20分ほど指を外にする練習をしているのですが、効果はありません。左足に力を入れて歩くので、どうしても重心がよってしまい、負担がかかります。それが原因で内側に曲がってしまったようです。マッケイ工法だと、縁が高くなりますが、比較的わずかです。そういう靴やサンダルの方がいいようです。枠に合せると楽ですが、しかし、伸びる方向が定まってしまう。それゆえ、自由が効かない。自由にすると合うものが少ない。そういう循環になってしまいます。なかなか難しいものです。

 いい論文とはどういうものでしょう。調査がしっかりしているもの、論点がしっかりしているもの。やはり論点だと思います。そのために資料があるわけですから。そんなこと今日は、他人の論文を見て感じました。 

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