鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.03.15 送別会

 職場の送別会。送別1名、しばらくお休み1名。場所がしゃれた店なのですが、あぐらは毎日しているのにもかかわらず、どうも苦手です。毎日しているのに。送別のことばは難しいですね。たいした事も言えないから。本当に送別するなら、順番のスピーチでなくて、個人的に一対一で言うので。だから、送別会でのスピーチはいつも軽々しさを感じてしまう。食事して送別するにも、形式的な儀式に感じてしまうのは、なぜか。私の場合は、ああいうのはつまらないなと思いながら。ただ、静かに時が過ぎゆくのを待つというのが、一番いいのかもしれません。いろいろ溜まった仕事があったので、一次会で遠慮しました。

 その会場の途中に古本屋がありました。ここのところ、忙しくて行けなかったのですが、行くと楽しいですね。いろいろな本がある。そう、こういう感触ですよ。文献から何か探す行為、それが好きだったのに、ここ数ヶ月、事務的な仕事ばかりでできなかった。それがストレスの原因だったようです。でも今回は専門の図書は買わずに、趣味、いや楽しみ、違いますね、鑑賞ですね。その本を購入。さっき見ました。美術の本ですが、ゾッキ本なので、500円。でも、日本の古美術はいいですね。見ていても飽きない。美術はやっぱりいいですね。

デスクトップは現在この画像です。なかなか気に入っています。何枚かいいのができましたので、時間があったら、ダウンロードできるようにしておきます。私が花を撮影するときは、全体でなくて、部分とボケを使うようです。全体でなく、部分から全体を想像する。そういう表現はいいですね。広重の「名所江戸百景」の影響もあるかもしれません。ああいう大胆な構図は学に値します。自分の意識を超えた、新しい美意識を発見できるからです。

 送別がもう一つ。八ヶ月ぶりに声を聞いた人から、違う学校に転入するとの報告がありました。電話の向こうは明るくて、元気そうでした。ついに自分で進路を決めて、新しい生活に向かうとのこと。安心しました。いろいろな人が心配していましたが、自分で切り開くこと、自分で決めること、それで自分で歩くこと、それらが大切です。

 待っていては何も起こらない。本当起こるけど、それは積極的ではない。こちから行かないと、つまり努力しないと何もなりません。欲しいのなら進むべきであって、そうでないと、手に入らない。だから、努力するのです。一つ一つの積み重ねが成果となる。テレビドラマの「やんパパ」はそれを示しているのではないでしょうか。前向きになることは、自分に優しくなることです。何もしないで、自分を伸ばさないことは、あまやかしていることなので、自分に優しくありません。表現がすきな人は自分が好きなのです。だから、自分を好きになって、そして、自分を伸ばす、前へ進むことをするといいのです。それがどのように道になろうとも、進むことがないと、何も進展しません。自分の殻をやぶって新しい価値観で、物事を見ることができたら、新しい世界が広がるかもしれません。そのために、明日、いや、きょうがあるのではないでしょうか。自分らしさとは、つまるところ、今の自分ではなくて、これからありたいと願う自分なのかもしれません。だからこそ、自分に優しくなることが大切なことではないでしょうか。

 昨日は書いたのですが、ftpのエラーでアップできませんでした。他のサイトは接続できるのに、自分のサイトだけ接続不能。こまったものです。途中のルーターエラーだと思うのですが、どう対処すべきか、困っています。ネット障害は以前からよくあるので、途中のサービスまでは気づきませんから、対応をうまくしないといけません。数日はアップが遅れるかもしれません。


Copyright 黒川孝広 © 2003,Kurokawa Takahiro All rights reserved.