鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.04.06 下足箱

 お気に入りの番号というのかあります。たぶん、いつもと同じ位置にあることを望むからで、変化について行けないからかもしれません。あるいは、亜鉛が不足して、記憶が薄くなったか。いつもの番号というのではなくても、その位置というのはあるでしょう。電車では、「モハ」には乗らないとか。電車では車両の中央の乗るとか。その理由はまたいつか。
 それで、たまにいく外食産業の店。チェーン店ですね。そこは下足を脱いで上がるのですが、その下駄箱は木の札になっていて、名前が「いろは」と「一二三」とひらがなと漢数字の組み合わせ。それで、私は語呂を考えました。しかし、なかなかいいのが浮かびません。「い三」「こ四」。どれもしっくりいきません。それで、二回目の時に考えたのが、「を三」。それ以来この「を三」を頻繁に使います。ほとんどの人は「いろは」の早いところを使います。「を」は入り口側なので、不便なのです。それもあるのですが、やっぱり、卑下しているのではないけど、ちょっとしたぼけでしょうか。気に入っています。
 靴下もそうです。私は穴が開くまで、いや穴が開いていても履いているのを見ているのでしょうね。それで靴下をいただくことがあります。実はそれはありがたいようで、困っていました。ここ数年は贈り物がなくなりましたので、ほっとしてました。いただくとお礼状を出すのが実は面倒だったのです。なぜかというと、そこまで戴くいわれながい、いや、感謝されることはないと思っていたから、頂くと、逆に自分に不備があって叱責されているような感覚にもなります。それゆえ、頂くときは、真意は何かと考えてしまいます。それゆえ、お礼状をどのような文面にするか、相手の気持ちを損なわないようにして送ります。それゆえ、相手が神経質だと、かえって饒舌になって、過剰な感謝の言葉を入れてしまうこともあります。その中でも一つは感謝の気持ちをこめた言葉を入れるのですが、相手が気づいたかどうかはわかりません。
 それで、靴下が増えると、いろいろになって、洗濯した後に組み合わせるのが面倒なのです。それゆえ、同じ靴下が何足かあって、どれを履いても同じなら、楽です。一つが穴が開いても、他の組み合わせで履けばいいので、楽なのです。経済的でもあります。靴下以外も同じものを複数用意していると楽です。ワイシャツもそうです。同じものだと、着ても感触が同じです。違うと、首から何から感触が違ってしまいます。それが実はいやなのです。あるいみではこれは保守的です。保守的であるから、革新になれない。それは自分の枠を超えられない。それゆえ、超えるためには日常の自分を超える必要がある。ということになります。
 下足箱にこだわるというのは、実は自分の枠組みの中にいることで、新しい自分を作ることではないので、前向きではないのです。気に入るということ自体、自分の枠の中にとどまることもあります。むしろ、それが楽だからでしょう。

 岩井俊二の「四月のピアノ」なかなかいいですね。曲作りもしているというので、このCDを買いました。スカパーで岩井俊二特集があるとか。入っていないので見られないのが残念。


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