やっと寝られました。と言ったのが昨日。で、今朝は寝たのが5時30分。起きるのはいつも7時なので、1時間30分。それでも眠くならないというのは、昨日十分に寝たせいかもしれません。睡眠時間は長さでなくて、深さという言葉を思い出しました。そういうものかは、わかりませんが、緊張していると保てるものかもしれません。体にはよくはないと思いますが。
一つの質問。四人展の作品はあいだみつをを意識しているか。
いや、そうではないのです。私があいだみつを知ったのはかなり後です。もちろんあいだみつをは最初の個展を1954年(昭29)に足利市で開いていますし、その後に毎日書道展に第6回1954年(昭和29)から第11回1959年(昭和34)まで入選しています。そして、
1984年(昭59)に
『にんげんだもの』(文化出版局)を出版したことで、世間に知られます。私が「自分のことばで書く」ということを提唱したのが1982年2月です。そのころは、まだあいだみつを知りませんでした。
あいだみつをと私の姿勢の違いは、いくつかあると思います。まず、思うのが、あいだみつおは自分の個展を発表後、毎日書道展に出品していることです。私は、1981年より書道団体に所属することをやめました。自分の作品を公募展などの審査員によって審査され、階級として位置づけられることに疑問を持ったからです。1959年以降のあいだみつをついては知りませんが、しかし、その所属している期間にあいだみつをは自分の書を提唱します。それは、それで尊重していますが、しかし、私との関係はありませんし、私は、書の独自性、所属性を断ち切るために、団体を離れました。その姿勢が一つ違います。
一番の違いが、人間の生を表現したところに、あいだみつをの特徴があります。そのに対して私の場合は、それまで深い思想を持つのではありません。
表現媒体としての違いは、あいだみつをは墨と筆で伝統的書道を継承しているのですが、私は、1981年段階で、コンピュータグラフィックを書に導入したのです。その後に、波板や、わかめなど、媒体は紙と墨に限らず、あらゆる表現媒体を考えています。クレヨンやポスターカラーを使うのも、その一環です。
あえて違いを述べる必要はありませんが、ただ、時代としての違いもあるでしょう。逆に共通点は、自分のことばで自分の字で書くということです。このこと自体は、あいだみつをのみならず、いろいろな人が当時、提唱しています。新潟の横山さん、前衛の大沢雅休、漢詩の金子清超などが自分のことばを大切にしていました。それらを考えていくときに、書という墨と筆、紙の世界を越えた「書」というものがあると考えています。それが、私の考える自分のことばで書くとういうことです。
もう一つの質問。寂しさをいやすことはできるのか。
結論から言えばできない。寂しさ自体は、生きていることに関わっているから。それに人寂しくなることは、だれにか期待しているから。期待通りにならないことが裏切りとして、あるいは、拒絶してあきらめにつながるのでしょう。存在価値をさぐるのはむりだから、ひたすら時間をかけて、気分が墜ちていくのを防ぐしかないと思います。いや、この問題は永遠に続きそうで難しいですね。人は関わるうちに他人と自分の違いを見つけてしまいますから、それによって、離れてしまうことを恐れるのかもしれません。そういう場合は、その通りでいいのですが、その次に自分はどう生きるか、それが見つけられればいいのです。自分の問題なのですから。アドバイスをしても、結局変えていくのは本人で他人ではありません。だから、道しるべとして、ちょっと視点を変えるきっかけとして、そして、そういう人もいるんだという意見として、存在するのでしょう。いや、深いです。かなり。
書くことは、自分の考えを確認することです。自分の存在意義が何であるかを確認することでもあります。書くこと自体がすでに自分の存在を認めていることになるからです。
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