2003.07.01 焦り | |
電車を乗り過ごすことはほとんどなく、経験からしても、直前で起きることがほとんどですね。 焦るということは、時間に間に合わせたいという意識があるからで、その意識は、時間という締め切りが存在するからです。もし、時間というもの、締め切りがないと焦りかなくなります。目標が遠く6ヶ月先でも、今の段階がうまくいかないと焦ります。焦りとは相対的で、遠い目標であっても今のように感じると焦ります。 自分の評価が帰ってくると、劣等感や脱力感に襲われます。それは期待があるから。期待通りにならないのが、いやなのです。努力しているのにむくわれない時こそ、脱力感に襲われます。しかし、努力は続けなればなりません。続けることで向上することは可能です。努力なしでは向上しません。その努力を常にしていくことが大変なことなのですが、その努力こそが自分を大きくするのです。失敗のトラウマから抜け出していくことには努力しかありません。そういうものです。努力に終わりはないからです。絶望というのも、期待はずれです。望みが絶えるのですから。しかし、絶望的であって、本来の絶望なのではないじょうね。絶望ということ自体、望みを持っていたことになりますから。 ワークグループの春期最後の話。今日は今後の予定を話して終わり。キャラ100選、アニソン100選、アニメ100選などの計画を出しました。秋からは形に残るような共同研究、調査をしてみたいと思います。できないかもしれませんが、それはそれでいいのかもしれません。決まった締め切りがあるわけではないので、その時の考えを延長していくことで、頭も活性化されると思います。計画通りよりも、その時のワークグループのメンバーが出すアイデアに任せていく方がうまくいくと思います。 SEEDのDVD、第一巻を見終わりました。動きや展開が激しく、またずっと緊張感があるので引き込まれますが、ふと見ている時に、やはり戦争の状況に子どもたちがかり出されるというストーリー展開だなぁと思いました。相反する、敵対する集団の争いなのです。二つの争いであって、複数ではない。いや、複数なのですが、場面は二つになる。そう、スポーツもそうでしょう。2チームの試合はあっても、3チーム同時となると、陸上のリレーしかありませんね。しかし、サッカーのグラウンドを正方形にして、それぞれの面にゴールがあり、4チームが闘い、自分のゴール以外に入れると点が入るとしたらどうでしょう。レフリーも困りますが、チームのメンバーもきっと、弱いチームを探して、そこを重点的に攻撃するでしょうね。きっと、2チームほど連合になるでしょう。そうなると、結局は、大きなグループとしての相反する状況となってしまいます。 5:00頃就寝、6:50起床、1:50睡眠。というのも、一行添削をしていたら、ついに居眠り。もっとも添削を始めたのが4:00ですから、無理もありません。座椅子で居眠りしていたので、首の血行もさまたげられてしびれたり、背中や腰も痛みがあって、いいことはありません。今日は布団で寝ると決意しています。 誰も知らない私の事実というテーマでスピーチをすると、ためらいますが、実は言いたいことが含まれているかもしれません。そういう自分を受け入れられるか実は不安なのです。しかし、受け入れられると安心します。誰もがそういう自分を認めてくることを願うからです。受け入れられなくていいのですが、言ったときに失敗することが実は怖いのです。だから、人は役割を演じていくことで、素の自分を出さないことができます。素であることは、すべてであり、人からの意見を受け容れるだけの怖さを知ることになります。演技することはショックをやわげます。そして、次への演技を生みます。 10年たったら自分は何をしているのか、そんなことはついぞ考えたことがありませんでした。しかし、10年前なら記憶をたどることができます。10年という年月、どうなることやら。すでに、仕事を始めて10年はとっくに過ぎています。 Painterの導入を考えることにしました。もちろん、しばらく後ですが。 明日は甲斐田さんのCDの発売日です。人気ありますね、このCD。 SEEDの話になりますが、OSを書き換える、というのがあります。本来は正しいのでしょう。Oparate System として考えれば。で、再起動なしに書き換えるというのが、不思議でした。本来なら、OS自体が起動している上でOSの変更はあり得ないからです。だから、操作する言語の修復は、ユニットの書き換えになるかもしれません。それなら考えられます。実際にはもっと複雑なのかもしれませんが。でもどのように展開するか、それはこれからですね。どうも、C++を意識ているようでしたが、個人的にはAIDAでコーディングしたらおもしろいと思ったのですが。 先ほど書いている途中で居眠りをしていました。ほんの15分ほどでしたが、実はそういう睡眠時間をしっかりとっているのかもしれませんね。 茶碗を洗っている時に、ふと、落として割った場合を考えました。それは集中力が欠けているからです。集中力の欠如で割るというのは、割ったことではなくて、割ってしまうことに至るまでの過程にあります。茶碗は両手で押さえていれば割ることはありません。片手やしっかり抱えていないと、落とします。片手でも、しっかり支えていればよいのですが、支えていないから、落とすことになるわけで、その行為自体が不注意なのです。落としてしまう行為ではなくて、落とすまでに至るしぐさなどが予測できたはずの行動を回避できないという不注意なのではないでしょうか。 眠い状況で、書き連ねると、とめどもなく長くなりますね。それは頭が働いているのですが、実は、あたまを働かせないでいる時の方が、いろいろ言葉がでていくようです。眠いときにつまらないことでも笑ってしまうのと同じでしょうね。感受性の入口が狭いと、どうでもいいことで楽しくなったりしますから。 本日購入の本。 本日購入のCD。 ROSEを買うかどうしようか迷い中。それと、マーディレイラも。 |
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