鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.10.20  臆病 
 

 切ない言葉の数々はどこにあるか。そんなこと考えました。「えっ」という感覚ですね。その感覚、たぶん意外という意識からくるのですから、期待に応えて、期待以上のことがあると考えていいでしょうね。つまり想像の域を超えてしまうということですね。感情は感情で言葉にすると陳腐になるから、言葉はいくら尽くしても伝えられない、だからこそ、多くの言葉や比喩などの言葉本来の伝達の作用をいくつも工夫するのでしょうね。

 昨日、台所の床にワックスを塗って、そうしたら手の爪にワックスがついてしまい、まるでマニキュア状態。必死にお湯で落としましたが、多少残っているようです。少々みっともないですね。

 やる気を作るには、待つか、それとも強制的にやらせて習慣化するか。いずれにせよ、古来からやる気喚起についは、重々議論されてきましたが、それでも決まった方法がないというのが事実。でもそれでいいのかもしれません。やる気のない人でも、突然として部屋の掃除を徹底的なしたりします。普段はまったくしなくても、そういう時には徹底する。これも本来ならやる気となるのですが、やる気というのが義務についていわれるとき、たとえば、勉強などはやりたくないけど、やらされる。そのための試験勉強などについてやる気がないとなると、それは問題といわれます。
 むしろ自分の趣味についてはやる気が十分にある場合、それは評価されにくいですね。それは、趣味は自分の範囲でのことですが、勉強は親の期待や学校の期待、社会の期待を背負っているからで、つまり他人の評価による期待なのです。それゆえ、勉強のやる気が求められたりします。実際には趣味に対するやる気というは、重要な要素ではないかと思いますが。

 「大好きだから臆病になる」と言うフレーズ。大好きだから臆病になるのは、
1.嫌われたりこれで関係が崩れることをおそれて、片思いのままでいた方がいいというバランス感覚。
2.突然に告白して相手がとまどうなど、相手が迷惑することを考えてできない。
3.緊張してできない。
  など、いくつかの要素があります。
 この臆病になるとは一般に弱い心として認定されますが、弱い心ではなくて、自分や相手への様々な重いがこのようにさせるわけですから、それだけ心はいろいろと葛藤しているのです。それゆえ、この臆病とは弱い心ではなくて、心を鍛えている状態ですから、比較的強いのではないか思いますね。
 つまり価値をどこに置くかによって評価が決まるのです。
 ただ、この臆病というのが定常化されていると考えると、人は、第一希望は達成できない問うことになりますから、必ずしもそうではなくて、それはタイミングとその臆病な状態になる場合はもしかしたら、第一希望でないということにもなりかねません。それは、そういう臆病になること自体が、実は、自分の中に遠慮と感覚になってなしえるものであからです。よって、本当に欲しいというよりも、相手は独立した存在であり、それは距離が離れていることにも成りかねません。
 もちろんそういう厳密な意味はないかもしれませんが、しかし、ある程度の距離感はそこにあると思います。その距離感とはよくないことでなくて、それはそれでいいものだということを認識し、肯定的に関係を関係としてとらえていくことに意味があると思います。

 恋愛内容に偏ってますが、自分の状況ではなくて、歌のフレーズが耳に残り、少し考えてみました。

3:00就寝、7:00起床、4:00睡眠。


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