2003 |
2003.10.22 音 | ||
ここのところ、パソコンに向かって寝てしまうことが多く、それも眠いという感覚がなく、突然寝てしまうので、はっとすると、15分ぐらいたってしまうことが多いですね。パソコンのファンなどの音がいつも耳障りなので、ヘッドホンをして、音を遮るのですが、今までノイズレスのを使用していていたのですが、パソコン本体が近くにあるので、あまり聞かなくなりました。それで、どうすればいいのかということを試して、密閉型、オープンエア、ノイズレス、イヤホンと試したところ、効き目があるのが、イヤホン、密閉型、ノイズレス、オープンエアという順番になりしまた。しかし、どれでも、ノイズは耳に達するので、パソコンの位置を変更することを検討中。 映像もそうで、DVDの画質は720ピクセルというのが、どうも不思議でなりません。パソコンがすでに1024以上の画質ですから、それに見合う画質でないとと思いますね。ハイビジョン用のDVDは魅力ですが、せめて、2048サイズでないと、パソコンでの再生が汚くなります。高画質、高音質を求めると、ライブが一番いいと考えられがちですが、ライブはかなりのノイズが入ります。再生の音質は、再生であるからこそ、高音質、高画質を求めていくのです。自分の部屋や移動先、そういう場所でこそ、いい音、いい映像を求めていくので、まずは技術的な機器の部分。そして、その後は、ソフトですね。いくら機器がよくても、それに見合う内容が、コンテンツがないと、意味がありません。いい映像、いい音質、それらを求めてやまないのは人間としての、表現者から理解者としての共存を求める意識ではないかと思います。 表現に終わりはありませんし、完成はないと思います。よい表現を求めても、満足は行かない、だから表現し続けていくのだと思いますね。サイトもいいデザインを求めたくなります。以前も書きましたが、「虎屋」のサイトは比較的きれいだと思います。きれいなサイトは、余白の使い方がいいですね。それと、色をあまり多く使わずそれぞれの色が引き立つように工夫されている。余白の美があります。あまりごちゃごちゃと情報を入れるよりも、余白を十分にして、引き立つようにする。文字や余白がお互いを引き立つような表現があればいいと思います。「字野」という表現があります。字とその周りとのバランスですね。書道で、点を打つときには、元の字からできるだけ離します。そして、それ以上離すと、アンバランスになるぐらいまでぎりぎり離すことで、緊張感が生まれ、それが美しさになとる思っています。 再現のない要求、それが表現のもつ本質です。表現していくことで、自分が何を求めているのかがわかるからです。表現とは自分を映す鏡であり、自分とは何か、そして自分の個性とは何かをつきつめていって、そしてなおかつ、終わりのない行為であるからこそ、楽しいのではないでしょうか。 本当に美しい表現、細かいことなら、映像、音楽、文章、そういうものを融合していくことに、サイトはいい媒体ですね。文字や静止画のみならず、動画や音楽もどんくどん表現していければと思います。 いつも同じことを書いてますが、人間の考えることを365日すべて変えるのは難しく、ほとんど同じことを考えているようです。毎日新しい発見なんてありませんし、新しい出会いもあれば、別れもありますが、それでも、自分は大きな変化はないようです。そんなものですね。 ここ数日、仕事のことなどで憤ることが多く、ストレスを感じてます。細かい管理的なことの中心は、人の心に触れることを真ちがえてしまうことなのですが、それを忘れて走ってしまう体制に対して、どうやって、くさびをうつか。しなければ、何もないのですが、しかし、自分の存在場所を残すためのスペース作りには必要なのです。 清水の舞台から飛び降りる気持ちでということですが、本当に清水の舞台から飛び降りたら死ぬかという問題。下は斜面ですから、けがで終わるか。去年行ったにもかかわらず、あまり検証してきませんでした。そんなこと検証しても対してことないのですけどね。 22:00就寝、0:00起床、5:00就寝、7:00起床、4:00睡眠。 |
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