日記についての続編です。
更級、紫式部、蜻蛉の各日記は、自己を確認するため、読んでもらいたいという意識で描かれています。自分の価値を認めて欲しいがゆえ、いや、自分の価値を認めたいがゆえに他人の評価によって存在価値を認めていこうとする行為であって、そこには純粋な文学的な活動があります。
日記というのものが、個によって形成されますから、集団から個への移行期には日記というのが役割を担うとされています。
教養主義でもそうです、日記を通して近代的な自我を読み進めていました。「三太郎の日記」その他の近代文学もそうですし、「断腸亭日乗」などは個人の秘めたものでありながら、読めば文学的な作品です。
ネットで日記を公開している人は、公開するという行為自体、すでに自分の存在価値を誰かが確認することで、自分の存在価値があると認識しますから、すでに読まれることを前提に考えることになります。読まれることを意識するから、文章にこだわりを持つわけですから、すでにその日記は文学としての価値を有することになります。
続けていくこと、それは大変ですが、続けることで個を表現する、他人ではない自分だけの行為を自分の視点で書き続けていくこと、それは個の営みそのものです。それが文学であり、そして生きていく価値であると思います。ネットで日記公開、あるいはサイト公開しているひとは訪問者が誰かわからない点、そして、反応が少ないということで、悩みがあると思いますが、それらは、価値判断して欲しいのではなく、他人が価値判断するのを見て、自分で価値を決めていく行為であるこということ、他人は見てくれて、その反応をすれば、すでに作り手の価値判断の材料になるわけですが、反応しても無反応でも価値判断の一つになります。
昨日の寝不足につづいて、今日も。かなり眠いです。
5:50就寝、7:10起床、1:20睡眠。
朝食、ごはん、納豆。昼食、おにぎり1個、いよかん。夕食、パン1枚。夜食、なし。 |