日中の日差しは暑いくらいでした。春の日差しは昼夜の温度の差でもあります。そして、帰りには、満月とおぼしき月、一つ、空の中程を黄色く、かしまこっていました。
帰宅途中、古い方の携帯を解約。これでようやく携帯は一つに。あとは固定電話をどうにかしようかと。あるものをなくすのはよくないので、いや、固定でなければ申し込めないものもありますから、そのまま活かしておきます。
その途中、ふと、いつもなら入らないデパートに。出ようとして、お手洗いを探したら、1階にはなく、階上まで。女性服売り場を通って行きましたが、その道すがら、女性の服、あれは若い人むけなんでしょうね。以前には感じられないちょっといいセンスのものがありました。デパートの服というと、どうも適当に作られたイメージかありますね。着る人のイメージが反映されていないような。そういうものは今でも多く、そんな服着て、会社にはいけないでしょう、というのもばかりですが、たまには着飾るというには、いいのかもしれません。見渡したところ、黒が多かったですね、今年の春もの。黒は着るには難しくし、シルエットになりやすいですし、黒の服に身につけるアクセサリーは、品が良くないと浮いてしまいます。それゆえ、難しいですね。
で、その店で見た黒の服、シルエットは奇麗にでるように工夫されていました。そういうよさがあれば、大体の人は似合うかも知れませんね。フォーマルをカジュアルに、そしてそれが明るく表現できるか、黒の服はいわば、着る人のセンスへの挑戦になりますから、勇猛果敢に取り組む方がいいですね。着こなしてこそ、自分とは何かが見えてくるでしょうから。
それにしても、古本屋というのか、新古本屋が増えてました。新古本の価値は、時間ですから、内容ではないというのがすごいですね。新刊なら高くて、一年過ぎるとどんどん安くなっていく。極めて分かりやすい鑑定です。
新聞記事で、テレビドラマ脚本家に贈られる「第22回向田邦子賞」に木皿(きざら)泉さんに決まったと。今までどういう人かはわかりませんでしたが、「やっぱり猫が好き」の脚本をいくつか書いていますし、スカパーでイッセイ尾形主演のドラマも書いています。それに、FM東京のラジオドラマの脚本、古くは、やすきよの漫才の本も書いたというのですが、どうもわかりませんでした。いままでその存在はほとんど知らされていなかったので、今回の授賞式に出るのか、楽しみでもあります。。神戸市在住の男女二人組って、ことは夫婦でしょうか。やはり「すいか」の内容、台詞ですね、あれは本当によかった。ああいう番組を今後も期待しています。
そしてもう一つ期待したいのが、「時間ですよ」とか「寺内貫太郎一家」などのようなばかげた、ちょっと家庭的なドラマですね。あんなドラマ、もうできないと思いますが。「池中」もたしか、いいドラマだったかと。その後だと、「アンティーク」がよかったと思います。どうしてかというところも書きたいのですが、後日に。
今日、人と話していて、困ったと思いました。というのも、人の話を聞かないでどんどん勝手に解釈してしまうのですが、それは、分類基準と包摂関係がよくわかっていないことに起因しまする。「日本人だから日本語を話す」だから「日本語を話すのは日本人」というのは、包含関係から見ても、おかしいわけで、実際にもありえないのですが、そういう論法でくる、いわば、自分の価値で話を進めていくというタイプですね。で、そういう人はの場合は、「はいはい」などとお追従をならべて、さっさと引き上げるが一番です。話が合う、というのは難しいですね。ふと、話していて、それが自然につながれば、それは会話として成立しているのですから。
Dir en grey が解散するということを耳にしたのですが、昨日のテレビでビデオクリップか紹介されていました。栄枯盛衰です。永遠という時間はないから、この刹那を大切にしておきたいと、そう思います。
人に伝わる言葉は、どんどん返られて、そして、広まります。ずいぶん前に、噂はどこまで広がるかという実験をしたとき、1ヶ月ほどで、大体が見えてきたのですが、それはかえって職場の誰が口が軽くて、だれとつながっているのかがわかってしまったという残念な結果も生みました。それ以来、当該の人には、重要な話をしないようにしています。予防するための実験でもあったわけですね。
秘密というのは、存在しないというのは持論です。秘密とは口外秘ではなくて、お互いの場においての関係ですから、AさんとBさんの間の秘密は、いつでも秘密として存在しても、BさんはCさんに言ったら、それはBさんとCさんの秘密で、AさんをBさんは裏切っても、それは裏切りになっていないのです。なぜなら、BさんはCさんに秘密として言いますから、その結果、秘密は秘密としての連関を保っていきます。
ある意味では、内緒や秘密を言うときは、相手がいかに自分との関係を大切にするか、ばれてしまいますね。それは試験にもなってしまいます。それゆえ、なるべく秘密、つまり共有する空間は持たない方がいいわけです。
でも、だれいも言わないということをそのまま誰にも言わずにいることもありますね。それは忘れてしまったのか、それともそれほど大切なのか、あるいは、その関係性、その場面での関係性について印象に残ったからでしょうね。
もっとも大したことのない情報なんて、秘密にすること自体が、おかしいので、そういうのは公開したところで、遅かれ早かれかわることです。そういうことを隠すことで影響の広がりを懸念するのは、間違いで、むしろ、どんどん息抜きをしていくことで、問題は別の点にあることに気付くかですね。相対的なものですから、人は。懸念することは、むしろ、対象に問題があるのではなくて、その対象に依存している自分の情けなさが露見することの怖さです。対象は何でもいいのです。なぜなら自分の信念を貫いて努力できるかが勝負ですから。その相対的な関係のみにかかづらうことは、自分をどんどん追い込んでしまうことになります。だからこそ、息抜きのような、自己改革が必要なのですね。価値の変換ですね。どうでもいいこと、大切なことは何かということです。
それゆえ、秘密も娯楽性を伴う相対的なものであることに気付くと、実は、それほど大したことのない世界であることを知ります。そうなると、秘密とは、秘密を保持することが大切なのではなくて、相手との関係で秘密にすることが大切であることに気付くかですね。
今日、少し前に流した情報が流れ流れて帰ってきました。今回は、情報の流れが最初から見えていたので、別段、不信感もなかったのですが、ようやく情報の伝わり方がわかりました。面白いことです。いろいろ、伝わる過程はあるのですが、その波に自分がいることを知るかどうかですね。
もう一つの観点として、その情報が正しいか、その情報が自分にどういう価値を生むかということを考えられるかですね。たとえば、今回の皇太子妃の異例の措置について。推測は限りなくありますね。ただ、その報道の仕方が新聞によって異なります。そこに新聞社の意識、取材目的があります。それを見抜けるかどうかですね。テロ情報もです。新聞に出るよりも、繁華街に出れば、すぐかわりますね。銀座の機動隊の警備など見れば、どれほど、予告があるか分かってしまいます。それに対して、そういう情報が正しいか、あるいは自分にどう影響するか、それを考えるのが、いわばメディアリテラシーです。
秘密をお互いためのいい関係にするには、その秘密にどう取り組むかですね。その秘密を共有してもいいと思う人との関係において。
ちくま学芸文庫から『言海』が出ます。すごいですね。これを発刊してしまうのは。講談社が以前、『日本類語大辞典』を刊行しましたが、あれは快挙でした。今回もよく刊行したと思います。
あと、できれば、時枝誠記関係の本を岩波文庫にすべきだと思います。
また威圧をすることに。面倒ですが、まあ、そういうものだということは、果たしてわかるかどうかですね。ポストモダンは生まれるか。
7:00就寝、9:00起床、2:00睡眠。
朝食、パン2枚。昼食、なし。夕食、ごはん、みそ汁、さばの煮付け。サラダ。夜食、なし。 |