野菜スープの味は、いつも同じように作っているようで、かなり味が変わります。それは、出汁や日本酒などの量をきめてなく、目分量、あるいは手分量で作るからで、酒などは、ビンからどぼ、どぼ、ど、ぐらい入れるのですが、その日の調子で、そのどぼの時間的な感覚が違います。
でも、それらの量の問題だけでもなさそうです。湿度や気温によっては、味のしみこみ具合は大きくかわります。量と気候ですね。
でも、それだけでもなさそうです。それは、野菜そのものが同じではないからでしょう。同じような大きさですが、収穫は毎年異なりますし、味も、気候や天候や作る人の意識に左右しますから、変化します。また、売られている場所や流通リートによっては、味も微妙に変化しますね。ですから、素材そのものの個性が影響しています。
これらを考えると、まったく同じ料理を作ることは絶対にあり得ないのであって、それは、実は同じように思っているに違いないのです。
それは、定規がまっすぐであるのは、実は錯覚であって、そう思いたいからであって、思いこみそのものなのです。
もっとも認識はすべて思いこみです。
ただ、思いこみが勝手な思いこみ、科学的な冷静さを失ったものや、相手の気持ちを失った思いこみは、ただ混乱と迷惑になってしまい、価値はなくなります。
存在ということは、存在する他と自分との関係、一を明らかにすることですので、明らかにしないで存在することは、それは自分中心になってしまい、けっかして理解されず、理解もせず、何の価値も生まなくなります。
料理を作るとき、その素材にあった作り方というのを考え始めてから、味は一つではなくて、時と共に変わる、それぞれの要素によって変わるのであるから、アナログとしての発想が大切なのです。
7:30就寝、11:30起床、4:00睡眠。
朝食、なし。昼食、そうめん。夕食、ごはん、みそ汁、肉団子、サラダ。夜食、なし。 |