リチャード・アベドン
写真家、リチャード・アベドンが逝去。81歳だそうで、私が会ったのは、多分26年前だと思いますから、55歳だったのでしょうね。まだ若かったと思います。ちょうど日本でも有名になって写真展で来日したときにサインを求めました。その時は写真集を買うだけの余裕がなくて、カタログにサインしてもらい、
May I take you picture?
Yes,sure.
との会話だけでした。あの年、多くの写真展があって、ブレッソン、アッジェ、AA、ブレットウェストン、その他にもありましたね。写真ブームだったのでしょうか。
アベドンが宇多田ヒカルのCDジャケットを撮影していたとは知りませんでした。アベドンの特徴は、人物の細かな表情をあえて表現しないで、全体の雰囲気から表している技巧です。それを理解するかどうかは、写真の細部を見れば分かります。シルエットというかフォルムというか、その感覚的な美をその人の中から見いだす力がありましたね。そのような評価はあまりされていないかもしれませんが、私は、アベドンに日本的な能の美を見いだしました。アベドンに会ったあとでしょうか、リードの「芸術の意味」を読んだのは。何か自分でも見えてきたような気がしたのは、しばらくしてからのことだと思います。三木淳と東松照明、それに奈良原一高のワークショップに参加してからですね。
アベドンといえば、佐藤明、沢渡朔と連想します。人物写真ならこの3人でよろしいのではないかと思いますね。典明がまだ駆け出しだったころでしょうか。コンタックの写真展を最初に開いたのは、アベドンの来日の数年後だったと思います。そう、平地勲の写真集が出る数年前ですね。ツァイトがオープンしたのは、アベドンの来日前です。PGIもそうですね。移転する前のPGIです。虎ノ門にありました。写大ギャラリーもできたばかりのころです。
銀座のニコンサロンとキャノンはよく行きましたね。新宿のミノルタは行きませんでしたね。あの雰囲気はあまり好きではありませんでしたから。むしろ、ツァイトやPGIによく行きました。
もう少し早く写真に触れていたら、銀座のキッチンラーメンも行けたのと、惜しくも感じましたが、それはそれで時代の流れです。
あの時、読売新聞の福島さんは参与だったのでしょうか。写真に造詣が深く、いろいろ教わりました。新潟の小出太郎さんはどうしているのでしょうか。彼の写真には元気がありましたね。私のにはなかったですが。あの時、もっと各地の人と交流していればよかったかなと思います。今となっては昔の話です。
そういえば塩沢秀樹君の本が出ていました。塩田直孝さんはどうしているのでしょうか。
2:00就寝、9:00起床、7:00睡眠。
朝食、なし。昼食、ごはん、みそ汁、サラダ。夕食、ごはん、みそ汁、冷や奴、サラダ。夜食、カスピ海ヨーグルト。 |