2005.04.12 主体性 | |||
同じ事の繰り返しですが、相対的な美についてです。 本や漫画やイラストやアニメを見て楽しむのは、自分の範囲で見ることで、価値観を変える必要はなく、鑑賞した後で価値観が変わることはあっても、変えて読むことはありません。価値観を変えて読まねばならぬのは勉強の姿勢であって、それだからこそ、読み手は価値観を広げていく姿勢をとらねばならぬのです。他人とのせめぎあいの中で、自分の価値観を広げられるかが鍵です。 すでに私たちは虚構を虚構として認識できるスイッチを持っています。だからこそ、映画で殺人のシーンがあってもそれを日常に取り入れることはありません。ダンボがことばをしゃべっても、アメリカの映画俳優がテレビで日本語をしゃべっても、それは吹き替えなのにその人が話したように感じます。それは既に虚構のスイッチが身にあるからです。そのスイッチをもう一度再構築する必要があると思います。再構築することは、価値観を広げることで、それは理解だけではないのです。 正確な読み取りは必要です。正しく読むことはいつでも期待されていました。しかし、正しく読むことは洗脳にも似ています。だから、正しく読むことは、正しく読むという形式の向こうにある、自分で意見を考えるという世界に行き着くことが必定です。それができないと、読み取り、思考、表現という過程を経ることが出来ません。それが問題です。 この考え方は、閾値、表現発表、へと続きます。これらについては、またいずれ。 [今日の記録] |
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