鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.12.04  防寒

 寒さで目が覚めることはよくあるのですが、さすがに風呂上がりから寒くて、朝も寒さで起きると、対策を考えねば。食事中も膝が寒く、ついに膝用のバスタオルを用意することに。パソコンに向かっているときは、膝掛けなのですが、バスタオルとなると貧弱です。特に、安価なので洗えば当然、色落ちやパイル落ちということで、何回使えるかはわかりませんが、表に出るべきものではないので、使い切ることになるでしょう。タオルがそうですから。だいたい10年は使い切ります。本、パソコン関係、食材、茶葉、以外に買うものが少ないので。
  その昔は、スーパーに行っても、いろいろな商品を見ているだけで楽しかったのですが、今はそんなことが楽しいとも思えませんし、テレビを見ても面白いと思う番組は週に3つぐらい。本も読み応えのあるのは少なく、となると、何が面白いかとなりますが、それはそれで、いいのかもしれません。

 地方史を見ているのですが、なかなか先が長いことが判明。半分終わったと思ったら、まだまだ先がありました。なんとか今月中には終えないと、先がないので。スケジュールの見直しも必要です。

 河路先生の本を注文。どのような展開なのか期待。

 ここでこのように毎日のように書いているのですが、毎日書くという目的はなくて、ただ書いているのが毎日なったということなのに、ただ書いていたら毎日というのもどうかと思いつつ、書きたいことがあるのならそれはいいとしても、それを書き続けていくかそれとも忘れるかということは、別問題として扱っていました。ただ、それだと、書いていく行為が、その行為の簡潔性として消え去る目的がなくなるのであって、ならば、書くという行為自体をそのまま継続すればいいわけで、別にここに書くことがいいかというとそうでもないかもしれません。
  ふと思ったのが、来年はここを書かないでいるとどうなるかというこです。書いてる継続が力ですが、書かないことはどのような展開になるか。それも楽しみかも知れません。ふと、書かない時間が数ヶ月というもあっていいわけですから。というのも、ここは書いてももう一度読むことはないので、いわゆる「書き捨て」ですから、もちろん旅とは別次元ですけど、ならば、ゴミ箱と同じ意味合いになっているかもしれません。
  まあ、どちらにしろネットで公開するということは、フィクションですから、ノンフィクションになりませんので、その当たり、話をするということ、存在ということの演技性について、フィクションとしての存在が、どこまで自分の書く行為とシンクロするか、それは楽しみでもあり、そしてその場がない事への問題提起もこれからはあってもいいかということです。
  来年も書くか、書かないかということではなくて、来年もここに継続してアップするか、それともアップしないか、エディタで書いて、DWで整形して、ftpでアップするかどうかという問題です。
  とはいっても、別の場所にアップすると言う考えもないので、それは、ここであることには違い有りませんし、ここのレンタルも継続するわけですから、ここが消えると言うよりも、書く行為の意味が変わりつつある、というのが正解なのでしょう。
  書き手としての自分とアップするという意識をもった自分との関係性です。

[今日の記録]
睡眠時間:3:30就寝、10:30起床、7:00時間。
最高気温:13度

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