鴛鴦呼蝉庵日乗

2007.01.22  情報の偏り

 センターが終了して、いよいよ受験生は本格的な入試シーズンに入りました。いろいろと相談を受けたことの中で、点数が伸びないというのがありますが、その場合、解答を見てみると、内容というよりも、答えるスタイルが理解できていないというのがありました。答えるスタイルというのは、「○○を説明しなさい」というときに、説明になっているかという点です。「○○の思想」というときに、○○を説明して思想を説明しないと答には該当しません。「Aは○○であるが、Bは××である。」というような構文です。質問の意図するところを理解できるかどうかが、鍵です。その質問に対する答え方はどうであるか、その練習が必要のようでした。
  まだまだ時間はあります。

 「鼓くらべ」の構造がようやく判明しつつあります。権威主義の構造をどのようにして打ち破るかです。
  食事時にニュースを見ていて、カラオケの火災事件で、消防の責任を追及する内容でした。出火させた当事者の責任があるのに、そちらよりも、消防の体制に批判が出てました。それは消防に以前から怠惰な状態があったからなのでしょうか。
  本来は出火させた人、および持ち主がいいかげんな対応であるかではないかと思います。そしてそれを見ていた周りの人達も当然、その状況を理解しているにもかかわらず、そのままであることも。協力すれば対応できたかもしれません。それなのに、消防の責任のみを特集するのは偏りがあります。
  最近のマスコミは履修問題といいつつ、偏りが激しいのではないかと思います。そういうマスコミを使った情報教育ということは、まず無理でしょう。NIEについても、新聞が客観報道をしているから使えるのであって、今のように偏向が多く見られる時に、素材を新聞やテレビニュースを使うことはむしろ危険にさえ感じます。ネットの情報も不確かですが、しかし、ネットの情報を集めた方が、いろいろと批判的に考察できるようになりつつあります。それは、不確かな情報と確かな情報の交錯があればあるほど、見抜く力が必要となるからです。
  ここのところ、いろいろな情報に対して批判的になりつつありますが、それは、現在の情報操作が、戦前の時に似ているからです。この情報というものの脆弱性に気付くと、危惧ばかりが先走ります。

 月曜日は詰まった時程なのですが、そういう時にこそ、いろいろな仕事が舞い込んできます。ほとんどの場合は、私が出なくても処理できる内容なのですが、そのあたりは、サービスと割り切って引き受けるものの、その仕事をしたところで、業務に格段の向上がない、いわば生産性のないものだったりするので、そういうことの積み重ねが大切であるというのが事実なのですが、よく見ないと、何をしているのかわからない状態になります。先を見ること、流行に流されないこと。岩淵先生の教えは、実は現在の日本への警鐘そのものです。

 最近は、利尻昆布を使うのですが、なかなか美味です。真昆布の方が上品なのですが、鍋物には利尻昆布の濃厚な味が合います。

[今日の記録]
睡眠時間:3:00就寝、6:50起床、3:50時間。
天気:曇
最高気温:10度

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