NEWS 2000.01.18
復刊の辞
かくかいでは、以前「kakukai NEWS」を発刊していました。その歴史もいずれ、紹介する必要がありますが、年間20号程度で、毎回150部発行していました。初期のころは、B4版の1枚のレター形式であり、そのうちに、8ページほどのリーフレット形式にまでなりました。そのころのロゴは自分で作成したもので、かなり気にいったものです。
当時は、展覧会案内が中心であり、多少は主宰の意見も出しましたが、まだまだ内容てきには、初歩的でした。中には、新資料の発見などもありました。その発見した翌年に有名な学者が同じ指摘をして、新聞にも載ったほどです。私としては、名を残すために発行したわけでなく、情報提供誌としての機能を持たせようとしていました。
また、当時としては(1980年)ワープロで作成したものとして進歩的だったと思います。まだ、ワープロ専用機が高額(150万円ぐらい)の時でしたので、当時発売されたパソコンで作成しました。富士通のFM−8で、ドットプリンタで印刷したものです。まだ、漢字を印刷できるプリンタではなかったので、プリンタの行送りを1/2にして、当時は長体であった漢字を印刷し、なんとか読めるものにしたのです。最初は、ワープロソフトも出てなかったので、漢字コードを手入力し、それをもとにグラフィックで印刷しました。実際にはBASICで、put で漢字を表示し、それをハードコピーしたのです。それから、パソコン雑誌に出ていたワープロソフトをマシン語で入力し、それを使用していました。これは、扱える文字数が640字で、単漢字変換ですが、かなり効率よかったものです。それから4年後にはNECのPC-9801で「一太郎」(バージョン1)を使っていましたが、その時の効率のよさは、比べようもないぐらいでした。
さて、今回復刊したのは、かくかいの活動が休止して十数年たち、今まではとは違った方法で情報伝達できるようなったからです。それと、今までの「書」作品中心だったものを本来の目的である、「かく」という行為全般に渡る情報提供の基盤が確立できた点です。「かく」という行為は自己の考えを表出し、それを自分で確認することで、自己確認の場でになります。本来、言いたいことが多い私としては、これらのメディアを使わない手はありません。そこで、不定期ながら、思いついたことをこのNEWSとして発表することにしました。考えや論文、エッセイ、思いつき、かくかいホームページでの更新状況など、総合情報案内として機能していきます。
また、単に紙媒体の電子版ではありません。内容によってはリンクすることにより有機的に表現できるようになります。リンクをも有効利用し、表現媒体として、ソフトの開発やら、教育論文の発表やらも紹介する、総合的な活動情報提供媒体として機能していきます。最初はWebでの公開ですが、数年したら、mailにて配信することも考えています。また、将来は、英語版での公開も計画中です。
かくかいの基本的考えについては変わりはありません。その表現媒体や方法をより広く捉えるようになったのです。いずれそのことについてはまとめる必要があります。
まずは、再刊の辞として、出発の宣言です。
表現しつづけていることは、大切なことです。表現することにより、自分がどのような考えをしていたのかを確認することになります。つまり、自分が何を考えていた、どのような思考や表現をしていたかを把握することになります。また、表現したことについて他者からの感想や意見が寄せられることにより、自分の表現が他者にどのように理解されたかがわかります。つまり、相手にとって自分の表現がどうであったかの相対的な関係を理解することになり、それは、自分の表現がどうであったのかを探ることにもなります。
つまり、表現とは自己を知ることにほかなりません。それは、生きることと同じです。そうなると、表現は一回性でありながら、生きている限り、表現をしつづけることになります。かけがえのない今の自分を、今の自分の考えを、今の自分のことばで表現すること。これが生きることになります。
理解と表現ということの総合が言語活動の基本です。その基本のうち、理解と同等に表現が大切です。それは、表現が理解の上に成立しているもので、理解とは別の行為ではないからです。この表現するということ、表現し続けるということを今後も考えていきたいと思います。
国立劇場が、以前木戸氏を中心として日本の古い楽器を復元する試みがあったことは、知っていました。そのうちいくつかは、「日本の夏」でも何度か紹介され、私も聴きに行きました。たしか、一柳慧氏の「時の佇まい」だったと思います。日本の古楽器の演奏は、国文学や日本語文化を理解するには大切です。そのうちに入手しようと思いますが、他の古楽器の演奏CDも探してみます。そういえば、国立音楽大学が古いピアノを修理したものの演奏CDを出したことかあったと記憶しています。どのようなものだったか、聴いてないのですが、いずれ入手したいと思います。
(「朝日新聞」2000.1.16朝刊 家庭面に紹介記事あり)
読書という行為がどのように変遷しているかを調べるには好資料だと思います。実際に内容を見ていないですがの、この手の資料は定点観測の視点から必要なものであり、やはり、揃えておきたいものですが、使用頻度を考えると図書館利用になりますね。読書ということは、私たちの言語行動であり、それは、言語生活の一部でもあります。言語生活研究の視点からも必要な資料ではないでしょうか。
(「毎日新聞」2000.1.17朝刊 に広告あり)
このTVCFは、女子高生らしき二人組が帰宅途中話をしているところから始まります。家庭教師について「だるくない?」「だるいっしょ」といって、話がわかるということを言います。つまり、家庭教師の指導内容というよりも、話し合い手としての機能について評価していることになります。そして、一人が帰宅すると、「いらしていたんですか」とすでに来ている家庭教師の学生について驚きとうれしそうに言います。つまり、家庭教師について好意的であり、待ち望んでいたことになります。すると、先ほどの「だるいっしょ」といったセリフは、相手に同意するためのものであり、本心とは違うことになります。友達といえども本心を言わないという状況、これがこのCMから見られます。
この現象は、現在のコミュニケーションの問題でもあります。もともと本音は他者に伝えにくいものですが、他者との会話の同調性のために、他者には自分の本心を抑えて表現するという行為です。このCMが悪いということではなく、このCMは日常の会話について描かれているとしたら、CMに現状が反映されていることになります。
以前マクドナルドのCMに家族の問題を発見したことがあります。これについは、いずれ説明しましょう。