かくかいかくかいNEWS 2000.01.24 部分否定と全否定

かくかい

NEWS 2000.01.24
[特集]部分否定と全否定


INDEX

 部分否定と全否定 

 最近、否定するがための否定というのを感じることがあります。既に出されたものは批評の対象になり、否定されやすいものです。しかし、その対象をよく吟味せず、発信者に対する感情で否定することがあります。もちろん、人間であれば、そんなこともあるでしょう。発信者自体が信じられないこともあります。
 ただ、発信者は一応信用はできる人でありながらもその説に対して否定することがあります。ところが、その否定が全否定になっている場合が多いのです。よく批評を読むと、部分否定なのに、その他の賛同する所をきちんとふまえず、賛同しない所を丁寧に述べているのです。その丁寧というのは、論拠があるというのではなく、否定するこということを述べているのです。これでは、批評ということになりません。
 読み、そして自分との差を見出し、そこに新しい考えを持ち、そして批評する。批評とは、自分の価値観をそのままあてはめる演繹的な行為ではありません。尺度や視点をかえずに批評するのは、いつも同じ定規を当てるものです。今までの自分の考えと照らし合わせて、新しい考えから、批評していくことになる、いわば、相手の理論から学びそして、そこにある論理的な欠陥や、危険性、そして、根底のおかしさなどを指摘します。
 部分否定になるのなら、そのことを説明するべきです。もし、実践家や理論家なら、その意見に代替する新しい実践や理論を展開すべきです。しかし、それをしない。それでは、いつまでも待っていることになります。前提があってから述べるというのは、議論では、簡単なことです。新しい提案を出すことは難しいことです。その提案の優劣が判定しにくいからです。その意味でも、批評は適切である必要もありますし、また、その代替案を出す必要もあります。
 感想のレベルは自由に言うことができます。しかし、論評や批評はチェックのみをする場合以外では、いつもその代替案を提出する必要があるでしょう。それが、現状維持の案であろうとも。これらによって、否定の意味を明確にしていく必要もあると思います。

 気になる表現 

[CM]「家庭教師のトライ」女子高生2人組編 の続き

 前回のTVCFですが、もし、相手に本音を言わず、相手の状況にあわせて「だるいっしょ」と言ったのであれば、そのあとの「もう、いらしてたんですか」というセリフも、相手の状況に合わせた、その場のセリフということになるかもしれません。すると、あの女子高生は、自分の本音を言わないままになっていることになります。
 ここで、一つ怖いことは、彼女が、自分が本音を言わずに、相手に合わせていることを知らないでいることです。自分が本音を言わずに、いつも演技している自分に気が付かないでそのままでいる状況こそが、怖いものです。

 かくかい発信一覧 


このページの先頭 / かくかいページ /メインページ
CopyRight ©黒川 孝広,2000