NEWS 2000.02.08
[特集] ホームページの寿命
インターネットが盛んになると、あちらこちらでホームページが作成されます。現在インターネットに接続する人のほとんどは情報を得るためでしょう。その情報は公的機関や企業、個人のサイトがあるでしょう。その中でも個人のサイトは、さまざまな視点から情報を収集してそれをもとにさまざまな意見を公開しているため、情報源として利用しやすいものです。しかし、個人のサイトは恣意性が強く、情報ソースとして妥当性が問われます。ある意味では、質の高いものもあれば、低いものもあります。
しかし、日本語のサイトでは公的機関の情報が少ないので、個人サイトに頼ることになります。その個人サイトが次々と公開されています。それによる情報源が増えることはよいことなのですが、一つ大きな問題があります。
それは、個人サイトには寿命があるということです。個人サイトは、個人がプロバイダなどと契約し、その下のフォルダーに公開しているものがほとんどです。その契約が、その個人の寿命と共に切れます。つまり、個人が亡くなると、そのサイトも閉じてしまいます。現在の貴重な情報を保存するには、公的機関が情報公開機関としてのサイトを作成する以外、難しいものです。例えば、CD-ROMにホームページの内容を焼いても、その販売をどうするかが問題です。特に著作権との問題をどう解決するかです。つまり、現在の情報は、現在我々が見ることができるものであり、50年後にはほとんどのホームページは閉鎖されてしまいます。かくかいのページも、私が死ねば当然閉鎖されます。よって、この文章をいくら保存しようとも、あと40年か50年、あるいはそれ以前に閉鎖されます。逆にいえばこのページが閉鎖されるということは、私が死ぬ間際かあるいは、死んでいることになります。これらの情報が全て消えてしまうということ、それ自体は栄枯盛衰であってしかたないものですが、貴重な情報の場合、それをどうにかして継承してく必要があるでしょう。
印刷物なら図書館などて保存できます。しかし、電子データはどこかに保存する作業をしないと消えてしまいます。その意味では印刷物はなくならないでしょう。いくら電子データで保存しようとも、それが個体として保存されないと、消えてしまいことになります。印刷物が少なくっていますが、しかし、印刷物はなくならないと思います。
個人のホームページの寿命、それは、その人のホームページの継続性もありますが、最大の難関はその個人の寿命ということだったのです。コンピュータ2048年の前には、このようなホームページの寿命の問題が出てくるでしょう。それまでに、どのような対策を練るか、日頃からインターネットやホームページに精通した方々の対策と討議が求められます。
このページをご覧になっている現在、私は生きています。いわば、この文章は私の生存確認となっています。
前号でも紹介した中西さんの本です。こんごのオンラインドキュメントとの関係などを述べています。この後の展開を知りたいものですが、どうなったのでしょう。
まだ、中身を見ていないのでなんとも言えないのですが、気になる本です。日本語の漢字熟語辞典、中国語の漢字熟語辞典、ハングル(朝鮮語?)の漢字熟語辞典などがあると便利だと思うことがあります。それは、日本語と中国語とハングル(朝鮮語)では漢字熟語の意味が異なると思うからです。日本語の漢字熟語辞典では、中国語の古代の意味が入っていますが、ハングル(朝鮮語)の意味は入っていません。日本語文化を考えるには、比較対照として必要なものかもしれません。
これもまだ中身を見ていないのですが、知識の構造と文章理解という関係について述べているとするならば、興味あります。理解するということは、さまざまな情報を理解することです。その理解の関係を明らかにできたら面白いと思います。個人的には明らかにできないと思っています。ある意味ではブラックボックスではないかと。大体は理解しても根幹は理解できないと思うのです。もし、理解し、人間を理解できたら、失恋ということもなくなるかもしれません。まあ、それも構造として理解すれば別ですが、知らない所にというおもしろさもあるのではないかと思っています。