2000.2.12
黒川 孝広
地理教育者である守屋荒美雄(1)は数多くの教科書を編纂し、 生涯に約一六〇種の中学校・高等女学校・師範学校の教科書を出版した。大正六年(一九一七)には自ら教科書出版会社、帝国書院を設立している。その理由としては、当時の地理教科書が地質学、鉱物学の上に立った自然地理学が中心であり、地域の産業と交通の関係を扱う人文地理学が疎んぜられていたことが第一に挙げられる。この自ら教科書編纂に取りかかった動機を自ら次のように述べている。
世界の大国民の教材たるべき、地理教科書を編纂するを以て、自己の生命として理想とするものなり。之を換言すれば、従来の地理教科書に対して、不満に堪へざる点多きが故にレボリューションを施して、以て地理科の真価値を発揮せんと欲す。(2)
教科書編纂に「自己の生命」を掛けるのであって、今までの「不満に堪へざる点」を「レボリューション」するのであれば、守屋荒美雄の教育観は、編集した教科書を分析することによって明らかになるものである。もちろん、正規の教科書として発行するには文部省の検定を得ることが必要なため、教授要目に従った内容にはなりやすいが、それでも守屋荒美雄自身が望む教育を教科書に織り込むことは可能である。それならば、教科書の内容から守屋荒美雄の教育観を探ることも可能となる。
本研究では、守屋荒美雄が著作した高等女学校用教科書である『女子新選地理 通論之部』初訂版(3)と他者の教科書を比較検討することにした。「通論」は「教授要目」の「地理概論」であり、中学校、師範学校、高等女学校などの高学年用のための科目であり、時間数が少ない総論的な科目である。それゆえ、教育内容が精選されており、教育観を探るには適当だと判断した。中学校用の『新選地理』もあるが、ほぼ同等の内容と思われるので対象とはしなかった。
また、昭和四年(一九二九)に発刊された『新選地理』の「例言」により、守屋荒美雄の教科書研究は昭和五年の『新選地理』以降を対象とするのが望ましいと判断したからである。
著者は曩に数種の地理教科書の著作に関したが、著者単独名義の教科書は、最近十数年来に於ては、本書を以て最初とする。(4)
以上の点を踏まえ、教科書の比較を通して守屋荒美雄の教育観はどのようであったかを明らかにする。
明治末の地理教科書の使用は、ほとんどが山崎直方と山上万次郎の著作であった。守屋荒美雄の教科書も採択があったが、その数は全中学校の一割にも満たない。
文部省が明治四〇年と明治四三年に調査した中学校での教科書使用状況(5)によると、守屋荒美雄(6)、山上万次郎、山崎直方の外国地理の教科書採択学校数は次の通りで、圧倒的に山上万次郎、山崎直方の教科書が採択されたことがわかる。
編集者 | 教科書 | 明治40年 | 明治43年 |
守屋荒美雄 | 外国新地理(7) | 20 | 33 |
山上万次郎 | 統合外国地理(8) | 109 | 103 |
山崎直方 | 地理学教科書(9) | 39 | 75 |
中学校数(10) | 274 | 304 |
この後も山崎直方の教科書の採択が増え、山崎直方が亡くなっても改訂(11)が続けられたことから、山上万次郎と山崎直方の教科書の採択が中心なのは、しばらく続いたと判断できる。
なお、守屋荒美雄が六盟館から出版した最初の教科書である『日本新地理』(12)は全国の中学校二七四校中、次の一九校で採択され、当時、守屋荒美雄が勤務していた獨協でも採択があった。
北海道 札幌、上川、北海
山 形 新庄
宮 城 古川、角田
茨 城 下妻
千 葉 佐原、成田
東 京 立教、獨逸協会、商工、暁星、高輪
神奈川 第二
鳥 取 第一
広 島 忠海
山 口 鴻城
福 岡 伝習館
守屋荒美雄の中学校の教科書の採択が増えるのは、この明治四三年(一九一〇)の調査の後、明治四四年(一九一一)になってからである。それは、光文館からの『最新系統地理 中学校用』「日本之部」「外国之部」が発刊され、好評を博したのが起因となり、盛んに採用されたのである。それ以前にも実業学校用教科書は、多くの採択があった。
懐ひ起す明治四十一年、[セン《言扁、旁の上が「前」、下が「刀」》]才不学を顧みず、国運の要求に副ふべき、実業明治地理を主纂するや、忽ち世の喝采を博し、今や該書は、斯界のオーソリチーとなれり。(13)
この『実業明治地理』(14)は明治四一年(一九〇八)に発刊され、翌明治四二年(一九〇九)には再訂四版となり、明治四三年(一九一〇)には再訂七版となる勢いで発刊されている(15)。これほどまでに多くの版を重ねることは、この教科書の採択の多さを示すものである。また、昭和期での守屋荒美雄の教科書販売数は、年間六五万冊にもなったという。これほどまでに採択が増えた理由としては、これらの教科書の内容に特徴がある。その特徴を守屋荒美雄は次のように述べる。
従来の地理教授の大弊害 知識の散漫 を防遏せんが為に、帰納的・概括的ならん事を期せしにあり。(16)
この「帰納的・概括的」とはどのようなものであったのか、具体的に記述をもとに次に検討していく。
守屋荒美雄の教科書を「図表を多くした」などや、「人文地理に重きを置いた」などで総括するにはその独自性を考察するには不十分である。事実、人文地理の必要性を地理学者で地理教科書を編集している山崎直方が明治四四年にすでに説いている(17)。
中等教育の課程に於て、自然地理学と人文地理学とを併せ教へて、地理学の基礎概念を養成せんことは、予がかねてよりの理想なりしかど、従来中等学校の教程には人文地理学の項を欠きたれば、唯予と志を同じうせる二三の士のこれを教壇に試みらるるものあるに過ぎざりき。しかるに、今年七月教授要目の改定せらるるに及びて、高等女学校に於ても人文地理学は新に入りて、自然地理学と共に教授せらるることとなるに至りぬ。
これによれば、もともと人文地理を導入する教科書は少なかったと言えよう。事実、地理学者の多くは理学であり、人文学ではなかったのである。そして、教授要目の改正により人文地理が取り入れられたとしても、大方は教授要目に従うことになる。このことを地理科の中で授業数の最も少ない「地理概説」で見ると、人文地理は自然地理の後に教授することになり、自然地理中心の教授方法のままである。
自然と人類の関係
住民
産業
交通
国家
世界の主要諸国の国力比較
世界に於ける我が国の地位
この教授要目の項目を、当時の代表的な教科書の目次では次の順番となっている。
山崎直方『女子教育 地理学通論』 (明治四〇年(一九〇七)、大正三年修正版) |
山上万次郎『最近統合地理概説』 (明治四五年(一九一二)) |
第二編 人文地理学 第一章 自然と人類 第二章 世界の住民及びその状態 第三章 人類の住所 第四章 産業及び重要産物の分布 第五章 交通 第六章 国家 第七章 世界主要諸国の国力比較 第八章 世界に於けるわが国の地位 |
後編 人文地理 第一章 自然と人類との関係 第二章 住民 第三章 産業及び重要産物の分布 第四章 交通 第五章 世界の主要諸国の国力比較 第六章 世界に於ける我が国の位置 |
山崎直方も山上万次郎も自然地理を前にし、人文地理を後にすることを始めとし、章立てをほぼ「教授要目」通りにしている。これは、検定を通るための手段であったとも言えるが、両者とも、自然地理を主とし、人文地理を副とする考えによったものと言えよう。これを守屋荒美雄の教科書と比較する。ただし、時代がことなるので、ほぼ同時期の山崎直方の教科書との比較とする。この昭和初期では、昭和六年(一九三一)に教授要目が改正されているが、内容はほとんど変わりがない。
守屋荒美雄『女子新選地理』 昭和一〇年(一九三五) | 山崎直方『女子地理学通論』 昭和八年(一九三三) |
第一編 人文地理 第一章 産業 第一節 採取業 第二節 工業 第三節 商業 第四節 交通業 第二章 人類 第一節 人種 第二節 人口 第三節 言語・宗教 第四節 住居 第五節 植民・移民 第三章 政治 第一節 国家 第二節 国勢 |
第二編 人文地理学 第一章 自然と人類 第二章 世界の住民とその状態 第三章 人類の住所 第四章 産業及び重要産物の分布 第五章 交通 第六章 国家 第七章 世界主要諸国の国力比較 第八章 世界に於けるわが国の地位 |
山崎直方の項目順序は教授要目を準拠しているのに対して、守屋荒美雄は人文地理を最初にして、内容も大分類を取っている。教授要目での「産業」「自然と人類の関係」「国家」を三本柱とし、この中に他の項目を入れるのである。この項目の配列を見ると、地域との産業との関係を捉え、その流通過程を認識する。そして、その民族の特徴を踏まえた後、国家としての政治や経済について触れることになる。本来なら、「人類」「国家」「産業」となってもよい項目順序であるが、それをあえて「自然と人類」を途中に入れた。この人文地理を重視する必然性を守屋荒美雄は『女子新選地理 通論之部』(18)の「例言」で次のように述べている。
1.人文地理を先にし、自然地理を後にした。 従来の教科書は自然地理万能の余弊を受けて、之を過重に取扱つた嫌があつた。然るに
(イ)地理学の科学的存在の価値は、人文地理に在ることは識者の等しく認むる処で、実に人文地理は地理教授の生命であること
(ロ)大戦後、世界の大勢は経済生活に関する部分が極めて多く、国家として、又個人として生活の大半は経済に関せざるはない。故に地理教授をして実生活に即せしむる為には、経済的の知識の授与・陶冶を最も必要とすること
(ハ)中等教育に於て、諸学科の連繋を緊密にする事は最も望ましいことである。地理通論に於ける天文・海洋・地殻・大気等に於ける諸現象は数学・物理・化学・鉱物の各科と密接な関係がある。故に之等は数学・物理・化学・鉱物上の知識を一通り収得した後に課するを適当とすること
(ニ)地理通論は極めて広汎な学科で、しかも之に配当された時間数は非常に少ない。故に与へられた最小の時間を以て最大の効果を収めようとするには、事の軽重を考へ、本末を正し、簡より繁に入るを得策とする。故に比較的重要で、且つ理会の容易な人文地理を先に置くを妥当とすること
等の理由により本書は断然人文地理を先にし地文地理を後にしたのである。
ここから、人文地理を学習する必然は、環境と人間との関係にあったと考えられる。位置・地形・気候がさまざまな産業や交通などに影響していく。それは、日常生活の活動の中心だからである。この考えはすでに『動的世界大地理』にあると思われる。同書の抜粋である『動的支那地理』(19) でも、人文地理に九四ページを掛け、自然地理は二一ページである。処誌も人文地理を中心に記述されている。この理由を『最新系統地理』の例言では次のように説明する。
夫れ新聞雑誌を読みて、能く之を理解するも、又、父兄古老に地理的談話を試むるも、一として日常的知識を涵養せざるを得ざるにあらずや。而して日常的知識は、疑いもなく概ね人文事項なり、動的地理事項なり。是れ予が、世の非難是非を顧みるの隙なく、十有余年来、静的地理重んずべからず、人文地理動的地理重んずべしと主張する所以なり。(20)
この日常的な事項を日常に親しみやすい順番で学習することに、守屋荒美雄の教育観があると言ってもよかろう。それは、学習者の視点から、いかに学習していくかの過程を重視したものであり、長年の教諭・訓導生活からの生徒の学習過程を考察した成果である。守屋荒美雄の教育観には、学習者が学習しやすい環境を整備する考えがあったのである。
そして、この学習の中心となるのは、経済である。社会に出て、あらゆる職業では、経済活動をしないことはない。それゆえ、経済活動の中心である「産業」に重点を行うとする意識がある。
要するに筆者は、今日以後の教科書として、人文地理殊に経済地理に重きを置かしめざるべからざるものなりと確信す。(21)
また、『新選詳図 世界之部』(22)の「例言」では次のように説明している。
地理科に於て経済的方面に注意すべきは今更言を要しない。経済戦が熾烈を極める今日に於ては特に教育上留意しなければならない。
これは、当時の時代状況も反映しており、経済が日常生活に影響していることから、経済を特に重視したものと思われる。それは、『女子新選地理 通論之部』(23)の「例言」からも明らかである。
3.特に産業に重点を置いたこと 産業立国の大本に鑑み、之を重視し、之が成立に与る人的要素と自然的要素とを詳説し、以て因果の理法を悟らしめ、我が国産業の将来の指針に資する様努めた。
守屋荒美雄は『動的世界大地理』を発刊したのち、大正三年(一九一四)に『動的支那地理』を発刊している。これは、『動的世界大地理』の中国に関するものを抜粋したものであり、時局の要請から発刊したと序にある。その後も『動的日本大地理』や第一巻の原稿を書き終えていた『動的大地学原論』(二巻)を発刊する予定であった。それぞれの「動的」の意味は、人間によって経済・政治・産業などが流動する世界の状況を意味している。それゆえに、人文地理の内実を示す言葉として「動的」を使用している。守屋荒美雄には意識がないが、これはUnit学習のDynamicとStaticの関係が含まれている。Unit学習が生徒の理解過程を重視したことを考えれば、守屋荒美雄にもユニット学習の考えが生じてもおかしくはない。
以上から、守屋荒美雄の考える人文地理とは、経済と地理、公民を含む社会構造そのものだったのであり、それゆえに人間と人間、人間と自然との関係について究明しようとしたと考えられる。自然と産業との関係を述べることで、日常の生活を中心に捉え、人間の活動と自然との関係を動的に捉えているものであり、理学的な関係というよりも、現在の社会科の視点を持っていたと言えよう。守屋荒美雄の教育観には、日常の生活に立脚した実学に結びつく人間と自然との関係を理解する学習活動重視の考えがあったと考えられる。
教科書の文章のわかりやすさについては『動的世界大地理』の「例言」で次のように述べている。
一、近来我が学界には、了解し易き講義と記憶とを以て薄つぺらと誤認する弊風あり、而して独学自修を事とする予輩は、常に筆致渋滞、毫路紆余なる著書を読みて、大いに苦みし経験あるが故に、世の誤謬を顧慮するの隙なく、本書を編纂するこに、軽快に筆を行りたり。
それまでの地理教育の問題点を西亀正夫は「羅列主義」「公式主義」「掛図万能主義」であったと指摘する(24)。その「羅列主義」になるのは、さまざまな知識を教科書に取り入れようとする結果、文章がわかりにくくなるということである。その点を守屋荒美雄は、「了解し易き」文章を目指していた。
『女子新選地理』の「例言」でも次のように述べている。
2 断片的・羅列的の記述を避け、成るべく関連的・説明的に記述し、以て地理学を暗誦的より理論的に導かんことに努めた。併し徒に、高踏専門的に流れず、成るべく常識的・実際的の知識を選択収拾するやうに注意した。
人文地理を重視することは、必然的に関係性を重視することになる。それゆえ、教科書の記述も断片的よりも、説明的になるのである。それゆえ、各論と概論とを重視し、わかりやすさを求めた。
4 局部的の説明と共に概観に重きを置いたこと 各地の特殊や地文・人文の説述に対しては、其の分図を挿入したことは勿論であるが、徒に局部的に偏することを避けて、各大陸毎に、一頁大又は二頁大の精細な鳥瞰的のレリーフマップ及び簡明な産業分布図を附して、学習者の暗射練習に資した。同時に本文中にも、常に概観の項を設けて、大局を攫ましめるやうにした。
この傾向を具体的に「言語」の項目を比較してみる。
守屋荒美雄『女子新選地理』 昭和一〇年(一九三五) | 山崎直方『女子地理学通論』 昭和八年(一九三三) |
言語(Language) 言語は、思想を交換し、意志を疎通するから、共同生活上、必要のものである。 世界の主要言語 世界の言語の種類は約四百に及び、之に方言を加へると、五千にも達する。英・独・仏・西の諸語は、世界的に行はれ、日・支・露・印の諸語は、世界的ではないが、使用者が多い。英語は、之を国語とする英・米と其の植民地とに行はれる外、広く商業語とせられてゐる。仏語は、国際語・社交語に用ひられ、スペイン語は、ラテンアメリカに行はれる。独逸語は、独・墺に行はれ、又世界学術語として使用されている。 国語の統一は、国民の融合、国家の統治上、必要であるから、各国とも其の普及に努め、殊に植民地では、国語教育を重んじる。数種の言語の行われる国家は、健全ではない。白・蘭が曩に分離し、印度が久しく統一を欠き、又旧墺洪国が、大戦後四分五裂したのは、皆其の為である。我が国は、日本語が大部に行はれ、又植民地にしても漸次普及して、国民の団結に都合がよい。 |
言語 英語は最も広く行はれ、イギリス・アメリカ合衆国の国語であるばかりでなく、その植民地にも用ひられ、また世界の商用語として最大の勢力を占めてゐる。ドイツ語は学芸上に使用され、フランス語は外交用語として行はれ、イスパニヤ語はその旧植民地たるメキシコ以南のアメリカ諸国にも広く行はれていづれも世界的の言語である。支那語・ロシヤ語・イスパニヤ語などは世界的の言語ではないが。これを語るものが甚だ多い。 国語の統一してゐるか否かは、国運の進捗に大きな関係がある。我が国では、明治年間に新たに領土を得てから、種々の言語が一部分に行はれてゐるが、大部分は一国語を用ひてゐるから、国家の統治が円満に行はれる。 |
守屋荒美雄は、言語の基本的な性質を述べ、次に主要言語を説明し、その言語がどのように使用されているかを説明している。また、国語の統一についても具体例を挙げて説明している。内容としては、時勢を反映し、国家主義的な政策の影響を否めないが、その背景を斟酌しても、守屋荒美雄の文章の方が理にかなっていると言えよう。また、ルビに英語を入れているのが特徴である。一般の地図には、その読みを現地語で記述することがあるが、教科書においては、カタカナのルビのものが他者のにはいくつかあるが、このように英語で記述してるものは見受けられない。この点からも教科書の内容としては高いと言えよう。これらから見て分かるとおり、守屋荒美雄の教科書文章につては、学習者の立場にたち、論理的にかつ、具体的にわかりやすさを追究したものである。
この文章のわかりやすさを支えるのが、図版の多用である。図版を多の多さは守屋荒美雄の教科書の特徴である。『女子新選地理』でも全一一二ページ中、図版は三四四図あり、文字のみのページはわずか八ページである。山崎直方の教科書は、全一二〇ページ中、図版は二二二図であり、図版の量の差は明らかである。守屋荒美雄は図版を多く入れることについて次のように述べる。
6.挿画・挿図を豊富にしたこと 本文に可成的図版を多くしたのは勿論、余白を利用して斬新の挿画・挿図を多くし、以て直観教授に便し、補説の資料とし、趣味を多からしめた。
昭和初期の教育内容として小学校を中心に頻繁に言われた「直観教授」の概念がここで使われている。知識を伝授するのみでなく、生徒の総合的な感覚から実感として理解してくこと、これを求めたのである。
このことは、『新選地理』の「例言」でも触れている。
4 無味乾燥を避けて、知識の直覚的注入と、趣味の喚起、理解の容易との為に、能ふ限り、挿絵・挿図を増加した。
5 多数の産業分布図を加へ、且つ其の多くを着色して、本文と対称して、一目了解に便ならしめた。また多数のドットマップ及びグラフを挿入して、統計を直観的ならしめた。
守屋荒美雄は、この目的のため、帝国書院発行教科書の地図部分に特注の紙を製造させたほどである。また、海外渡航の経験がないゆえ、国内にあるあらゆる図書より図版を使用したという。それゆえ、図版の多さと質には定評があったという。人文地理が人間との関係を示すなら、人間と他との関係がどのようであるかを示すには、図版などを取れ入れるのがわかりやすい。それゆえ、図版を多用してなおかつ教科書文章をわかりやすくすることで、学習者の教育をより効果的にしたものであり、そこには自学自習の育成という観点がある。自学自習とは言っても、学習者が自分で学習することが目的ではない。守屋荒美雄の考える自学自習とは、教科構造や学校という社会においての自学自習であり、生徒が教科書をもとにして、授業でのまとめをしたりする行為である。これは、大正自由教育の概念とは異なり、教科構造を基盤とした自学自習なのである。この点、ダルトンプランなどとは違う教科構造の上に立つ、自学自習であることがわかる。この時期には、木下竹次の「合科学習」が昭和四年(一九二九)に発表され、当時の小学校訓導に影響を与え、のちに国民学校にも取り入れられたが、この「合科学習」の影響は守屋荒美雄にはないと言えよう。
この自学自習を支える具体的なものとして、山崎直方の教科書にはない設問が挙げられる。
5.各章の終りには必ず適当の問題を附したこと 以て生徒の推究・考察を誘導し、且つ自学自習の良風を養はしめることに努めた。
先の「言語」の場合は、次のような設問がある。
(一)国語教育の大切な理由を述べよ。
この答えは、教科書中にあり、「国民の融合、国家の統治上、必要である」となり、教科書外の学習活動は不要である。いわば、教科書の内容を確認するための設問であると言える。
これを「商業」では次のような設問となっている。
守屋荒美雄『女子新選地理』 昭和一〇年(一九三五) | 山崎直方『女子地理学通論』 昭和八年(一九三三) |
商業(Commarce) 商業の発達 文化や環境の相違は、各地の物産を異にし、交易によつて其の有無を通じ、爰に国際貿易が興つた。貿易の趨勢 交通機関不備の時代には、貿易品は、貴重品・珍宝類を主としたが、現代は、食料品・原料品・加工品など、生活必要品が主となつた。一般に文化の低い国は、食料品・原料品を輸出して加工品を輸入するが、文明国は之に反する。大戦後は、著しく世界的貿易が減退し、金融も亦円滑を欠き、前途、益々暗澹となつたので、列国は、内、産業を奨励して自給自足を計り、外、関税の障壁を高くして輸入品を阻止し、或は経済ブロックを形成して自国の貿易を保護し、進んでは、市場の開拓に狂奔し、競争が益々激甚となり、ここに世界の貿易は、却て萎微沈滞した。 貿易中、輸出の超過するのを順貿易、輸入の超過するのを、逆貿易と称へる。 列国の貿易 貿易額の多少は、国家の富力に比例し、英・米が最も多く、独逸・仏蘭西・印度・カナダ・日本が之に次ぐ。而して国民一人当たりの貿易額は、新開国又は文明小国に多く、大国は却つて少ない。支那・米国・ロシアのやうな大国は、気候・資源が多種多様で、国内商業の方が盛である。小国は、資源が単一であるから、外国貿易の方が必要である。我が国の貿易 我が国は、入超が多かつたが、最近、著しく減じた。対手国は、アジアが主で、近来はアフリカ・南米・中米にも進出し、各国の貿易を圧迫する為、列強は、関税を高くし、輸入割当を実行して、頻りに我が商品の進出を阻止してゐる。併し価格が比較的に低廉で、品質も亦良好である我が商品は、今や世界的に歓迎せられて、他国政府の不自然的防止を、突破しつつあるのは、真に痛快である。 |
商業 外国貿易の現状を見るに、イギスリ・アメリカ合衆国の二国は輸出入共に遙かに他の諸国に抽ん出、ドイツ・フランス・カナダ・日本がこれに次ぐ。殊にアメリカ合衆国は近来工業の進歩が著しく、その輸出額はイギリスと伯仲するやうになつた。ベルギーは小国であるが、その貿易額は甚だ多く、大商業国中に数えられている。 |
設問 (一)商業発達の順序に就いて述べよ。 (二)近年、世界貿易が不振となつた理由を挙げよ。 (三)中継商業に就いて述べよ。 (四)貿易港として、ロンドン・ニューヨークを比較せよ。 (五)主な経済ブロックについて述べよ。 |
商業の項目での設問は、主要な部分を理解するに最低限必要な内容となっている。この設問により、学習者はこの項目での大切な事項について学習することが可能である。教科書を一方的に理解するのではなく、自らがこの設問の答えをすることで、学習者自らが自分の理解を確認するのである。つまり守屋荒美雄の教育観の中には、学習者の教科内活動を重視したものであるといえよう。それは、郷土教育のような学校外活動ではなく、教科書の内容について理解し、その確認をするという教科書内での学習活動を重視したものである。
これらの教科書比較を通して伺える守屋の教育観は次の三点にまとめられる。
1、学習者の動機付けと学習活動を多くし、それを探究し自学自習まで高めていく視点
2、地理を人間の活動と自然との関係で捉える総合的な視点
3、学習者の学習過程に立った内容・表現の教材作成をする視点
この教育観は、教育内容を知識を列挙するいわば事典的教材ではなく、生徒の学習活動を促すための活動的教材を作成するに至った。守屋荒美雄は当時の地理教育者としては学習者の視点を多く取れ入れ、総合的な地理科視点を持ち併せ、学習活動を視野に入れた教育観であったと位置付けられる。
(2000年2月14日提出)
(1)明治五年(一八七二)〜昭和一三年(一九三八)
(2)守屋荒美雄『最新系統地理』(明治四四年(一九一〇) 光文館)「例言」 ※本文は、守屋荒美雄記念会『守屋荒美雄伝』(昭和一五年(一九四〇)二月 守屋荒美雄記念会)によった。
(3)守屋荒美雄『女子 新選地理 通論之部』(昭和一〇年(一九三五)二月九日訂正発行 帝国書院)
(4)守屋荒美雄『新選地理 世界之部』上巻・中巻・下巻(昭和五年(一九三〇)二月訂正発行 帝国書院)
(5)文部省『中学校 高等女学校 現在使用教科図書表』(明治四一年(一九〇八)七月 文部省)、文部省『師範学校 中学校 高等女学校 現在使用教科図書表』(明治四五年(一九一一)三月 文部省)
(6)守屋荒美雄は著者ではなく、編集者の一員であるので、厳密な比較としては不十分でることは承知である。
(7)六盟館編集所『外国新地理』(明治三九年(一九〇六)三月 六盟館)
(8)山上万次郎『最近 統合帝国地理』(明治三八年(一九〇五)一二月 大日本図書)
(9)山崎直方『普通教育 地理学教科書』(明治三九年(一九〇六)一月 西尾虎吉)
(10)中学校数は、公立と認可私立のみであり、非認可私立は含まない。
(11)山崎直方著・飯本信之補訂『新制 女子地理学通論』(昭和八年(一九三三)一月訂正六版 開成館)など。
(12)守屋荒美雄『日本新地理』(明治三九年(一九〇六) 六盟館)
(13)守屋荒美雄『最新系統地理 実業学校用』(大正四年(一九一五) 光文館)
(14)六盟館編集所『実業明治地理』(明治四一年(一九〇五) 六盟館)
(15)国立教育研究所『明治以降教科書総合目録 中学校編』(昭和五九年(一九八四)一二月 国立教育研究所)
(16)守屋荒美雄『最新系統地理』(明治四四年(一九一〇) 光文館)「例言」 ※本文は、守屋荒美雄記念会『守屋荒美雄伝』(昭和一五年(一九四〇)二月 守屋荒美雄記念会)によった。
(17)山崎直方『女子教育 地理学通論』(大正元年(一九一二)一二月訂正五版 開成館)
(18)守屋荒美雄『女子 新選地理 通論之部』(昭和一〇年(一九三五)二月九日訂正発行 帝国書院)
(19)守屋荒美雄『動的支那地理』(大正三年(一九一四)十二月 六盟館)
(20)守屋荒美雄『最新系統地理 実業学校用』(大正四年(一九一五) 光文館)
(21)守屋荒美雄『最新系統地理 実業学校用』(大正四年(一九一五) 光文館)
(22)守屋荒美雄『増訂改版 新選詳図 世界之部』(昭和九年(一九三四)二月 帝国書院)
(23)守屋荒美雄『女子 新選地理 通論之部』(昭和一〇年(一九三五)二月九日訂正発行 帝国書院)
(24)西亀正夫『地理教育の諸問題』(昭和八年(一九三三)三月 古今書院)