黒川 孝広
出典:『研究誌』2001年3月/『早稲田教育評論』2001に加筆修正したもの。
情報教育について情報機器利用から情報活用能力の育成を目指して、活動重視の教育方法を生み出す試みが近年盛んになってきた。歴史的にみると1984年から1987年までの臨時教育審議会で「情報化などの変化への対応」を審議し、1986年4月の臨教審第二次答申には「情報活用能力」「情報の教育での活用」「情報化の光と影」に触れたことが、教育で情報の概念を扱うことになった。1991年には文部省が「情報教育に関する手引き」(1)を発表し、これに影響され現場でも情報教育について議論されることになった。1997年には「情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議」が発表した「体系的な情報教育の実施に向けて」(2)に情報教育についてまとめられ、情報教育が教育現場でも盛んに試みられることが多くなった。その後、学習指導要領の情報教育が各教科の取り扱いに入ることになり、学習指導要領の移行措置により2000年には盛んに実践報告が発表されたのである。
そもそも、情報とは、言語・非言語の知識の「モノ・コト」である。この情報を受容し、発信する行為自体は情報ではなく、情報活用として定義される。この情報活用を含めた情報のあり方や特徴などを学問として独立させたのが「情報学」である。この情報学については教育現場での議論は少ない。それは、情報学自体の歴史が日本では浅いからである。
そして、初等教育での情報教育がコンピュータ機器利用指導に終始してしまっている現状を鑑みると、情報を取り扱う意識やその過程を再認識するためにも、心理学からも、医学からも調査する必要がある。それゆえ、情報教育と情報学との関係を明らかにすることは急務の研究である。
本稿は情報学の基礎理論として、情報学史からその基本的な文献から教育に関する問題点を明らかにすることにする。
1905年にベルキーの学者であるポール・オトレ(Paul Otlet)は、記録された知識であるドキュメントを収集・管理・蓄積・検索する活動を図書館学や書誌学とは別の概念で用いることを目的として「ドキュメンテーション(documentation)」と名付けた。1937年には国際ドキュメンテーション連盟(FID)が設立され、世界的に「ドキュメンテーション」という用語は認知されたのである。FIDではドキュメンテーションを「あらゆる種類の情報の収集と蓄積、分類と選択、提供と利用」(3)と定義している。このドキュメンテーションはあくまでも記述言語や記録された「モノ」についてを基本的な対象としているのであって、実際には「あらゆる情報」を扱うことにはならなかったのである。
一方で情報を受容・発信する人間の行動を学問として取り入れる動きがあった。それが1965年にJ.G.ドーフマン(J.G.Dorfman)が名付けた「インフォマィクス(informatics)」である。インフォマィクスは情報の収集・処理・蓄積・検索のみならず、方法・手段を含めて研究の対象とすることである。これ以前にも「情報学(information science)」という語はすでに使われていたが、その由来は不明である。
このように情報については1900年代になって盛んに議論されることになった。すべては研究者が研究のために資料を収集し、検索して、新たな知見を発表する目的にあった。そのために図書館学をも視野に入れながら、独自の情報収集・検索の学問を確立しようとしたのである。図書館と情報教育は関係するのは、すべて知識の受容は発信とに関わるからである。ただ、図書館では書誌のみを扱うことになるので、さまざまな媒体を扱おうとする情報学の立場とは多少異なる手法となるのである。むしろ、図書館が情報学の理念を受け継ぎ、書誌以外の媒体についても扱うようになるのが、本来の機能を果たすことになるのである。それはメディアの多様化と、情報通信技術の進歩によって、時代とともに変容するものであり、定まったものではないのである。
この情報通信技術がどのようにして人間の情報の受容と発信に影響するのか、それは情報通信技術の核となるコンピュータと情報学を結びつけた人々の意識を探ることになる。それらの人々はコンピュータをどのように利用しようとしたのか、そこには情報の受容と発信という活動を意識したものであり、単に知識の集積ではなかったのである。
この点について情報通信機器であるコンピュータの特性と関連して考えることにする。
コンピュータを利用するには、まずコンピュータの特性を把握する必要がある。このことは、「体系的な情報教育の実施に向けて」(4)(4)でも、「A情報の科学的な理解」として、「情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と、情報を適切に扱ったり、自らの情報活用を評価・改善するための基礎的な理論や方法の理解」を扱うことと示されている。このことをふまえてコンピュータの特性を考えると、次の四点にまとめることができる。
@高速データ処理
大量のデータを高速で計算処理し、大量のデータを蓄積していくことである。計算処理とは、単に数学的な加減乗除のみでなはく、検索や置換などの文字処理も含むのである。
Aデータの拡張と再利用性
コンピュータ上のデータを加工することで、新しい表現に練り直すことができる。それは文字情報だけでなく静止画像と文字や音声、動画なども一緒に表現できるようになるのである。紙と鉛筆では音声や動画表現を同時に表現することはできない。その点コンピュータでは多くの異なる種類の素材を一つにまとめて表現し、それを再加工することができるのである。
B情報収集手段
保存された電子テキスト、電子ファイル情報の検索である。CD-ROMからの検索や、データベースの加工、ネットワークを使った情報収集などがその具体的なものである。一番頻度が高いのはインターネットの利用である。ホームページからの検索により、多くの情報を入手することが可能である。
C通信手段
電子メールなどはその最たる具体的なものであろう。郵便と違い高速で単独、または複数の相手に同時に伝えることができるのである。また、交信記録が残るリアルタイムの掲示板である「チャット」などがある。しかし、通信手段は携帯電話がコンピュータに近づき、その特性としては失われつつある。
無論この四つの特性の反面、問題点も多く存在する。例えば可搬性に乏しいという点である。電源のない所ではノートパソコンなど可搬性がない限り、自由に使うことはできない。コンピュータの電源を入れないと中のデータを閲覧できないということである。書籍と根本的に違うのは、この可搬性の部分である。近年では携帯電話によるインターネット接続が可能となったが、一部のソフトで作成した文書を閲覧することはできない。あくまでも、HTMLなどの共通言語での記述されたものだけが閲覧可能で、ワープロソフトで作成した文書は変換しなければならないことが多い。これらも可搬性の問題である。その他、媒体による表現方法と表現意図の変化という問題もある。電子メールでの書式はそれまでの郵便の書式とは異なる。また、文字中心の表現から、付加価値のある表、図、画像、音声などを合わせた表現が可能となるので、表現意識の再構築が求められる。それにより、再構築しない人間との差、いわばコミュニケーション・ギャップというものが問題となるのである。
これらはすべて利用者から見たコンピュータの特性であった。利用者はすでにコンピュータが存在していて、それを利用すべく方法論を考えていく。しかし、コンピュータはシステム開発者の意図によって成立している。コンピュータの特性を理解するとは、機械の構造を理解することよりも、そのシステムがどのような意識において創られたかを理解することなのである。コンピュータはただ計算機として作られたのではない。そこにはある理念がある。その理念とは何であったのか、そして、コンピュータを創りだした人々はどのような理想をコンピュータに託したのであったか。それを探ることは、教育でのコンピュータ利用の方向性を照らすはずである。現在では爆発的な普及したインターネット、その基本理念は何であったか。その意識はインターネットという思想を支えているのであり、その思想を「読み」解くことなく、教育でのコンピュータ利用を説くことはできない。それはコンピュータという意図的な表現の産物をただ自分の範囲で理解しているのに過ぎないと言えよう。むしろ、コンピュータという意図的な表現の向こうにいる人々の意図を読みとること、そしてその意図と使う人間の意図との闘いから、コンピュータ利用の方向は定まっていくのである。
その答えを探るためには、次のネットワークを創りだした人々の意識を探ることが必要である。
バネバー・ブッシュ(Vannevar Bush,1890-1974)
ダグラス・エンゲルバート(Douglas C. Engelbart,1925-)
テッド・ネルソン(Theodor Holm Nelson,1937-)
アラン・ケイ(Alan Curtis Kay,1940-)
この三者の関係をそれぞれの著書・論文やハワード・ラインゴールドの『思考のための道具』(5)を参照して探ることにする。
バネバー・ブッシュはアメリカのコンピュータ技術者であり、第二次世界大戦中はマンハッタン計画を統括していた。ブッシュは1930年代にコンピュータの原型を製作し、工学者として多くの発明を残している。そして1945年、論文「As We May Think」(『Atlantic Monthly』1945年8月号)を発表した。それは「多数の項目の間のつながりをつくっていく」という概念であり、それを「memex(EXtension of MEMory)」(以下「メメックス」)と名付けた。この論はアメリカの戦後科学技術製作を方向付けるほど影響をもったものであった。この概念があったからこそ、インターネットは現在のように普及したのである。
ブッシュは図書館での索引を使うこと自体に時間がかかりすぎる点に注目した。索引システムは人間の思考の形態と違うとするのである。ブッシュは人間は連想によって選択すると述べている。
人間の頭脳は連想によって動くのである。一つのことを理解すると、連想によって与えられた次のものへと即座に飛び移る。これは、脳細胞によって実現される複雑な網状の経路と一致している。もちろん脳には別の性質もある。頻繁にたどられることがない経路は薄れていってしまう傾向があり、記憶される内容は完全に永続的であるわけでなく、記憶は一時的である。しかし、動く速さ、経路の複雑さ、知性が描くものの細部は、自然界にある他の何よりも素晴らしい。(6)
この連想を機械で再現していくには、大量の記録によって構成していくことになる。その記録を広い範囲の文献からよせ集めた項目をまとめていく。一つの項目には他の項目をボタン一つで呼び出す。そしてそれをまとめて自分の意見を構築するという手順で連想するのである。その考える筋道を記録することが「メメックス」の機能であった。ブッシュはこの情報の受容を画面のみでなく、キーボードを介さないで直接的に情報をやりとりするシステムを目指していた。つまり、情報の受容と発信とを結ぶ効率的な新しい思考方法 線形思考法から多面的思考法 への理論であったと言えよう。
この理論は多くの研究者に影響を与えた。その一人にノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener,1894-1964)がいる。ウィーナーは1948年に著書『サイバネティクス』(7)を発刊し、複雑系の嚆矢となった情報理論である「Cybernetics(サイバネティクス)」理論を発表した数学者である。ウィーナーの理論では、動物と人間および機械における制御と通信の統一理論を構築し、それらの制御行動を情報が仲介すると考えたのである。ブッシュとウィーナーは同じ1919年にマサチューセッツ工科大学(MIT)に招かれている。それ以降、深い交流が続いている。微分解析機械を開発していたブッシュは、ウィーナーに電子計算機の基本設計で相談し、調和解析の基本理論で意見が一致している(8)。その影響からウィーナーは人間の神経系を情報システムとして、ネットワーク制御の構造を解明しようとし、それによってフォン・ノイマン(John von Neumann)とサイバネティクスの研究を開始している。ウィーナーの理論は、現在でもその基礎となる情報理論である。
そのノイマンもブシュに影響を受けた一人である。ノイマンは1946年に「ノイマン型」と言われるコンピュータ・アーキテクチャーを確立し、彼のプログラミングの定義と方法論がその後のコンピュータの方向性を決定していった。そのノイマンは、プログラミングということ自体にプログラマの意図を必要とするのである。それはコンピュータの主体的利用ということにつながるものであった。
コーディングは翻訳のような静的過程ではなく、むしろ意図していることの自動的な展開を制御するための動的基盤を与えるテクニックである。(9)
ノイマンは人間が使用するための制御機関がコンピュータであるとするのであった。
もう一人、ブッシュの影響を受けたのが、大学時代ブッシュの元で研究したクロード・シャノン(Claude Elwood Shannon)である。シャノンはブッシュの微分解析の研究を進めて、ブール代数をコンピュータに取り入れることですべてを電気的に2進法で処理することを考え、数字のみならず、文字やさまざまな処理を可能としたのであった。この理論は通信の数学的理論として「シャノン理論」と呼ばれることとなり、現在の情報理論の基礎となっている。
このように、ブッシュは多くの情報理論に影響を与え、そして「メメックス」を発表した時代は、コンピュータの進歩期であり、ネットワークの創生期と言っても差し支えあるまい。
このブッシュの理論は、ウィーナーやノイマンにも共通するように、自らの研究をまとめるための道具としてコンピュータを位置付けており、そして、コンピュータをその道具として有効利用する方法を構築したものであった。この大量の情報を瞬時に収集・加工し、情報間のリンクを構築することは、ダグラス・エンゲルバート、テッド・ネルソンなどに影響を与え、適合性(relevance)(10)の定義などさまざまな問題を内包しながら現在のインターネットのハイパーリンクに継承されるなど、着実にコンピュータの世界に定着しているのである。
ダグラス・エンゲルバートはアメリカの電子工学研究者で、1957年からスタンフォード研究所で研究活動を開始し、理論構築をしていた。ブッシュの論文に影響されたエンゲルバートは1963年に論文「A conceptual framework for the augmentation of men's intellect」を発表し、知性を拡大させる構成方法として、問題解決での情報の受容と発信の方法を変えていくことが必要だと主張した。それは、人間の知性を増幅させる装置を開発するという長年の目的をまとめたものであった。
「人間の知性を増幅する」ということは、人間が複雑な問題に取り組み、必要に応じた知識を得て、問題の解決をもたらすための能力を増加させるということである。(11)
この能力とは、より速く知識を得ること、よりよい知識を得ること、役立つ知識を得ること、解決を速く見出せること、適切な解決を見出せること、などであると指摘している。その思考の道具としてコンピュータを利用することを考えたのであった。複雑化していく社会で、情報は多様化・多量化してく。そして問題も多くなり、それを速く解決する方法が求められる。それを機械化の上で解決することを考えたのである。それは、機械で解決するのではなく、人間が解決するための道具として機械を使うことである。そして、人間の能力を「augment(拡大化)」していくための手段とし、その基本的な内容を次の四点にまとめている。
1.人工物 人間の快適さ、ものごと、あるいは物質の処理、あるいは記号の操作を容易にするために設計された物理的な人工物。
2.言語 一人一人が世界像を自分の世界としてモデリングするために、頭の中にある諸概念に分類する方法、そしてそれらの概念(思考)につけられて、その概念の意識的な操作に用いられる記号。
3.方法論 目的達成に集中した活動を組織化する方法、手続き、戦略。
4.訓練 1から3までの手段を使えるようになるまで個人が技術を条件づけすること。(12)
この人工物を言語によって訓練された人間が、方法論を使いながら主体的に問題解決してくこと、それが思考力育成になるとし、人間の能力拡張であるとしているのである。そのためには、人工物、この場合はコンピュータを操作する技術が必要であり、より便利な方法を構築しようしたのであった。そのシステムとは、それまでのカードパンチでのコンピュータ利用ではなく、ディスプレイを通して自分が得たい情報を、複数の「窓」で表示し、操作を「マウス」で行うものだった。そして得たい情報は「窓」の中にある連結を示す部分をクリックすることで、関連する情報が「窓」に表示されるのであった。それは机の上を想定するとわかりやすい。机の上では複数の文献が広げられている。時には実物や標本もあるであろう。それをディスプレイという画面に瞬時に表すのである。書棚から本を持ってきて、該当のページを開く、標本を別の部屋から持ってくるなどの作業を短縮し、すべてを画面で表示していく。これは情報受容の基本的な方法であり、それが複雑化していく時の効率的な対応なのである。この答えを見つけていくということは、一つの正解を求めるだけでなく、答えのない問題を解決していくことになるのであり、それは教育での問題解決学習につながる考えである。
現在普及しているパーソナル・コンピュータの原型がここに登場し、その成果をエンゲルバートは1968年12月9日、Joint Computer ConferenceでのNLS(oN Line System)のデモンストレーションで発表し、高評を博したのであった。エンゲルバートは画面に表示された情報を「情報景色(informationscape)」と呼んでいた。それは、情報を自動的に受容し発信する道具ではなく、問題解決のために情報の受容と発信をするための人間が使う道具として定義し、人間の能力拡張を目指した意識から生んだことばであった。情報集合体でなく、「景色」とした点に情報を使う人間の活動を強調したと考えることができよう。
ラインゴールドはエンゲルバートについて問題解決というキーワードとしてブッシュと共通すると指摘している。
エンゲルバートはヴァネバー・ブッシュのように、人類が解決すべき問題全体の複雑性と緊急性が、社会に培われてきた問題を取り扱う方法を超越するような時代に突入しつつあることに気がついた。またリックライダーが数年後にわかったように、問題解決における情報の取り扱いという副次的な方法自体が、すべての問題への鍵となることが理解できた。最も重要なのはもはや知識の全体量を増加させるための方法を発明することではなく、すでにどこかに見つけられて隠れている答えをつきとめる方法であった。(13)
問題解決のための情報を受容し、発信する道具、それはブッシュが唱えた理論を現実化したものであり、そしてより人間の能力拡張を意識した道具であると、エンゲルバートは意識していたのであった。
このブッシュ、エンゲルバートの概念に影響を受けたのがテッド・ネルソンである。ネルソンはアメリカの社会学者であり、イリノイ大学などさまざまな大学で社会学を講義し、1998年からは慶応大学環境情報学部の客員教授として講義している。ネルソンは、ブッシュの考えた「多数の項目の間のつながりをつくっていく」ことを「ハイパーテキスト」「ハイパーメディア」ということばでより深めていったのである。その概念をネルソンは『リテラリーマシン』にまとめている。
ハイパーテキストを構成するもうひとつのスタイルは、主題の構造を表現することを土台としている。それには、読み進めるための手引きが含まれることもある。要するに、主題を構成するアイデアとアイデアの関連性は、ハイパーテキストのリンクによるテキスト間の関係によって表現されるのだ。(14)
主題を構成するには、それぞれの考えた部分が存在する。その存在を結びつける方法、つまり思考の方法が「ハイパーテキスト」なのである。
ネルソンはこの四人の中では最もコンピュータ科学者らしくない。むしろ芸術家としての傾向が強い。父が映画監督ラルフ・ネルソンで、母が女優セレスト・ホルムという関係であろうからか、映画制作をしたこともある。それゆえ、思考力育成については自由な発想が必要だとし、学校について次のように批判する。
カリキュラムは、どんなテーマでも単純化してしまう。それぞれのテーマの間に存在する多くのつながりを切り落としてしまい、そのテーマの内容の豊かさや本来の魅力をそぎ落とした順序正しい骨組みだけが残るのだ。(15)
そして学校ではすべてを「科目」という分類を押しつけるものであり、アイデアに没頭したり、考えたり、調べたり、仮説をたてたり、興味を持つことを妨げていると指摘する。そのような考えがあるから、ネルソンはブッシュの概念を発展させ、1963年に「ハイパーテキスト」という語で説明した。そして1967年にそのシステムを「Xanadu(ザナドウ)」と名付けて現在も構築中である。ネルソンはすべての情報をコンピュータで互換性がある状態で管理し、そして、お互いに必要な情報を瞬時にリンクしてコンピュータ画面に表示できるようにすることを目的としている。そして画面に複数の情報が表示され、それを比較して自分独自の思考をしていくことを目的としているのである。この情報とはその時間のみのものでなく、思考の経過を記録し、参照できるものである。
このシステムでは、過去の履歴を追跡できるシステムから、変更の過程を見ることで、時間的にも空間的にもスクロールすることができる。(16)
ワープロで文書を推敲し上書き保存すると、推敲前の文書は消滅してしまう。バックアップをとらない限り、残ることはない。バックアップは複製であり、そのもの全てを残すことになる。しかしネルソンは別の考えを用いた。それは、人が意見を構築するときは、さまざまな部分の集合であると考えたのである。それぞれがリンクされて、その全体が意見なのである。ならば、リンクと部品を用意することで、リンクの構造を変えることで推敲前を再現でき、また推敲後を再現できるのである。推敲とは人の考えが変わったことであり、その考えを記録する手段として、文章の複製ではなく、考えた手順の保存を考えたのであった。それをネルソンは「プリズム」と表現した。考えはさまざまな屈折によって成り立つからである。ある考えがあると、推敲のたびに、さまざまな屈折をする。しかし、最初の考える初めは同じである。これが「プリズム」である。つまり、ネルソンとは思考の過程を記録することもこのシステムの特徴として構築していったのである。この思考の過程を明らかにすることを読書の場合、「ザナドウ」では次のようになると述べている。
ノンフィクションを読む場合、積極的な読者は先を急いだり、拾い読みしたり、背景にある材料をあれこれ調べたがるものだ。そういう自発性は有益かつ重要である。もし私たちが、そのような積極的な読者の手助けをしようとして複数の筋道を提供すれば、読者の自発性も増大し、内容を理解するスピードも速くなるだろう。(17)
言語活動の主体が興味を持って情報を獲得していく過程、そしてそこに何かを考え出す作用が機械化できることを考えたのである。それは一方的なものではなく、相手意識の育成の問題もある。
一番難しいのは、どうすれば読者を心地よく保ち、自分がどこにいるかを見失わせないようにするかという問題である。(18)
ここにあるように、情報受容過多による自己意識欠落が問題であると指摘するのである。むしろ、自ら考えるための道具として「ハイパーテキスト」のシステムである「ザナドウ」を構築しているのである。
ネルソンの発想はアイデアを変えて1989年にWWW(World Wide Web)としてハイパーテキストによる分散システムとして世界に登場したのであった。このシステムはバーナース・リー(Tim Berners-Lee)によって考案され、1992年頃に一般に公開され広まったのであった。そしてそれに伴いマーク・アンドリーセン(Marc Andreessen)がWWW用の閲覧ソフト(ブラウザ)であるMOSAICを1993年3月にインターネットで公開し、画像を表示できるブラウザによってインターネットは急速に普及することになったのである。日本においては、日本電電公社の1985年の民営化に伴い、電話回線使用料が低額になり、認可という障壁が取り払われネットワークの実験が始まり、村井純らによって日本語処理の問題などか解決され、通信事業者の多数参入による料金低額などによりインターネット接続が普及してきた(19)。
ブッシュの情報処理概念は、ネルソンによって展開され、そして現在インターネットで普及するに至った。それゆえ、ネットワークの有効利用とは情報受容と情報発信という人間の思考を助ける道具であることが判明する。そのためにコンピュータを利用するのであり、マルチメディアなどといわれるものは、この情報受容は情報発信のための表現媒体であり、コンピュータ利用やマルチメディア作成が教育の目的ではなく、思考力育成がコンピュータ利用の目的なのである。
アラン・ケイはアメリカの人工知能研究者でゼロックス社の研究員であった。ケイはパーソナル・コンピュータの原型であるゼロックスの「alto」を開発し、のちにマッキントッシュで活躍する。ケイはノートパソコンのスタイルの考案者として有名であり、そのパソコンの形式を「ダイナブック」と呼んでいた。ケイはコンピュータは物理的に存在しないものをコンピュータで存在しているかのごときに扱うことができる道具であるとする。
コンピュータそれ自体は道具ではない。コンピュータは最初のメタメディアであり、したがって、かつて見た事もない、そしていまだほとんど研究されていない、表現と描写の自由を持っている。(20)
ここではメタメディアであると述べているが、マーシャル・マクルーハンのメディア論に強い影響を受けており、コンピュータ自体がメッセージであると考えているのである。ケイは教育について次のように述べている。
過去二五年間、主として子どもを対象にして仕事をしてきて、テクノロジーが教育にとってさほど役に立たないことがわかったということだ。(中略) テクノロジーを人間に適用する場合非常に気をつける必要がある。(21)
ケイはこのことを音楽を例に出して説明している。教室にピアノがあっても、音楽家は育つわけではない。音楽はピアノ自体にあるのではなく、人間の感性に存在するものである。このことは、文章に国語教育の思考力が存在するのではなく、読み手の言語活動によって思考力が育成するのと似ている。その読み手の言語活動は個の活動よりも、他者との活動においてより高めていくことができるのである。この他者との関係性については、次の指摘がある。
コンピュータ・テクノロジーで重要な点は、個人によるコンピュータ利用(personal computing)ではなく、心のこもった利用(intimate computing)である。(22)
心のこもった利用ついては機械であるコンピュータを使うのみでは難しい。コンピュータが人間理解への一助となるためには、コミュニケーション・ツールとして利用するか、あるいは、ネルソンのように表現のための調査ツールとして利用するかになるであろう。ケイはコンピュータ技術者でありながら、教育への影響は大きくないと指摘している。それは、思考力は機械では十分に育成することができず、機械が人間を育成することはできないとの限界をすでに理解していからである。
それゆえ、コンピュータの利点は無限であるというよりも、それを使う側の意識によって有効にも無効にもなるのである。代替措置としてのコンピュータ利用ではなく、メディアの複合体としてのコンピュータ利用をしないと、その効果は期待できない。コンピュータの利用とは情報活用である。人工知能研究のK・エリック・ドレクスラー(K. Eric Drexler)は次のように述べている。
ニュースは、私たちの世界を形成する。しかし、現代のメディアは、レポーターが描写できるものを著しく制限してしまう。技術と世界の出来事の話は、幅広い内容があってこそ意味があるが、スペースが限られ締め切りに追われて、必要な内容が取り除かれてしまう。そのため、ますます実際に起きた事を把握できなくなる。(23)
このことは、新聞による情報受容と同じである。発信者がどのような意識でどのように記事を記述するか、その発信者の意図を読み、その意図を通して事実を読みとるという作業を読み手はするのである。そのためには、他の新聞との比較や実際の調査をして読み解くことになる。そのためのツールとして「ハイパーテキスト」が有効であるとドレクスラーは指摘している。
ケイはコンピュータによる変革は大きいと指摘するが、必ずしも理想的な方向へ行くとは考えていない。大きな影響はあっても、それがどのようになるか、期待すべきものでなはいとするのである。コンピュータ利用の大切な点は、「心のこもった利用」であり、人間がコンピュータを使用するのであり、コンピュータに使われるのではないということである。コンピュータ利用には多くの可能性があるとするが、その反面、それを使う側の人間の資質が問われるとケイは指摘するのである。
コンピュータの特性とは、計算処理であり、それは内部として2値の論理値で処理されるものであるが、そのコンピュータを創っていこうとした人々は計算処理のみならず、情報処理ということを目的にしていたのである。それは、多くの情報から必要な情報を加工し、そこから抽出したものを材料として自分なりに思考する。そしてその思考をいろいろな情報を引用しならが、表現していく。ここにコンピュータ利用の根本的な特性があると言えよう。インターネットで情報を得て、ワードプロセッサで考えをまとめる理由などが情報活用の視点からでは一番効率的なコンピュータ利用である。原稿用紙と万年筆がわりでは、コンピュータ利用は十分ではないのである。また、多くの情報から加工することがないと有効なコンピュータ利用とはならない。それは、本をコピーして引用するのと同じだからである。そのように考えるとコンピュータ利用ということは、「ハイパーメディア」利用と概念を拡大すべきものと考えられる。その場合は、コンピュータ関係者だけではなく、メディア論からも分析する必要がある。
文明批評家であるマーシャル・マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan,1911‐1980)は、人間の感覚機能を外部へ拡張していくことのできる人工物を「メディア」ととらえ、人間の中枢神経までコンピューターによって拡大されると指摘した。その理論を『人間拡張の原理』(24)に「メディアはメッセージである」という名言によって、人々はメディアによって変わりつつあることを論じている。それはメディアはその内容ではなく、メディアそのものの実態によって人々の精神構造を変化させるとの指摘である。テレビの内容ではなく、テレビという媒体のもつ本質が人々の考え方や感じ方を変えてしまう。事実、テレビの普及により、授業中に15分ごとにそわそわする子どもが増えたという。それならば、コンピュータというメディアは人々にどのような精神構造の変化をもたらすか、そして教育にはどのように影響するかも検討すべき課題となるであろう。
マクルーハンはラジオがことばや音によって人々を興奮させることができる「ホットメディア」とするのに対して、テレビは人々を視覚によって冷静に批評していくようになる「クールメディア」だとしている。「クールメディア」は情報を受容した時ではなく、その後に人々との参加や関わり合いを要求し、反応していくようになる。それゆえテレビの普及は人々に冷静な姿勢を取らせた。それが、批評である。そして、断片的な映像の連続が人々の考え方までを変えていったと指摘する。特に子どもたちについては、電気的に処理されたデータというものをそのまま受け取ることはなく、多感覚に理解し、一筋の論理ではなくなっているため、これからの教育は知識授与から発見学習へと変化する必要があると指摘するのである。
われわれが新たに教育に関心をもつのは、中心が知識相互の関係に転換した結果による。これまでは、カリキュラムの個々の科目がそれぞればらばらに切り離されていたのであった。(中略) 中心から周辺へ、機械的で一方向に拡大するという古いパターンに執着することは、もはや、われわれの電気の世界には適切ではない。電気は集中化せず、分散化する。(中略) 電気は農家でも重役室でも同じように使えるから、どこが中心になってもよく、大きな集合組織を必要としない。(25)
つまり、教科という枠組みが、教室という壁が崩壊し、総合的な学習へと変換されるべきであると考えているのである。その理由としてさまざまなメディアが多くの情報を伝えるようになり、学校という情報機関の価値が変化してしまうからとしている。
印刷物・映画・テレビ・ラジオで送られてくる情報量は、学校での授業、教科書の情報量をはるかにしのいでいる。この挑戦によって、補助教材としての本の独占が崩壊し、教室の壁そのものが突然、砕かれたために、われわれは混乱し、当惑しているのである。(26)
事実、現在は学校が知識を授与しなくても、すでに他のメディアによって、情報が提供されてしまっている。インターネットなどのネットワークの普及により、教育のメディアによる変化は今後も続くと考えられる。しかし、そのように変化しても教育の目的を情報処理能力だとマクルーハンは考えている。
日常的なこと、情報について判断力があり識別力があることこそ、教育をうけた人間の証拠である。(27)
ここには情報受容と情報発信という情報処理能力の育成を視野に入れている。具体的なメディアが人々に影響することを考えながら、その根本には情報処理能力の育成という教育内容の改善を考えていたのである。その情報処理能力の育成は、ブッシュやエンゲルバート、ネルソンにも共通する意識であった。この情報処理能力の育成という観点をどのように教育では実現していくのか、その方法論の開拓が、教育での大きな課題である。
そして、教師にとって大きな課題は、教育でのコンピュータ利用の現実的な問題である、各教科の目標とどのように連携していくのかという点である。特に、削減されつつある各教科の年間授業時数・単位数に対応するには、効果的な利用について疑問を呈する意見が多い。多くの学校ではコンピュータ利用という目的を掲げながら、その実はコンピュータ操作技術の習得、リテラシーが中心となってしまっている。このような状況ではコンピュータを有効利用した教育を実践していくことは難しい。これらの障壁を乗り越えて、かつ、コンピュータ信仰を乗り越えて、教育の本質からその課題を解決するには、次の点からの検討が必要である。
@情報機器がどのように人々の精神構造を変化させるか [メディアの本質論]
A情報機器がどのような情報を受容・発信するのに適しているか [特性把握]
B情報機器が自分にとって有効な手段なのか [有効性]
C情報機器で思考力・モラルが育成できるのか [教育目標との関連]
D情報機器がどの程度社会に普及するか [社会での共通利用性]
E情報機器利用が年間の授業計画のどこに位置付けられるのか [授業計画の位置]
F情報機器利用の効果的な教育方法は何か [教育方法の改善]
情報受容とは情報を受け入れることだけではない。情報というものが持つ、発信者の意図・主観というものを乗り越えてその向こうにある事実というものを理解することにある。その理解とは、自分にとっての理解であり、それは自分という主観との闘いなのである。もし情報利用が今までの自分の価値観と変わらない受容であるのなら、だれでもがそれぞれ自由に情報を受け入れればよいことになる。それでは、教育で情報を扱う価値はなく、指導する必要はない。教育をうけなくともそのままでよいからである。情報発信とは、発信する意図、利用する媒体の特性、受信する相手との関係などを自分の価値観を通して判断するのである。これらの主観が今までと同じであるのなら、教育の効果は技術論で終わってしまう。教育の目的が人間育成であるのなら、その人間の主観をよりよいものへと向上させていかねばならない。そのためには、他者との出会いが必要であり、他者と自分の比較から自分を止揚することになるのである。それがコンピュータ利用で可能なのかは上記の観点から考え出さねばならず、それはネットワークシステムを創り出した人々の意識にもあるように、人間が情報を処理する主体的な活動でなければならない。コンピュータという道具の利用のみにとらわれては、教育の目標から離れ、主体的ではない機器の使い方を伝授されるに過ぎなくなってしまう。それは今までの知識・技能伝授そのものである。それゆえ、この主体性を育てるにはコンピュータの本質を理解し、その上でこれまでの教育と、これからの社会のさまざまな変化と、そして学習者の実態との分析によって、教育方法を改善しなければならない。つまり、教師がそれぞれの教育の場を総合的に分析し、効果的な方法を考えていくことが求められるのである。いわば教師が、自分の今までの価値観と闘い、新しい価値観を持つこと、教育観の改革、これがコンピュータ利用の教育の大きな課題であると言えよう。
注
(1)文部省「情報教育に関する手引」平成3年7月、文部省
(2)文部省「体系的な情報教育の実施に向けて(平成9年10月3日)(情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議)」平成9年10月3日 文部省
(3)Shera, J.Documentation: its scope and limitations. Library quarterly Vol.21, No.1,1951
(4)(2)に同じ。
(5)ハワード・ラインゴールド『思考のための道具』(パーソナルメディア 1987年12月) 原著「TOOLS FOR THOUGHT」1985年
(6)「As We May Think」(『Atlantic Monthly』1945年8月号) 翻訳文は、上田修一編『情報学基本論文集T』(勁草書房 1989年4月)に所収の武者小路澄子訳「人の思考にように:memex」によった。また、テッド・ネルソン『リテラリーマシン』(アスキー出版局 1994年10月)には「思うがまま」という題で翻訳が掲載されている。
(7)ノーバート・ウィーナー『サイバネティクス』第2版(岩波書店 1962年10月) 初版『人間機械論』という題で出版された。 原著「The Human Use of Human Being」2nd. 1954年
(8)ノーバート・ウィーナー『サイバネティックスはいかにして生まれたか』(みすず書房 1956年12月) 「第十四章」より。 原著「I am a Mathematician」1956年
(9)ウイリアム・アスプレイ『ノイマンとコンピュータの起源』(産業図書 1995年9月)
(10)"relevance"の情報処理での位置づけは、T.サラセヴィク(Tefko Saracevic)の「Relevance: A Review of and a Framework for the Thinking onthe Notion in Information Science」(『Journal of the American Society for Information Science』Vol.26 ,1975)に詳しい。同書は上田修一編『情報学基本論文集U』(勁草書房 1998年5月)に「レレバンス:情報学におけるその概念の外観と枠組み」として翻訳されている。
(11)この論文の翻訳は(5)文献に掲載されているものを使用した。
(12)(11)に同じ。
(13)(11)に同じ。
(14)テッド・ネルソン『リテラリーマシン』(アスキー出版局 1994年10月) 原著「Literary Machines」1981年
(15)(14)に同じ。
(16)(14)に同じ。
(17)(14)に同じ。
(18)(14)に同じ。
(19)村井純『インターネット』(岩波書店 1995年11月)に詳しい。
(20)アラン・ケイ『アラン・ケイ』(アスキー出版局 1992年3月)
(21)アラン・ケイほか『マルチメディア』(岩波書店 1993年12月) 「3 教育」より。
(22)(21)に同じ。
(23)K・エリック・ドレクスラー『創造する機械』(パーソナルメディア 1992年2月) 原著「Engines of Creation」1986年
(24)マーシャル・マクルーハン『人間拡張の原理』(竹内書店 1967年11月) 原著「Understanding Media Extentions of Man」1965年
(25)本文は(24)の原著の別訳である『メディア論』(みすず書房 1987年6月)によった。
(26)マクルーハン/カーペンター『マクルーハン理論』(サイマル出版 1981年2月) 「5 壁のない教室」より。 原著「Explorations in Communication」1966年
(27)(26)に同じ。