情報教育の問題点


1999.3.1
黒川 孝広

はじめに

 情報通信技術の進化により、情報量が増え、それにともない、受信者の思考力が問われる時代にある現在では、この情報と教育との関係が密接になりつつある。知識伝達重視であった教育方法も、2002年実施の学習指導要領では活動重視になりつつある。活動重視になれば、当然情報の取り扱い方を指導することになる。しかし、一般では、情報教育というと、その狭義であるコンピュータ教育が中心であると受け取られている。しかし、コンピュータ教育は、コンピュータを使って教育活動を支援する教育なのか、コンピュータの利用法・作成法の教育なのか、あいまいである。それゆえ、情報教育という概念は、極めて狭義で受け取られてしまっている。 教育学の分野では、情報の取り扱いについて、教育方法や教育内容とともに一層研究を深めていく必要があるが、これは教育学のみでなく、さまざまな学問との連携によってなされるものであり、すでに学問として確立している「情報学」の学問内容についても研究されなければならない。
 本稿においては、その基礎的段階として、情報教育について現時点で考えるべき問題点を列挙することにする。

1.情報教育と「情報活用能力」

1-1.「情報」

 「情報」とは一般に知識のことであるが、そのことに限らず、有形無形の客観的内容や主観の入った内容をも含む。実際には言語、形、音、動作、物質、習慣、感触、臭い、味などすべての状況を含んでいる。多くの場合は理解する主体が推論や分類などを通して、事実に解釈を付加して理解することになる。
 例えば肉筆で紙に書かれた書簡を読む場合、次の「情報」が「ことば」に付加されて受け取られる。
@文字としての面(その文字の「情報」)
 書体、字体(異字体・旧字体・新字体など)、大きさ、形、色合い、 角度、筆触(筆記具による)など
A書式としての面(文字の集合体としての「情報」)
 縦・横書き、句読点(記号として)、一行文字数、行間、文字間、 行の角度、文字数など
B媒体の面(文字の集合体が記されることの「情報」)
書かれた媒体(この場合は紙)の質、大きさ、色、形、下絵、媒 体の形式(はがき、封書などの別)、媒体の形式の付属物(封筒種 類、速達・普通郵便の別、切手、消印、封筒の形・大きさ・質) など
C受け取った時期・手続きの面
 季節、時間、場所、方法(手渡し、郵便配達)など
D発信者の面
 発信者、発信者と受容者との関係など
これらの付加「情報」も個別の独立した「情報」であり、書簡の本文とは別物と考えられるが、実際にはこれらの要素が本文である「情報」の理解に深く影響している。これらは様々な「情報」を自分の感覚により解釈を施したのであり、すでに受容する時点において元の「情報」は受容者の意識の付加された別の意味での「情報」に変化したのである。よって、「情報」を客観的な事実として受け取るには、自分の解釈が付加された受容する内容から付加された自分の解釈を分離することが必要となる。この作業も「情報」を処理することに他ならず、また、これは受容のみならず、発信の場合も同じである。しかし、先にあげた肉筆で書かれた書簡の例では、その書簡を開くことなく捨てられることもある。事実ダイレクトメールなどは発信者を見て必要ないと判断した段階で捨ててしまう。その場合は、書簡ではなく、封筒などに書かれている発信者名、及び発信者に対する関係(感情)などが主「情報」となっているのである。
 これらの例から「情報」の概念は「もの」や「こと」の知識のみでなく、感覚などの様々な状況をも含んだ広い範囲のものであり、受容者は様々な価値をあてはめて付加されたものと規定されるべきである。

1-2.情報活用能力

 「情報活用能力」という概念は臨時教育審議会第二次答申(昭61年4月)で初めて用いられた。(1) その後、各機関(2)では高度情報社会に適応できる能力を育成すべきという観点からこの概念を検討してきた。特に「情報教育に関する手引」(3)では、この概念を次の4項目にまとめている。

@情報の判断、選択、整理、処理能力及び新たな情報の創造、伝達 能力
A情報化社会の特質、情報化の社会や人間に対する影響の理解
B情報の重要性の認識、情報に対する責任感
C情報科学の基礎及び情報手段(特にコンピュータ)の特徴の理解、 基本的な操作能力の習得

 この概念は「体系的な情報教育の実施に向けて」(4)では「教育目標としての明確化」「求められる能力観の変化」「コンピュータ等の整備の進展」「情報通信ネットワーク整備の発展」の観点から見直された。具体的には目標を「受け身から主体性重視」として改訂し、コンピュータ利用を「操作中心から問題解決の道具へ」と改められた。

 情報教育の目標
@情報活用の実践力
  課題や目的に応じて情報手段を適切に活用することを含めて、必要な情報を主体的に収集・判断・表現・処理・創造し、受け手の状況などを踏まえて発信・伝達できる能力
A情報の科学的な理解
  情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と、情報を適切に扱ったり、自らの情報活用を評価・改善するための基礎的な理論や方法の理解
B情報社会に参画する態度
  社会生活の中で情報や情報技術が果たしている役割や及ぼしている影響を理解し、情報モラルの必要性や情報に対する責任について考え、望ましい情報社会の創造に参画しようとする態度

 この概念規定を機能面で考えると、@「情報活用の実践力」とA「情報の科学的な理解」は受容(理解)と発信(表現)に大別できる。もちろん、その中に「内言」としての思考が入る。この思考も実際には受容したもの、及び発信しようとするものを分類、推論、帰納、演繹などにより理解、表現する行為であり、これはコミュニケーションと定義してもよい。ここでのコミュニケーションは人対人の双方向コミュニケーションだけではなく、受容、発信の片方向コミュニケーションも意味する。そうなると、人間の言語の機能すべてに関わることになるので、結局のところ「情報活用能力」とは言語生活の一部であることがわかる。
 次Bの態度は、受容時に必要なものであり、当然前提として考えなければならい受容時、発信時の問題である。このように考えると、「情報」は受容面と発信面の二つに分けることができる。
 ところが、「情報教育の目標」を見直す観点として「コンピュータ等の整備の進展」「情報通信ネットワークの整備の進展」があるが、これらはますますこれらかも進展していくものである。そうなると、この「情報活用能力」は短期間で見直さなければならず、固定できるものではない。そうなると、「情報教育の目標」にある「情報活用能力」の定義は社会状況とともに大きく変化してしまい、一体性のない指導となってしまう。
 そこで「情報活用能力」を次のように定義してみる。この定義ではきわめて広い範囲を扱い曖昧さが残るが、先の肉筆の書簡例でもわかるように「情報」の概念が広いので「情報活用能力」も必然として広い概念となる。

  情報活用能力
  情報受容能力  情報の収集、選択、分析、受信、検索、加工、機器の利用、記憶化、蓄積化、計画、課題設定など
  情報発信能力  表現の手段、方法、記録、機器の利用、記憶の再現、蓄積の利用、加工など

「情報処理能力」については、通産省の情報処理資格試験があるので、ここでは使用しないが、一般では「情報処理」はコンピュータ使用について使われている。しかし、広義で考えれば「情報処理」もこの情報活用能力と同じ内容になるであろう。
 「情報活用能力」は「情報」に対する理解と表現であり、その中に当然思考が入っている。よって、「情報受容能力」は一部の「情報発信能力」を含むのであり、両者は厳密に区別できるものではない。あえて、受容面を強調するのが「情報受容能力」であり、発信面を強調するのが「情報発信能力」である。このことは、国語でのいわゆる「読み」と「表現」という行為には両者が含まれていることと同じである。つまり、情報活用能力は特別にコンピュータなどの機器使用能力を言うのでなく、あらゆる情報を自分で選択し取り入れ、そしてそれをもとに考え、記憶していき、蓄積した記憶をもとに様々な記憶を組み合わせて表現するという行為の能力である。その結果、自分自身を表現することになる。自らの判断で自ら考えていくという思考力育成が情報教育なのである。
 以上により、情報教育とは生徒自らが行動し、学習することで思考力を育成するという、自己教育力育成と問題解決能力育成の教育であると定義できる。

1-3.マルチメディア

 文部省発表の「マルチメディアの発展に対応した文教施策の推進について(審議のまとめ)」ではマルチメディア(multi‐media)を次のように規定している。(5)

マルチメディアについては,一律の厳密な定義にはなじみにくい面があり,現時点で各方面から様々な説明がなされているが,基本的には,従来の諸メディアに比べ,
・文字,数字,映像,音声等の多様な情報の一体的取り扱いが可能であること
・一方的な情報伝達に留まらず,利用者による主体的な情報の編集,加工,検索等を可能とする機能を持つこと
・高度情報通信ネットワークによって相互に結ばれることにより,上記のような特性を生かした多様で大量の情報交流が可能にな  ること
等の特色を持つ情報媒体・手段ということができる。なお,マルチメディアを,システムとしての面から捉え,例えば,ワードプロセッサー,計算機,コピー機,印刷機や,ビデオ,CD,さらには電話,ファクシミリ,テレビ,ラジオ等の有する諸機能を一体的に組み合わせて使うことができる,コンピュータを中核とする機器・装置等とする説明も見られる。

また、各種の辞典類でもほぼ同様の内容であり、「音声・画像・データ」の三要素を組み合わせる媒体の総称としている。端的な訳語を求めるなら「複合媒体」となる。だが、「複合媒体」ならミックストメディア(mixed-media)と表記した方が適切である。
 ここで意味するところのマルチメディアはコンピュータ等を含むが、より効果的なマルチメディアは、人間そのものなのである。例えば、人が資料をもとに発表する時、身振り手振りやことばのイントネーションやプロミネンスなど様々な言語、非言語要素により適切に表現しようとする。また、そのときにBGMや画像による説明をすることは、音声・画像・データ(実物、数値、言語などの資料)を合わせて伝達することになる。情報教育がマルチメディアを標榜するのであれば、それを使いこなす基本は発表などのプレゼンテーションにある。その時に機器を利用していくのか、身体を使うのかなどの違いにより解釈は異なるであろうが、一般には伝達のための表現にほかならない。そこで、人間も含めたものを広義のマルチメディアとし、コンピュータなどの機器を狭義のマルチメディアとする。ただ、狭義のマルチメディアである複合媒体機器の中でもテレビやコンピュータとは違いがある。それは、片方向性か双方向性かということである。テレビは番組選択として情報を選択できるが、番組などを加工するにはテレビだけでは不可能である。一方コンピュータは情報を受容しそれを処理して発信もできる。情報受容か情報発信か、その両方かという面から考えると、コンピュータなどの双方向の媒体の方が効果はあると考えられる。
 しかし、日常生活において、マルチメディアの使用状況は高いとは言えない。ほとんどが対人間であり、その次が対書類である。それを考えると、マルチメディア機器はあくまで機器利用の問題であり、情報教育の狭い範囲のことにしかならない。狭義のマルチメディアは効果的に利用すれば、情報教育に有機的な効果をもたらすのは間違いない。しかし、情報教育の中心にはなり得ないのである。広義のマルチメディアを実践するには、まず情報教育の中の効果的表現を指導していく必要がある。そのためには、日常の授業活動に効果的表現を学習する機会を増やすべきである。それは情報機器利用教育という特別な指導ではなく、各教科の活動で十分対応できるものである。
 マルチメディアを扱う教育は機器利用に偏ることなく、思考力育成の情報教育の原点に立ち戻って、指導過程と指導目標とを整理し、情報受容と情報発信の効果的な媒体利用することを指導すべきである。

1-4.情報機器利用教育

 情報機器利用教育では、コンピュータやビデオ、テレビ、ラジオ、CD、MD、DVD、写真、テープレコーダーなど様々な機器により、情報受容と情報発信を指導することである。また、そのために機器の特性を理解する方法と、操作方法まで理解する指導をする必要がある。これは調査研究協力者会議でも「情報手段」(6)として明記されている。
実際の学習活動では、情報手段を具体的に活用する体験が必要であり、必要最小限の基本操作の習得にも配慮する必要がある。(ここで言う情報手段は、コンピュータ等の情報機器や情報通信ネットワーク等を指す。)
だが、情報機器の操作方法のみでは、知識・技能の伝達に終始してしまう。それでは、情報教育の一部分となってしまい、自己教育力や問題解決能力を育成するための思考力育成にはならない。
 現在、情報化教育と聞けばコンピュータ教育である価値観が根付いている。事実文部省や通産省などでは学校にコンピュータを導入すべく各予算やプロジェクトが進んでいる。コンピュータの特性である、情報受容と情報発信、そして蓄積できる面が他の機器に比べて秀でているからである。このように情報機器利用については他の機器との差と同時に、情報受容、情報発信の手段として生徒の思考力育成になるかどうか見極める必要がある。
 情報機器利用教育では次の観点から計画すべきである。

@情報機器がどのような情報を受容・発信するのに適しているか。
  情報の特性
A情報機器が自分にとって有効な手段なのか。
  効果性
B情報機器で思考力が育成できるのか
  教育目標との関連
C情報機器がどの程度社会に普及するか
  社会での共通利用性

 情報機器利用教育では、コンピュータで教育しようとするCAIの考えがある。しかし、教育が人間同士の営みであることと、コミュニケーションの質の変化が問題になっている現代であるとから、CAI(7)の発想はオーサリングシテスムが十分に普及しなかったこともあって、導入を見合わせている学校が多い。
 そのため、CAIではなくCMI(8)を導入しているようである。実際に教員でコンピュータを利用しているのは、試験問題や成績処理、公用文書などを作成のため、ワープロ、表計算ソフトを使用しているのがほとんどである。

2.学習指導要領と情報教育

2-1.審議会での情報教育の扱い

 行政側として教育に情報を取り入れようとしたのは昭和40年代からであり、特に昭和44年の教育課程審議会では情報処理教育の目標を次のようにしている。

情報処理に関する知識を深めるとともに、情報の収集、整理、利用など適切な情報処理を行うための基礎知識を養う

 その後、昭和45年の高等学校学習指導要領に「情報処理に関する科目」が商業と工業を導入され、現実として教育の中に「情報」の語と概念が入りつつあった。この「情報処理」は機器による情報処理であり、狭義の「情報」の意味であった。
 昭和59年から62年までの臨時教育審議会では、「情報化などの変化への対応」を審議している。昭和61年4月の臨教審第二次答申には「情報活用能力」「情報の教育での活用」「情報化の光と影」に触れている。その後、平成元年3月に学習指導要領が告示され、現在にいたる。
 その間も、平成6年6月に「マルチメディアの発展に対応した文教施策の推進に関する懇談会」が設置された。
 第15期中央教育審議会では平成8年7月に第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」を発表した。その中で、
・コンピュータ、情報通信ネットワークの生かし方を検討
・情報リテラシー(情報活用能力)の育成を図る
・情報機器や情報通信ネットワーク環境を整備した「新しい学校」 の創造
・情報化の進展がもたらす「光と影」に対応
などを提言している。
 平成10年4月改訂の「教育改革プログラム」では「情報教育の充実」において、平成11年度までに公立学校で、
小学校     22台(児童2人に1台で指導)
中・高校    42台(生徒1人に1台で指導)
特殊教育諸学校  8台(児童生徒1人に1台で指導)
を導入することを計画としている。また、情報通信ネットワークについて、インターネットを小学校は平成15年度まで、その他の学校は平成13年度までに導入することを計画としている。これらはほぼ計画通りに進捗している。また、教員養成についても指導力の向上を掲げている。その中でも、注目するのは、図書館での情報化である。

情報化等の時代の進展に応じた新しい司書教諭講習科目を平成11年度から導入して、「学習情報センター」としての学校図書館の機能の充実や国際子ども図書館とのコンピュータによる情報ネットワーク化の推進等に努める。さらに、図書・各種情報ソフトの充実等をはじめとする今後の学校図書館の振興方策についての検討を進め、長期的視野に立った整備・充実を図る。

情報機関としての図書館の拡充は書籍資料とともにより便利になる。読書離れが問題になっている昨今では、図書館を生徒の集まる場所として位置づけることが必要である。不登校気味の生徒が保健室や図書館には入ることができるということをいくつか耳にしている。そのためにも、図書館の拡充は急務である。情報機器は情報の集まる場所の近くに設置するのが望ましい。
平成10年7月の教育課程審議会の答申では、情報機器利用について多くの教科・科目で指導するよう提言している。利用促進と同時に、臨時教育審議会に出された「光と影」の部分についても継続して触れている。
情報に関する教育の推進に当たっては、人間関係の希薄化や実体験の不足の招来など、情報化が児童生徒に与える「影」の部分に十分留意することが望まれる。
この記述は今後も継続されるものと思われる。この部分はいつの時代でも変わらない基本的な問題だからである。特に人間関係の基本はコミュニケーションであり、コミュニケーションの機会を増やすことが人間関係を構築することができるからである。
 この教育課程審議会答申では具体的な情報機器利用を提言している。

小学校−「総合的な学習の時間」、各教科
 コンピュータ等を適切に活用
  −情報化に対応する教育
中学校−技術・家庭科
 コンピュータの基礎的な活用技術の習得
  −情報に関する基礎的内容の教育
高等学校−情報科
 情報を適切に判断・分析するための知識・技能を習得
  −情報社会に主体的に対応する態度を育てる

 2002年以後はすべての公立学校でコンピュータが導入され、過半数の教員がコンピュータを操作できるようになるので、より教科・科目に指導項目が入るものと思われる。しかし、それについては、実際の運営と教育目的の観点から十分に検討する必要がある。

2-2.高等学校の学習指導要領での情報機器利用教育

 高等学校の現行の学習指導要領では、情報処理の専門科目があるためか、各教科ではレポートでコンピュータを作成する程度の指導事項しかない。数学のようにプログラムの作成をするなど、多少の教科には専門的な指導はあるが、ほとんどの教科にはない。今回改訂される学習指導要領では、多くの教科でコンピュータ利用の指導項目が入るようであるが、教科の特性からその程度は現在より大幅に変更されることはないと考えられる。授業の基本的な指導過程は現在とそう変わることはないからである。高等学校においては、日常の授業活動よりも特別活動や自主的な調査などの時間にコンピュータ利用をしていくのが望ましい。それは、思考力育成とともに問題解決学習にコンピュータ利用が適しているからである。
 現在の教育では、次のようにコンピュータ教育を扱っている。
小学校段階−教具
  コンピュータに触れ、慣れ親しむ
中学校段階−技術・家庭科の選択領域「情報基礎」
  コンピュータの役割や機能を理解
  情報を適切に活用する基礎的な能力を育成
中学校及び高等学校−数学、理科、家庭科
  コンピュータの原理等を扱う
 なお、教育課程審議会の答申(9)では、新たに「情報科」が設置され、「情報A」、「情報B」、「情報C」のうちから一科目を必修としている。これは、
高等学校においては、情報手段の活用を図りながら情報を適切に判断・分析するための知識・技能を習得させ、情報社会に主体的に対応する態度を育てることなどを内容とする教科「情報」を新設し必修とすることが適当である。
という判断からである。高校においては各科目にコンピュータ利用指導をするのではなく、「情報」を必修とし、ここで指導するとしている。

2-3.中学校学習指導要領案での情報機器利用教育

 2002年からの中学校学習指導要領案が発表された。(11) その中で情報機器利用教育についての取り扱いが明示されている。その要点は、

2 自ら学び、自ら考える力を育成すること。
・各教科及び「総合的な学習の時間」で体験的な学習、問題解決的 な学習の充実。
・各教科等で知的好奇心や探究心、論理的な思考力や表現力の育成 を重視。
・コンピュータ等の情報手段の活用を一層推進。中学校技術・家庭 科で情報に関する内容を必修化 など。

とある。(12) ここでは情報教育は自ら学び、自ら考える力として位置づけられる。現行に比べて「技術・家庭」の情報に関する内容を必修化することなど、技術としてのコンピュータ利用や他の情報機器利用教育について扱うとされている。情報教育はすべに述べてきたように、様々な教科・科目においてすでに実施されてきた内容を含む。今回の要点では「自ら学び、自ら考える力を育成する」ことに情報教育が含まれているので、学習指導要領案での情報教育の考えは、「問題解決学習」、「論理的な思考力や表現力の育成」を目指す学習の一助であることがわかる。
 現行の学習指導要領でも技術・家庭の選択である「F情報基礎」の目標で、
コンピュータの操作等を通して、その役割と機能について理解させ、情報を適切に活用する基礎的な能力を養う。
とコンピュータ操作指導がされている。指導内容はほとんどがコンピュータの基本操作であり、情報の取り扱いはソフトウェアを使いながら、「選択、整理、処理、表現などを行わせる」とある程度である。
 2002年実施の学習指導要領案では、操作はもちろんのこと、情報の取り扱いの方が重視されている。これは、コンピュータの普及と整備に関連している。コンピュータの基本利用は技術・家庭で指導し、情報の取り扱いが他教科で利用となるであろう。しかし、教科による特性があり、向き不向きがある。特定の教科で指導しようとすると、使用方法に時間がかかり、指導目標を達成できないことが生じる。情報機器利用教育は、一教科で指導するよりも、「総合的な学習の時間」などの横断的な教科において、思考力を育成することを目標として再認識し、実施するのが望ましい。今後、授業時間の削減と指導内容の厳選により、指導する時間が不足する懸念がある。そのためにも、いくら時間をかけて、じっくり情報について指導し、生徒も時間をかけて情報受容し情報発信する機会を多く与えてい必要がある。そのためにも「総合的な学習の時間」などで取り組む方がよい。

3.その他の問題

3-1.道具としてのコンピュータ

 コンピュータは万能であるがごとき神話がある。しかし、コンピュータは計算をし、記憶をする、あるいは情報を集める道具なのである。万年筆と同等であるが、それよりは付加価値が多いだけである。あくまでも使うのは人間である。使う目的や情報に対応できる能力を育成しつつ使わないと、いつまでたってもコンピュータに使われてしまう。教員に話を聞いても、「ワープロ専用機の方が早かった」「手書きの方が早かった」などの答えが多い。使いこなすまではブラックボックスなのである。使いこなすとそれは便利な道具であり、その限界も見えてくる。コンピュータに夢を託すのはよいが、それでも、まだまだ発展途上の道具なのである。
 その道具を使いこなすには、まず使うことである。それも、必然性から使うのである。必然性から使うということと、もう一つは楽しむために使うということも大切である。コンピュータを使い始めの頃はだれしもゲームをしていたはずである。ゲームをしたり、いろいろ遊ぶうちに、コンピュータになれていく。学校に導入するコンピュータにはぜひゲームなどを入れて、まずは楽しむとをするのもよい。それは、教員とて同じことである。

3-2.効率を求める情報教育

 情報処理では効率的な検索、運用が求められるが、学校教育では必ずしも効率を求めることはない。じっくりと調べていくことも必要であり、いろいろな試行錯誤も達成感を得るには必要である。それが自己教育力や問題解決能力を育成するのである。調査研究協力者会議の報告書では効率化のための能力育成の観点が見られる。
人間の問題解決はしばしば試行錯誤的であるが、シミュレーション手法を活用することにより、今日では、環境問題や都市計画、経済活動など、科学技術から社会的事象に至るまで、あらゆる分野の問題解決に係る研究が極めて効率的かつ効果的に行えるようになってきた。このシミュレーション手法を活用するためには、対象を目的に応じて適切にモデル化し、その結果の信頼性や有効範囲などを評価する能力が必要である。
何事も効率的に運用することは経済的な効果を求める。しかしあまりにも効率を求めることを問題にされている時に、効率的能力を重視することは自己教育力の観点からは離れてしまう。定まったスタイルや効率のみでなく、自己教育力の育成と、問題解決学習能力の育成として情報教育を捉えるべきである。

3-3.教科内で指導できる内容

情報教育は情報機器を使用しなくてもできる。ほとんどの教科で情報の内容を正確に読みとることや、情報の内容を分析し選択することなど、どの教科にも共通する内容である。事実、調査研究協力者会議の報告書(13)にある「情報の科学的な理解」の内容として次の項目を提示しているが、そのほとんどはどの教科でも十分に指導できる内容である。

・伝えたい情報を、伝えたい相手の状況などを踏まえて、より効果的に伝えるための文字、音声、画像などのマルチメディアの表現法や、数式、図、表、アルゴリズム(手順)などの事象間の関係を表すための情報の表現法

 これは、プレゼンテーションの技法と同じであるが、図やグラフなどは手書きでも十分に表現できる。実際に生徒に指導すると、生徒はまずレイアウトを下書きをする。そこに図やグラフを手書きで書き入れる。そこに教師がアドバイスをする。そうして生徒は図やグラフの効果的表現を理解する。

・実験・観察、調査などのデータを正しく収集し分析するための統計的見方・考え方や、そのために必要となるモデル化の方法
・将来の結果予想や、与える条件を変えることによってどのように結果が変化するかを知るために有効となるシミュレーション手法

 実験、観察は必ずしも理科のみで行うものではない。観察や調査はどの教科においても共通する。データ収集や分析は、学級で話し合ったりすることでより高めていくことができる。

・情報を的確かつ効果的に伝えたり、誤った情報の判断を未然に防ぐ上で役立つ、人間の感覚・知覚や記憶、思考などの認知的特性

 誤った情報の判断は、実際に誤ったときに効果的に学習する。それもできれば、学校内での体験で終えたい。あえて生理学的に特性を知るのは、高等教育に進学してからでも十分である。

・情報の伝達や処理、記録などに活用される代表的な情報手段の機能の分類や、長所短所、類似点・相違点、活用に適した場面と適さない場面など、情報手段を活用する上で必要な情報手段の特性

 これは、各教科での話し合いからもいくつか情報手段について検討できる。現代社会や国語、理科などでの話し合いでも十分に学習できる。
 これらのように情報教育では各教科を有効に学習することで、情報を正しく受容すること、発信することを学ぶ。そのためにも、何度も学級で受容・発信の機会を与えることである。

3-4.多対多への情報教育

 情報活用教育が個人を対象として行われるのであれば、個別指導が中心となる。しかし、学校において情報活用教育をするのであれば、学級という集団、あるいは学校という集団を活用しなければ、学校で指導する必然性が薄い。学校で指導する以上は、集団での中での教育をすべきである。一対一の指導から一対多、多対多の指導を組み合わせて、その中の一つに限定するのではなく、有機的に場合をわけて指導していくべきである。
 特に、情報活用が収集のみに終わることなく、理解と表現とは常に一体によってなされるものであり、そのためにも、情報活用教育は、コミュニケーション教育と同じ手法をとることとなる。ただ、情報活用教育においては、機器利用が多いだけである。
 効果的な情報受容と情報発信を考えればコンピュータ以外の単純な方法の方がより訴求力のある表現となることもある。わざわざ知人に伝言するのに、コンピュータで処理し、ワープロでプリントアウトするよりも、チラシの裏に簡単に鉛筆で書いてもよいのである。状況や場面によって、表現効果は異なる。このことも、情報教育では取り扱うべきである。
 高度情報化社会になっていくほど、人と人とのコミュニケーションの質が問題になってくる。そのためにも、あえて機器を使用しないで学校という集団の場でコミュニケーションの機会を与え、その中で情報の受容と発信をしていくことで、自分自身を知り、他者を理解し、人と人とのつながりの社会を認識していくことも必要である。そのためにも、情報教育では、直接対面のコミュニケーションを大切にすべきである。

3-5.情報検索の場としての図書館の利用

 インターネットにしてもいかにも便利な情報機関であるがごとき宣伝が日々テレビをにぎわす。もちろん、情報機関としてはとても便利なものではある。しかし、情報発信者が情報を発信しないと機能しないのがインターネットである。そのため、必要だと思って検索エンジンで調べたら、思いの外多くのホームページが検索され、それをどう調べていいかとまどうこともある。そして、そのページが実はまったく必要でない情報だという場合もある。また、特定の分野について、特に歴史的な情報は少ない。また、電子テキストである以上、漢字の異体字や書写体などの文字情報は画像でないと読み込めないことがある。このような状態では、図書の方がまだ多くの情報を引き出すことができる。
 インターネットではだれでもが簡単にホームページを公開できるので、情報の信頼性が薄い。怪情報や誤情報なども多い。作為的に偏った情報により作成された資料もあり、そして子どもに有害な情報も多いのである。有効な部分もあれば、害もある。このことをきちんと認識させ、判断する能力を育成しないと、子どもに精神的なダメージを与える。またそのような状況では自己責任の意識を育成する必要もあるが、それは学校という場において各教科で育成するのが望ましく、インターネットで指導するものでもない。
 必要な情報を取り出すには技術が必要である。もちろんサーチャーを養成するのではない。むしろ、もっと基本的な情報検索の指導が必要である。それはインターネットなどを使わずとも図書館でできる。図書館でのリファレンスの作業が情報検索なのである。印刷物の量が多く、歴史もある日本では図書情報が有効であり、貴重である。図書は財産であり、文化である。図書館離れや読書離れが問題なっている現在だからこそ、図書館でのリファレンスの指導を多く取り入れて、自らが調べて、問題を解決する能力を育成しないと、いくらコンピュータで調べても、コンピュータで調べたという情報受信力の育成でしかない。問題解決能力の育成にならないのである。むしろ、情報はもっと多くの図書館の二次資料や三次資料、そして実地調査の一次資料を調べていくという外へ広がる情報検索の力を養うことが先決である。図書館での資料調査は思いもかけないところから必要な資料が発見できたりする。また、調べている資料ではないが、おもしろい資料に出会えたりする。検索は必要なものを必要なだけすぐに取り出すのではあるが、実はちょっとした検索の失敗からおもしろいことに出会うこともある。インターネットでは、その失敗は意外な結果になりやすい。しかし、学校の図書館ならあらかじめ図書は選んである。つまり、情報の質が保たれているのである。その中から資料を探すのは、実は容易な方法であると同時に、子どもたちに安心して調査の機会を与えることになる。図書館での練習を終えればいくらか情報の取り扱い方についてなれるので、その後でインターネットなどで調べることを学ぶのもよいであろう。

3-6.環境問題

 コンピュータを導入すれば、ペーパーレス社会ができると信じられてきた。しかし、実際には、プリンターやコピー、デジタルカメラ、ビデオの普及で印刷がより便利になった。よって、今までより手軽に紙を使用する傾向にある。そこで、使用した紙の裏を再使用したり、古紙再生紙を使用するなどの対策がとられてきた。資源に対する問題として社会全体で紙の使用は工夫されている。しかし、再利用が増えていても紙の使用量が減っているわけではない。紙の使用自体を減らすには、手軽にプリンターやコピーを使用することから、プリンターやコピーを使用する目的をしっかり認識し、その情報を処理する目的を的確に捉えて最低限の使用にとどめなければならない。そのためにも、情報教育は情報媒体についての十分な指導が必要となるのである。単に効果的な表現媒体ということでなく、環境を意識した媒体利用として無駄・無理のないような使用が求められる。もちろんそれは節約とケチとは異なる観点であり、例えば学校行事でもっともゴミが出る文化祭をゴミを原因として廃止するというのは、教育的配慮を欠いてしまうのである。学校が子どもの思考力育成とともに文化の継承、社会への適応などの様々な面を育成しているのなら、学校で練習する場が必要である。そのためにも文化祭は十分必要なのである。むしろ、文化祭を通してゴミ処理や環境問題について考え、対策を講じていく行動を育成すべきである。
 紙以外にも問題点はある。私は1977年よりコンピュータを使用してきたが、最初はBASICであり、当初は50件の並び替えでもかなり時間がかかった。記憶媒体はカセットテープであった。しかし、年々機器は進化し、フロッピーディスクやハードディスクなどの周辺機器の進化、コンピュータのマイクロプロセッサの速度や容量の向上、オペレーティングシステム(以下OS)の進化など急速に変化してきた。BASICからMS-DOSまではCUI(14)であったが、Windowsになって、GUI(15)になり、操作は大きく変化した。その間に使用したコンピュータは10種類を越える。そのたびに操作は少しずつ異なり、またソフトも年に1度程度バージョンアップしていた。ここでの問題は、旧式の機器では現在のソフトウェアが使用できない点である。そのため、買い換えをしなければならない。コンピュータ周辺機器も同様であり、産業廃棄物として処分される数は年々増加している。また、ソフトのバージョンアップのたびにマニュアルや梱包材などかなりの資源が使われ、捨てられていく。このように情報化により機器の進化、ソフトの進化により、機器やソフト及びその付随物がゴミとして出されていく。これも環境問題に関わるのである。
 また、コンピュータや周辺機器の電気使用量も環境問題となる。以前に比べてコンピュータ本体の電気使用量は少なくなるよう設計されてきたが、コンピュータの絶対量が増えているので、電気使用量は当然増加する。私の勤務校でもコンピュータの増加に伴い、校舎の電気容量を増やした。コンピュータだけでなく、周辺機器も電気製品である。電気使用も環境問題の一部であり、その使用についても、単に便利さの追求という面のみでなく、十分に教育上指導していく必要がある。
 もちろん、コンピュータに限らず、情報教育では多種の環境問題がある。特に教科書、副教材は1997年度の教科書に使われた紙は年間1.1万トンとなるという。(16) そのうち小・中学校では無償配布されており、その予算として1997年度は約435億円が計上されている。(17) 教科書協会では高校の教科書は1998年度から、中学の教科書は1999年度から本文に再生紙を使用することにしたと発表している。しかし、再生紙を使用しても、教科書配布の現状では、毎年1万トン以上の教科書が使用されなくなり、それがゴミとなる。家庭でも年度末では教科書や副読本などをゴミとして出すという。いくら再生紙を使用してもゴミ問題解決の一部でしかない。教科書の形態を欧米のように、ハードカバーにして貸与とし、6年間は使えるようにして対処すべきである。それにより、5万トン以上の資源が節約できる。教科書会社の経営の問題になるのであれば、その分教科書価格を変動させることもでき、今後の検討事項となるであろう。だが、使用量削減しなけば、絶対的な環境問題の解決にはならない。教科書も情報教育の教材である以上、教科書の利用と生産の問題は避けて通れないはずである。
 いずれの問題も情報教育ならではの情報活用能力の育成として、これら環境問題について十分に指導していかなければらない。

3-7.人間工学・健康面での配慮

 コンピュータを使う環境についても人間工学的に指摘がされている。コンピュータが電気機器であること、コンピュータ画面がテレビの画面と同じ発光画面であること、机の高さや椅子、空調など様々な問題がある。
 斉藤進氏は

コンピュータの画面を悪い姿勢で見続けることが、子どもたちの視力、ひいては心身の発達に及ぼす影響を考えざるを得ない。(18)

と述べている。また、大人のための画面、机、椅子をそのまま子どもが使うことが子どもに悪い姿勢を強いていまうことを指摘している。
 エルゴノミクスとも言われ、ディスプレイの光や電磁波などが問題とされ、スウェーデンでは各団体が独自な基準を作成しているなど、海外では電磁波などの対策が盛んであるが、日本においてはあまりされていない。
 コンピュータを使っている子どもを見ると、かなり長時間画面に向かったままで、同じ姿勢を保ちつつ操作している。それでは、身体発達からみてもよいわけはない。人間工学の視点、健康への影響の一次的、二次的な問題をも十分に考慮すべきである。性急な導入に対しての様々な警鐘は単に新しい教育への反旗ではなく、教育の基礎・基本を重視するとで、不易と流行の部分をきちんと見分けた結果として批判である。情報教育ではこのことを十分に認識すべきである。

3-8.コンピュータの普及による生徒の差

 学校でコンピュータを取り扱う場合、時代の変化に影響する。コンピュータが家庭に導入されれば、学校で対応するりもすでに使用や表現の方法など身につけることがある。そうなると、学校での指導に差が生じる。コンピュータを積極的に家庭で使用できる生徒は、そのまま学校でも用意に使用できる。その部分を評価として組み入れると、生徒の間には不公平感が生じる。この問題はコンピュータ利用教育の指導計画作成が難しいことを意味する。学校が整備する以上にコンピュータの普及速度が速く、学校以外で利用法を学ぶ場が増えてくる。それにより、学校で利用法を指導する必要性が少なくなるのである。学校でビデオ操作やラジカセ操作の指導をしないのと同じ、コンピュータの普及に伴って利用指導が必要なくなってくるのである。そして、利用指導は情報の取り扱いの指導へと変化していく。特に小・中学校で利用指導がされているので、その児童・生徒が高校に進学した時には、利用指導ではなく、効果的な情報の取り扱いへの指導を考えないと生徒の興味・関心は薄れてしまう。
 または、学校の機種が古くなり家庭での連携ができずに不満の声があがることもある。小・中・高校でコンピュータのOSや機種が異なってしまうのも問題である。OSの違うと、小学校で作成したデータが中学の授業で活かされなかったり、機器利用指導をもう一度初めからしないといけなくなる。そうなると、すでに習っている生徒と、そうでない生徒の差は開いてしまう。このことも全学校規模で考慮しないと指導の際にトラブルが発生してしまう。
 また、備品の量と学校の評価の問題もある。学校にコンピュータがあることが学校の質(ランク)が決められてしまうことになりかねない。どの学校でも最近はコンピュータ教室について宣伝文句にしている。ソフトが大切な教育においてハードを重点的に宣伝するという本末転倒の出来事も起きかねない。

3-9.開発言語の問題

 開発言語の種類も情報教育では問題となる。数学などで使用する場合、多くの副読本などは BASIC において記述されている。しかし、現在では、独自の開発言語を使用しなくてもソフトウェアの機能で対応できることもある。昔ならパーソナルコンピュータは自動的に BASIC が起動できた。しかし、現在は別に開発言語を購入しないと運用できない。また、現在のコンピュータ言語が実務では COBOL や FORTRAN であるが、OSの主流となっているWidnows(19)ではオブジェクト指向言語によって開発することとなる。すなわち、 ObjectPascal や C++ あるいは JAVA などである。BASIC はほとんど実務では使用されていない。そのような状況では、CUI対応の BASIC よりもGUI対応の開発言語によって指導する方が、系統的な学習が可能となる。その面では、従来より大学では導入されていた構文学習がしやすい Pascal や C 、C++ などを中心とした言語を中学・高校でも導入した方が連携できるのである。現在は、Delphi(20) 、VisualC++(21) 、C++Builder などの非常に簡単にプログラムの学習ができるソフトウェアが発売されている。プログラムによるコンピュータ利用の指導を考えるなら、これらのRADツールである開発言語ソフトウェアについても検討する必要がある。

3-10.指導者養成

 平成9年度では、96.9%の公立学校にパソコンが設置され、公立高校では100%になった。(22) 文部省の計画では平成11年度までにすべての小、中、高校に
小学校 22台(児童2人に1台)
中学校 42台(生徒1人に1台)
高 校 42台(生徒1人に1台)
のコンピュータを導入する。それとともに、コンピュータを使う人も増えて、コンピュータを操作できる教員は全体で49.0%と年4%ずつ増えている。この傾向が続けば2002年には65%の教員が使えることになる。もちろん、使わない教員もいるはずなので、70%を越えるにはしばらく時間がかかるであろう。これだけ操作できる教員がいれば、コンピュータの指導も十分にできるように感じられるが、この操作は、
・ファイルを開く、閉じる
・ワープロを使える
・表計算ソフトを使える
・データベースソフトを使える
・インターネットにアクセスできる
などのうち2以上に該当する数であり、決して指導者の数ではない。授業で生徒に指導できる教員の数は、全体で22.3%にすぎない。昨今では教員対象の研修も盛んであるが、コンピュータ利用の指導は操作できることは別次元である。研修内容がインストラクションではなく、機器の操作の研修がほとんどであることが問題なのである。生徒にわかりやすく指導するには、操作の指導方法とともに、情報受容、情報発信の概念をきちんと認識した上で指導する技術が必要である。
 そしてコンピュータは機械である以上、不具合や故障が起きる。その対処にコンピュータを操作できる教員が動員される。しかし、コンピュータの調整は時間がかかる。また、予想以外の不具合も発生する。それは、使用方法の問題もあれば、機器の問題、ソフトウェアの問題、オペレーティングシステムの問題など様々である。その原因追及と対策を講じるのに、かなりの時間を要する。それを保守契約で修理できれば一番よいのだが、その予算はなかなか獲得できない。一度購入すればそのままというわけでなく、常に保守のために費用が必要となる。そのことまで考えて予算作成しないと後々に影響する。このあたりに、コンピュータ導入の問題がある。
 コンピュータは導入されたものの、どう使っていいものかわからないというのが多くの教員の本音であろう。その本音をあえて打破する必要はない。授業の形態はほとんど現在と変化はないはずだからだ。授業でコンピュータを利用するのは、一年間に多くて数回にすぎない。その他は生徒が自由に使う情報の道具して機能すればよいのである。ところが、自由に使うにしても、だれがその生徒を指導するか、教員がいないときはどうするかなど問題は多い。多くの学校では、授業以外ではコンピュータのある部屋に鍵をかけてしまうという。ある学校では、マウスやキーボードがすぐに壊されたという。液晶画面だと、シャープペンで穴をあけてしまうという。このような予期できないトラブルは多い。それを総合して予期でき、対処できるような指導者を育成しない限りは、いくらコンピュータが優れているからといっても、単なる箱で終わってしまう。

3-11.著作権

 学校では様々なコピー(複製)や印刷物が作られる。それらは情報を加工したものである。その情報自体の取り扱いには著作権が関わる。このことは情報の基本である。このことを指導せずにインターネットなどの情報機器を使うことは安易に情報を使うことになり、様々な権利を侵害することになる。それこそ、生徒に法を破ることをさせないためにも、しっかり学習すべき内容である。
 著作権は知的所有権の一部であるとされている。

  知的所有権──┬──著作権(著作隣接権を含む)
   (無体財産権)├─ 工業所有権─┬─特許権
            │            ├─実用新案権
            │            ├─意匠権
            │            └─商標権
            └─ その他
著作権のみならず、ロゴやシンボルマーク、製品名などの商標や意匠などの使用にも注意したい。
 まず教員側で注意する著作権の内容は、授業での利用である。授業で作成するプリントなどは著作権法で使用が認められている。これは、本や雑誌・新聞のコピーや、インターネットのホームページ情報、パソコンの画面など様々な情報である。使用の際の注意事項は次の項目すべてを満たさなければならない。(第35条)

使用者 教育を担任する者
使用目的 授業の過程における使用に供することを目的とする場合
範  囲 必要と認められる限度
使用物 公表された著作物
注意事項 著作権者の利益を不当に害さないこと

 ただし、業者が作成した教育的副読本やワークブックの類は対象とならない。それは、授業など教育目的で販売されているものなので、無断で使用されると業者に不利益になるからである。市販のテキストを生徒分コピーして授業で使うことは違法である。授業とあるが、授業に準じることはあてまる。例えば、運動会や文化祭などの学校行事や部活動などの特別活動も含む。ただし、自宅学習用や長期休業中での課題学習のためのコピーは授業の過程ではないので、著作者の許可が必要である。試験問題を作成するためにコピーするのは可能である。(第36条)
 また、授業以外でのコピーは注意が必要である。他の教員に教育雑誌のコピーを配布することは、元の著作者の許可が必要。学校の壁にキャラクターの絵を描くのも、授業目的ではないので著作者の許可が必要である。
 これらの使用では著作人格権に注意しなければならない。著作権法で授業で使用の場合はコピーが可能であるが、その場合も著作人格権を守る必要がある。著作人格権は著作者の精神的・人格的な保護するための権利であり、次の三つがある。
(公表権)無断で公表されない権利
(氏名表示権)無断で名前の表示方法を変更されない権利
(同一性保持権)無断で内容を変えられない権利 タイトルも含む
授業で使うプリントも出典、タイトルを明記する必要がある。これは指名表示権であり、基本的に表示するのがルールである。このうち、同一性保持権は、例えばテレビ番組をビデオで勝手に編集することは同一性保持権を違反する。生徒の作品の一部をホームページで無断で匿名で公開することは、公表権、氏名表示権、同一性保持権違反となる。特に、授業の実践報告などを雑誌に発表するとき、生徒作品を公開する場合は生徒の了承が必要であり、そのときに、氏名を表示するか否か、タイトルを変えたり、内容を変えたりするかなどもきちんとさせておくべきである。
 図書館でのコピーは著作権法で定められているが、それは大学や研究機関、公共の図書館という規定があり、小学校、中学校、高校の図書館でコピー機を設置し、コピーサービスをすることは違法となる。(第31条)
 雑誌や本からの引用については次の三点に注意する必要がある。
・引用の必然性(引用が必要であること)
・引用部分を明確にする(「」や段下げなどで明確にする)
・引用部分が主となるものでないこと(引用は部分であること)
これに先ほどの著作人格権での注意事項を守る必要がある。生徒がレポートなどで本や雑誌から引用するのは可能であるが、日頃からこのようなルールをきちんと守るよう指導すべきである。
 インターネットが普及されることに伴い、著作権法も1998年1月から公衆送信のことなどの改訂が行われた。これは、ホームページをサーバーにアップロード(登録)することも複製に含まれることになり、勝手に自分の情報をホームページにアップロードできないようにした、送信可能化権が規定された。他人の情報を無断でホームページなどで公開することは送信可能化権の侵害となるのである。特に生徒の情報(作品を含む)を公開する場合は、著作人格権、引用、送信可能化権などに注意しなければならない。
 なお、ホームページへのリンクは内容を複製するのではないので、著作権が及ばない。
 なお複製(コピー)については、自由にできる範囲が規定されている。まず、私的目的の場合は可能である。
それらは、著作権法の次の各条に明記されている。
図書館等における複製(第三十一条)
引用(第三十二条)
教科用図書等への掲載(第三十三条)
学校教育番組の放送等(第三十四条)
学校その他の教育機関における複製(第三十五条)
試験問題としての複製(第三十六条)
点字による複製等(第三十七条)
営利を目的としない上演等(第三十八条)
時事問題に関する論説の転載等(第三十九条)
政治上の演説等の利用(第四十条)
時事の事件の報道のための利用(第四十一条)
裁判手続等における複製(第四十二条)
翻訳、翻案等による利用(第四十三条)
放送事業者等による一時的固定(第四十四条)
美術の著作物等の原作品の所有者による展示(第四十五条)
公開の美術の著作物等の利用(第四十六条)
美術の著作物等の展示に伴う複製(第四十七条)
プログラムの著作物の複製物の所有者による複製等(第四十七条の二)
 なお、デジタル機器での複製については細かい規定があるので、著作権法を参照されたい。また、インターネットからソフトウェアをダウンロードするなどの場合、著作権としての複製もあるが、著作者との契約として使用許諾契約を交わすこともある。これは、それぞれのソフトウェアに記載されているので注意されたい。特に一部のデータベースソフトではベンチマーク結果の公開の禁止を使用許諾契約に入っていることがある。生徒にコンピュータを利用させる場合には、すでにインストールされているソフトウェアの使用許諾契約書を確認すべきである。
 著作権侵害は、補償金問題以上に、生徒のモラルの低下が問題となるのである。情報受容と情報発信にもかかわるマナーの部分である。このことは、情報教育でなくともしっかり指導すべきである。表現を守るためにも情報教育では著作権教育をしっかり指導すべである。

4.終わりに

田近洵一氏は国語教育としての情報の問題を言語活動との関係で捉えている。(23)

情報資料をテクストとしてしっかり読み込むこと・聞くこと(情報受容)そして、受け止めた情報を自分の立場から価値づけして書くこと・話すこと(情報活用)を抜きにして国語学習として価値ある情報行為は成立しない。

これは国語科だけではなく、他の教科にも共通する基本的で重要な活動である。そして、田近氏は情報活動を確かにするのは、

情報・情報資料の分析・批評、及び選択である

とし、この活動の指導がまだ不十分であることを指摘している。情報が多くなればなるほど選択する機会が増える。その選択は「分析・批評」に基づく選択でなければならない。そのためにも今後は「分析・批評」の指導法を確立する必要がある。
 情報教育とはまず、情報素材(情報テキスト)に対して自らがきちんと理解(読む)すること、そして、それを元に思考し、自らが発表するという機会を得て、情報受容と情報発信についての理解し、自己教育力と問題解決能力、思考力を育成することができれば、情報教育の完成である。

[注]
(1)文部省「体系的な情報教育の実施に向けて(平成9年10月3日)(情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議)」平成9年10月3日、文部省 の記述による
(2)臨時教育審議会(昭和59年9月〜62年8月)、教育課程審議会(昭和60年9月〜62年12月)、情報化社会に対応する初等中等教育の在り方に関する調査研究協力者会議(昭和60年1月〜平成2年3月)など
(3)文部省「情報教育に関する手引」平成3年7月、文部省
(4)(1)に同じ。「第2章 これからの学校教育の在り方と情報教育の役割」「1 情報教育の目標」
(5)文部省「I マルチメディアの発展に対応した文教施策の推進について(審議のまとめ)」平成7年1月、文部省 「I マルチメディアとは」「1 マルチメディアの特色」より
(6)文部省「体系的な情報教育の実施に向けて」平成9年10月、文部省(情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議) 「第2章これからの学校教育の在り方と情報教育の役割」「1情報教育の目標」
(7)CAI[Computer-Assisted (Aided) Instruction]コンピューターが支援する学習システムで、学習者が教員でなくコンピュータと対話して進める学習システム。
(8)CMI[Ccomputer-managed instruction]コンピューター利用した学習システムで、授業や学習過程をコンピュータで支援するもので、授業そのものをコンピュータが行うのではない。
(9)文部省「幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程の基準の改善について(答申)」平成10年7月29日、文部省(教育課程審議会)
(10)文部省「高等学校学習指導要領」平成元年3月、文部省
  文部省「中学校習指導要領」平成元年3月、文部省
(11)文部省「中学校学習指導要領案」平成10年11月18日、文部省
(12)文部省「幼稚園教育要領、小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領等の改訂のポイント」平成10年11月18日、文部省 「−基本的なねらい−」より
(21)文部省「体系的な情報教育の実施に向けて」平成9年10月、文部省(情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議)
(13)CUI(Character User Interface) キャラクタユーザーインターフェイス。パソコンで文字を中心に表示し、キーボードで文字を入力して操作してソフトウェアを利用するシステム。
(14)GUI(graphical user interface) グラフィカルユーザーインターフェイス。パソコンの画面にアイコンなどの表示を出し、マウスで操作してソフトウェアを利用するシステム。
(16)毎日新聞1997年6月13日朝刊・「教育現場」より
(17)読売新聞1997年4月23日朝刊・「解説」より 
(18)斉藤進「学校のパソコン環境に人間工学を」『朝日新聞』1998年12月1日・朝刊「論壇」
(19)MS-DOS, Windows はマイクロソフト製品の名称および製品名で、米国 Microsoft Corporation の米国およびその他の国における商標または登録商標。
(20)Delphi,C++Builder は米国 INPRISE Corporation の米国およびその他の国における商標または登録商標。
(21)VisualC++はマイクロソフト製品名で、米国 Microsoft Corporation の米国およびその他の国における商標または登録商標。
(22)文部省「公立学校における情報教育の実態等に関する調査」平成10年6月、文部省
(23)田近洵一「情報受容・活用教育の課題」『月刊国語教育』1998年11月号、東京法令出版

(一九九九年三月一日提出)


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