鴛鴦呼蝉庵日乗
  2002.10.21 授業とCD
 仮に、「一人で考えたいときに授業を受てはいけないのですか」と質問されたどう答えるか。黙っていなくなれば、危険なこともある。それゆえその授業中の担当者に尋ねることになる。授業担当者は出欠管理をするからである。しかしこれは授業中のことであり、休み時間になるとどこで休んでもいいことになる。この違いは何であるか。学校は授業活動をしてるのであるから、授業を受けるものであるという前提に成り立つ。それゆえ休み時間までは授業担当者が管轄するのではなく、校長などの上位管理職が管轄することになる。
 では、授業中に授業担当者に断る場合はどうか。断って居場所が確認できても、それが一人であれば、何にしろ危険は考えられる。それゆえ、黙って授業を受けないのと同じとなる。しかし、実際には人間関係でなにかあった場合は一人で考えることを是認することがある。しかし、授業を受けたくないからという理由では、そうはさせない。何か大きなショックがありその場合に限られる。ではその境界は。それは曖昧である。担当者によっては授業内容で受けさせることもあれば、教室外に出さしてもいいと判断することもある。それは人情であるから、あり得ること。その責任は授業担当者が負うことになる。
 境界の曖昧なまま、その判断は個人にゆだねられる。実質ショックを隠せない状態では授業を受けても集中しない。それは、授業中寝ている者と同じである。その場合は周りが気にしてしまうことを防ぐためにも、隔離させられることもある。その場合は、個人の悩みが優先されるのか、それとも教室内管理の規定が優先されるのか。安全確認と管理責任、そして個人の体験としての悩み。かといって、保健室で対応すべきものでもない。そうなると、そういう場合の対応、それをどうするかのインフラが問題となる。管理か、カウンセリングか、個人の尊厳か。その他の要素も入るであろう。結局はアナログな思考によって判断されるものである。

 CDを買うときの癖がある。それは傾向というべきものであり、例えば、シングルが出ても、いずれアルバムに入ることがわかっていても、そのシングルを買わないと気が済まない。あるバンドなら、そのバンドのCDを全て集めたくなる。レンタルでCDを聴いても、結局CDを買ってしまう。それは、大して貢献しないとわかっていても、自分がCDを買うことで、そのバンドの印税が入り、そのバンドがよりよい音楽を今後提供してくれるという期待である。
 その他にもCDには特有の扱い方があると思うが、それはまたいずれか。

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