2002.11.11 自分と他人
 本当に信じ合えるような人間と出会うのはなかなか難しいことです。それは、自分と他人との関係をきちんと見極められるかにかかっているでしょう。自分と他人との距離を置くことが出来るか。自分と他人、それは親族にもあてはまるものですから、自分と他者と言ってもいいですし、その自分を客観的に考えたときの自分というものも含まれるでしょう。そういう自分と他人としての自分との間で、相克があるかないかは自己反省にかかっているわけで、その自己反省とはかなり自分に対して厳しいことになります。自分のいやな面を強調していまいますから。自分らしく、それは他人との関係において相対的なものかもしれません。
 人の不幸を見て、自分の幸せであることを感じる。そういうことなのだと思います。相対的ということです。

 遅くまで仕事をした後、寝ようとしてもすぐに何かに突き動かされるように起きてしまいます。寝入ったと思うとすぐに覚醒する。そんな繰り返しで、ようやく寝入ったら、今度は起きられない。こんな悪循環に陥りそうな危険性があって、今日は不安定でした。以前の体調不良の状態に近いので、少し安静しようと思うのですが、いろいろ溜まった仕事が片づかないので、どうしたらいいものか、考えてしまいます。

 自分の状況をもっと客観的に描写できると、自己の内面を表出していきます。そしてその描写が自分であるという認識に立つ。その過程で表現と自分との関係を認識する。そういう方法があると思い、実践してきました。どのようにして伸びるかはまだわかりませんが、ただ、技術主義ではない、場面やストーリーを重視した内容として完成に向けてがんばっていくこと、それは自分を表すことになると思います。

 伝えたい気持ちがあって、それを伝えたい人に伝える。それが表現の基本ではないでしょうか。多数の人ではなく、まずは誰か。それは見えない人かもしれませんし、自分かもしれません。最初は自分。そして誰か、周り、多く、見知らぬ人。そういう循環があるのではないか。この文章も読むとは極わずか。それでも書き続けることに意味があると思っています。 

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