鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.03.16 背中

 昨日から、背中の痛みがあって、仕事がはかどりません。そういうときに無理して手を伸ばすことになったりします。それで、結局悪化する。といっても、痛みの程度なので、通院ということはありません。疲れているときに限って、その疲れを増やすことはたくさんあります。そういう時に、筋肉は鍛えられるのでしょうか。

 善意というもの、相手に伝えられないと、いや、相手が善意という気持ちを持ったときに初めて善意として認識され、それが中途半端だと、おせっかいとなり、そして、疑心暗鬼があると悪意となります。だれにも伝えられないと自己満足となります。サービスというは、相手に伝えられて初めて成立します。伝えられないなら自己満足です。自己満足であるなら、自己に満足するだけの結果が必要です。中途半端な結果だと、意味がありません。もし、中途半端であっても、伝わる側が善意と思うと、自分がそう思わなくても、他の人によって善意として認識されてしまいます。

 コミュニケーションがない所では、自己の満足しかありません。自己満足というためには、努力が必要です。自己満足ということ自体、自己を客体化して、満足をという程度の定規で測ります。自己を認識するときは、自己を客体化するため、擬似的な他人の視点となります。擬似的な他人の視点は、あくまでも擬似的であり、その擬似的な他人は自己の想像の範疇であるから、客体としてでなく、準主体として意識していますから、そのものに客体の意識を求めるのは難しいでしょう。

 伝わらないこと、伝えたいことと、伝えたいことの反対のこと、そういう世界はいつまでも矛盾に満ちていますが、しかし、打開策もない世界です。

 臨床国語研究会に参加できませんでした。残念ですが、次回は参加したいと思います。

 竹のしなやかさ、竹の生え方に興味があります。自然に広がるようになるのですが、しなやかさは、なかなかなものです。竹の生え方は意外とおもしろいものです。片方の節から生えていきます。次の節は反対側です。それで、重量のバランスがとれる。そういうものです。


前へ 目次 次へ
かくかい Copyright 黒川孝広 © 2003,Kurokawa Takahiro All rights reserved.