鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.03.21 枠組みと意識

 惰性というのがあります。自分がついしてしまうこと。本当はそれではいけないのに、どうしてかわかりません。一度、車で用を足すことがあって、そのときに、乗車させたら、「車を出してほしい」という要求が。一度起こると当たり前の権利のように要求されます。好意や善意であっても、それが当たり前の権利として受け取られると、せっかくの好意は意味がなかったことになります。そうなると、せっかくの好意も悪意として転換されてしまう。惰性というのは怖いので、それは自分の中にある枠組みとして捉えてしまっているからです。「間に合わないから車を出して欲しい」という台詞を今日、聞いて、この人は自分の枠組みの中にいるから、相手の状況さえわからないで、都合のいいことを権利として要求していることになっていることに気がつかないと思いました。
 もちろん、私にもそういう惰性があるかもしれません。一般にそれは甘えとして認識されるものですが、その甘えが自分の枠組みの中でしか存在しないことに気がつかない時が怖いことです。甘えというのは全て、自分の枠組みの中にありますから、進歩がないのです。成長もあり得ない。だから、怖いのです。
 それゆえ、意識をしっかり持たないと自己内省はできません。内省すればいいとは限りませんが、しかし、新たなる自分を気づくには、内省によって、いい面はもっとのばし、悪い面は直していく。それは、もちろん、自分の意識を超えることはありませんが、しかし、今までとは違った行動である点で、自分の意識の下にあるものですから、以前の甘えの状態とは異なります。それは、自意識を変えようとする意識があるかないかにかかっています。
 甘えの構造を見たとき、幻滅と、善意であると思って行動した自分は、相手を甘やかしただけだったと気づきました。自分に残念でした。こんな人に善意を与えてよかったのかと。ある人から言われました。「議論をして自分が発展して勉強できない相手とは議論をしない」という趣旨のことです。はるか昔にも、「ばかを相手にすると自分もばかになる」といわれました。その時はよくわかりませんでしたが、最近このことがわかってきたようです。自分を伸ばすには、自分よりも高い次元、あるいは異質な人との話し合いが必要です。その意味では、今日の台詞を発した人は、私自身の自己内の傲慢なまでの意識を変えていく役目を果たしてのであり、その成果はあったのでしょう。ただ、次元が低いかどうかにかかっています。
 なかなか意識の向上ということは難しい。特に自分の場合は。他人に対して求めることはありません。求めてもその期待は何も結果を生まないからです。

 今日、レンタルしてきたCD。
BabyBoo「BABY BOO」
なかなかいいですね。コーラスバンドは好きです。短音でない、微妙なハーモニーが私の求めている音楽ですから。

 深夜になると、能力が落ちます。特に、連日の休日出勤で体力の最低に。ここ数週間はなんとか乗り切らないと。


前へ 目次 次へ
かくかい Copyright 黒川孝広 © 2003,Kurokawa Takahiro All rights reserved.