鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.05.11 ヨーグルト

 やっと寝られました。といっても、寝たのは3時。起きたのは宅急便で起こされたので11時。7時間睡眠は久しぶりです。それでも、眠くてうつらうつら。今も横になれば、すぐに寝られる状況。ちょっと気合いが減ったかもしれません。緊張していれば、そのまま寝なくても大丈夫でしたから。

 田近先生の研究室で、国語教育史の研究会でした。遅れて参加。昭和20年から26年までの国語教育を検討。今日は単元学習の終焉、あるいは興隆の終わり時期の認定について、飛田多喜雄、飛田隆より検討。「実践国語」の記事が26年8月を境に急激に減ること、能力主義の台頭が原因とするのに対して、検証。いろいろな考え方が出てきました。ただ、どこにも確乎としての証拠はなかったですね。
 その延長で倉沢栄吉先生の単元学習の定義について。でも、よくわかりませんでした。ただ、児童の活動を重視する点、それが倉沢先生の単元学習の根底にあることはわかりました。それゆえ、どの単元学習の意見でも、一つであること、児童の活動、児童から自ら考えていくことを大切にしていくことに収束するのではないかと思いました。これから検証が必要です。
 途中、田近先生手作りのカスピ海ヨーグルトをいただきました。株分けはだれからか聞き忘れましたが、甘くないほどよい味でした。

 ようやく学会の仕事が一段落。と思ったら、町田ゼミから院生の名簿到着。浜本ゼミは連絡がうまくいきませんね。困りものです。

 「生きていること自体、寂しいこと」だと私は思っています。これは、もう15年以上から考えていたこと。祭のあとの寂しさは、楽しいことが続かないことを示しています。また、話していて楽しいというのあっても、その人とずっと楽しいことは少なく、話の内容によっては違ってきます。つまり、自分の全てに合う人というのはなくて、相手と自分の合う部分での話をしているわけです。その意味では、自分を理解されることは少ないですから、自分は一人で行くていくことになります。それは、自由であるのですが、しかし、自分のしたいことができない、あるいは自分の存在価値が自分で認められなくなる時があります。そういう時は、もって行き場のない感情があり、それが「寂しさ」、「生きていることの寂しさ」なのではないでしょうか。
 この寂しさは埋めることができないのですが、ただ、忙しい時に忘れることはできます。忙しさが一番いいのかもしれません。価値観を変えることで少しは楽になります。悲観的な要素の中に肯定的な要素のみを見いだすことができればということです。自分の価値観は、例えば、この集団は私に会わない、つまらない、そういう感情を生みますから。感情は感情で対処するのが一般論。

 本日購入の書籍。
Edward Weston (Masters of Photography Aperture)
Eugene Atget (Masters of Photography Aperture)
Wynn Bullock (Masters of Photography Aperture)
やっぱり、Apertureの本はいいですよ。ペーパーバック版もあります。昔、持っていたのですが、引っ越しで手放してしまい、また買うという羽目に。そういうものですね。この世は。まだまだ欲しいのがありますね。Brett Weston など。

 久しぶりに「マコロン」を食しました。昔の味そのままです。こういうのを知っている人少なくなってきました。

 少々貧血気味。横になればすぐに寝られます。体調は悪くないのですが、先週からちょっとすると鼻血が。湿気が多いからかもしれませんが。そんなに悪いのではないので、なんとかなるでしょう。ただ、食事量がめっきり減ったのか原因かもしれませんね。明日からまた通常の量にしないと。

 物忘れが激しくなってきました。よくないですね。また、脳をリフレッシュして、記憶していかないと。


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