鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.09.23  秋寒 
 

 今日は早めに。夜のなると書く気力がなくなってますので。

 塞ぎ状態にあるということの分析を、自分の状態も含めてしていましたが、知識欲だけではそれは改善しないようです。何か新しい発見があると、そこで喜びがあります。あるいは、何かをし続けていて、その成果が見えると、喜びがあります。「つまらない」や「達成感がない」といのは、他人からの評価がないことと、自分で自分を評価する基準がないからでしょう。
 では、それをどうつくるか、それは難しいてのです。他人の評価を聞いても、しらじらしさを感じることがあります。自分の思いと違うからです。自分の救われたい思いと同じ評価をしてくれると、「この人はわかってくれている」という気持ちになります。
 すると、他人の評価も実は自分から「こう評価して欲しい」という気持ちと重なった時に初めて評価として存在するわけですから、結局のところ、評価とは自分の範囲の中にしかありません。他人からのアドバイスは、その他人が信頼できる人だと、素直に入ってきます。しかし、そうでない他人からのほめ言葉は、自分の期待する評価と同じであれば、いいのですが、違うと、「この人はわかっていない」という結果になります。

 他人からの評価というのは、あくまでも自分の範囲の中に求めるものであり、それは、打開したい自分の意識や、他人に依存したいという意識や、さまざまなものであり、ある意味では、予想する、あるいは期待する他人からの評価を待っているのかもしれません。期待する評価、あるいはコメントを待つことは、依存と同じように見えます。
 最近では、メール依存やネット依存、掲示板依存など、さまざまな依存があります。その依存自体は、いいことだと私は思っています。悪いことのように依存を考えていますが、しかし、どうでしょうか。1970年代初めには野球では、巨人依存がおおったですね。巨人の試合の結果によっては、不機嫌な人はとても多かった。それと、メール依存となんら構造の変化はないのです。趣味としての依存があり、そして、日常の会話というものが、メールという媒体に変化したとき、それはニュアンスが少なくなり、伝えたいことが伝わりにくいということもありますが、しかし、依存という形態については変わらないでしょう。
 携帯電話の使用のほとんどがメールという時代、同時間を共有する電話よりも、時間差があってもいいメールの方が楽というのは、時代後退の現象なのですが、しかし、それは紙媒体が電子化したものであり、バネバーブッシュらによる概念のコンピュータと同じになります。
 むしろ、この依存状態をそのまま肯定して、コミュニケーションや通信ツールの在り方を変えていくことも現代化の波を寄せた、いままでの先人たちに応える方法ではないでしょうか。
 時代は確かに動いてるのですから、今から古代に戻れることはありません。今の依存という構造自体をこれから発展させていくことこそ、これからのコミュニケーションの在り方であり、それは、規制するのではなくて、自然発生的に、携帯などのツールを駆使する使用者によって作られていくと考えるのが正しいと思います。

 時折渡すメモや手紙に、とまどいを感じることもこれからはあるでしょうね。そういう時代ですから。むしろ、その時代時代の状況を適切に判断しながら、しかし自分にあった表現とは何かを求めていくことも大切ではないかと思います。
 表現媒体が増えた今だからこそ、表現するこという行為をそのまま自分の存在価値の認識ということになるととらえて、そして、他人との関係は、自己の中にある要求や願望というものの鏡となっていることに気づくとき、その人は、成長し、自らの価値について再検討できるだけの余裕があります。
 自己分析してくことは、塞ぎ状態からの脱出のきっかけをつくります。脱することは自分の力です。他人によって変えることはできません。ただ、他人の、そう他人の無償の協力、善意というのものをくみ取ったとき、その人は、意識を変えることができ、価値基準を変えて、自分を違う視点で見ることが出来るのでしょう。それゆえに他人からの評価というのは、自己内評価と重なるのではなく、自分が他人に何を期待しているかを判定する基準となるのではないでしょうか。
 しかし、そう考えても、塞ぎ状態から脱するには時間しかないですね。ゆっくりと時間をかけることしか。ただ、自分に甘えている限りは脱することはできません。それはわかっていることなのですが。

 本日の日没。日の出:5時29分、日の入り:17時38分。日中:12時間9分
 ということは、12時間睡眠をすると、日中の活動ができますね。朝は寒いですが。

 冬の普段着をまだクリーニングに出していないので、衣替えができません。かなり寒いですね。夜は。それにしても極端です。32度から17度へというのは。

 鬱であること、不思議と周りにも見かけて、いろいろ大変そうです。秋という季節特有かもしれませんが、どうも、去年から、大気の汚染などを感じます。鬱であることは、社会状況に比例するので、何がいったいあったのか、それも含めて考えたいと思いますが、まずは、自分の状況を打破しないといけませんね。

 支えてくれた人々に感謝して、今日はこのあと仕事に埋没予定。

 部屋のレイアウトを10月上旬に変更予定。ネットの工事を10月初旬に入れて、それで、お座敷パソコンから机パソコンに変更します。このままだと股関節がおかしくなりますから。今でも、座ると違和感ありますので。
 で、CD-ROMなどを整理。古いソフト(Windows3.1世代)のを処分。その他も処分予定。処分するとは、終わるのではなくて、新しいものを作る余裕を作る作業です。

 ここの所、休日の昼食はそばかひやむぎと野菜いためです。で、塩やこしょう、ガーリックなどは、量を調整するため、手のひらに載せてから入れますが、そのおかげで、左手がガーリック臭くて、不快です。
 なお、具は、キャベツ、タマネギ、じゃがいも、にんじん、ピーマン、にら、ハム、なす、ししとう。調味は、出汁、日本酒、塩、黒こしょう、ガーリックです。その日の天気よって、香り付けに醤油を数滴たらします。
 そばつゆは、昆布と鰹の出汁を作り、それに日本酒とつゆの素を入れ、沸騰したら、ショウガのスライスを入れて、とろ火で煮込みます。
 そばは乾麺ですが、8割か10割で。5分ゆでて、1分蒸らし。なお、ゆでるときは、3番出汁や4番出汁を使います。そうすると、そば湯が甘くなっておいしいのです。

 3:00就寝、7:30起床、8:30就寝、10:30起床、6:30睡眠。


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