鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.11.08  風邪 
 

 蜜柑、続編です。今日は蜜柑を2個、職場の机に載せておきましたが、それでも、何人かには注目されていました。蜜柑が季節して早いのならまだしも、もうすでに蜜柑の季節になっていることを考えると、不思議な状態ではないので、机の状況と蜜柑という取り合わせの問題ではないかと思います。それは、昨日の通り、期待ですね。

 風邪が流行ってきました。かなりしつこいようです。3日ほど体調を崩して、それで元に戻るようにみえて、もう一度ひどくなる傾向があります。すでに何人かがその傾向にあって、辛そうでした。
 私自身もすでに風邪をひいているのですが、それほどひどくはありません。葛根湯で防いでいるというのが現実です。ただ、腹痛とか鼻水とかは出ますね。日中はよいのですが、深夜になると辛くなります。
 ビタミンCと、水分が基本ですね。私は風呂に入って暖まります。これはよくないとよく言われるのですが、私の場合は効きますね。風呂に入った方が治りが早いのです。なぜか、それはいずれ。
 ただ、風邪をひくと栄養が悪化しますから、無理してでも食べておくのかいいですね。それと、風邪と自律神経失調症、統合失調症とでもいいますか、起立性障害の可能性もあります。私の場合は、これらでしょうね。起立性障害というほど、立っていることに対して障害はありませんが、ふらふら感はあります。
 もしかしたら、視力にも影響しているのかもしれません。最近、視野に動きが出てきました。活字を見ても、左右にぶれやすくなっています。蚊飛症だと思いますね。黒い影が目の前に出てますから。左目にその傾向があります。黒いものが見えると、その影をつい見てしまいますから、ふらふらします。視力、あるいは視野、影というのは、体全身や精神にも影響しますから、早く治したほうがいいのですが、なかなか医者嫌いとしては、通うことは難しいですね。
 歯医者もいきそびれて、もう3ヶ月ですから、そろそろいかないと。違和感が出てきていますから、また、悪いことになりかねません。
 でも、健康診断ではいつも異常なしですから、健康なのは間違い有りません。つまり、精神的な問題なのでしょうね。ではその原因は。たぶんわかっているのだと思います。解決はできませんが。
 熱のあるとき、風邪をひいているときはパソコンの画面も集中できませんね。経験から。辛い者です。病の途中というのはいつも辛いですね。健康であることよりも、病を治す時の方が、体力を使う気がします。それは健康であることかもしれません。不健康から健康に行くにはかなりの力が必要ですね。それは健康と言えると思います。健康を維持するのもたいへんですから、治癒する力はそれ以上のものだと思います。

 休み癖というのがあります。皆勤の人が一度休むと、気がゆるんで、休み癖ができてしまうものです。休むと、なんだ、その程度のものだったのか、という意識を変えていきます。それゆえ、油断が出ますね。もしかしたら、その方が正しいこともあります。皆勤でないことへの気楽さです。ただ、気楽さが逃げていくことになる、それはいい意味なら結果はよい方向へいくのですが、堕落となると、困りものです。それゆえ、続けていくこと、それ自体の意義というものは否定しない方がいいですね。続けていくこと、書き続けていくことで、何かあります。それは、いつか、どこかで、きっと反応していくこと、それは自分が反応していくのですが、自分の反応を目指して、自分が何かをしていくという過程を認識する行為なのだと思いますね。
 継続することは難しくし、習慣を義務として捉えると、それは辛いものになりますが、自分の力を認めていく一番簡単な方法は継続です。継続することで、その量が自分の力として認めていくことができるからです。続けていくことには意義があります。それは内容ではなく、続けていく自分にです。
 もちろん同じ事を続けていくのではなくて、いろいろ広げたり、狭めたり、違う分野に手を出したり、そういう拡充縮小をしていくうちに、自分の力をどんどん付けていくのですね。表現が一定でなく、時間とともに変化します。好みもまたそうです。同じ伝統を維持するといっても、時代とともに変わってきています。人間国宝の人たちも、そうですね。まったく伝統の保持ではなくて、その時代時代に合わせて変えてきました。それこそが文化です。古きに固執するのではなくて、その時代に合わせて、古いもののよさを活かしていくこと、それが文化の前進ではないかと思います。
 そして数字上での区切りである、100や1000や10万などの数に合わせて、自分の成果を、過程を見つめていくことになり、そして、その見つめていく過去には自分がいるのです。

 短歌でも、恋愛のものが多いのですが、そういう情緒的なものは好みで、その関係の本、つまり短歌や俳句、詩でも恋愛関係のものは多く持っています。ただ、そういうのを人前で詠むには恥ずかしいですね。つい、つっこみを入れますが、切なさ、あるいは、いとおしさ、そういう感覚は論理よりも強いものだと思います。恋すること、それを手紙やメールで伝えるという、直接行動ではなくても、物語やシナリオなど創作物であっても、その切なさ、いとおしさは、脈々とつながる文化そのものだと思っています。その最たるもの、その典型について、最近考えています。一度、いろいろな人に読んでもらって感触を得ようかと。
 昔、恋の歌を連続して講義したことがありますが、それはそれで価値があったかもしれません。恋の歌というのものを通して、人間世界の不思議さ、それは作品理解ではなくて、自分理解なのですが、自分理解のために作品をどのように読んだか、そこを重点として捉えていくことに意味がありそうです。
 文学という構造をデザインするときに、作者と作品の関係だけでは不十分で、そこには読むという行為をする自分がいるわけですから、自分と作品、作品と作者、作者と自分という関係について、自分の視点から、自分は何者であるかを見ていくことが大切なのでしょうね。
 好きな人には、どんなことをしたら、よろこんでくれると思いますか。

 最近、この更新で、リンク間近いやアップしそこないが多くて、ぼけてます。

 肩凝りもふらふら感を生じさせますね。肩凝りから頭痛、腰痛になりますから。

 風邪を召されている方、早く治るといいですね。

 職場のパソコンのネットワーク接続でできなくなり、なかなか治りません。ネット接続のプロパティを削除するしかないようです。

 3:40就寝、7:10起床、3:30睡眠。


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