鴛鴦呼蝉庵日乗
2004.04.14  徹夜

  無力さを感じて、そういつもなのですが、最近は特に。自分の能力の問題もありますし、そしてしたいこともあって、でも、時間との闘いで、時間はどうやっても越えることは出来ませんから。時間との闘いで、どうしても自分のできることの限りを知って、それで終わってしまう、そういうことの無常あるいは、無力ですね。つまるところ、自業自得。
  もっと書きたいこと、読みたいこと、話したいこと、聞きたいこと、見たいこと、感じたいこと、いろいろあっても、やりは時間との闘い。闘うまでもない流された自分には、どうやっても闘うだけの力がない。その無力感、脱力感。それだけ。ただ、ちょっとした喜び、それがあれば、いいのですが、自分とは何かという相対的な問題で、他人との関係でいやな思いをしてからというものの、他人の評価を受け入れつつ、でも、他人は他人で自分はいつまでも、将棋の駒のように使われている、使用人に過ぎないという意識から脱することはできないのです。自由ということばのまやかしは、随分前にわかっていたのにもかかわらず、自由ということばの響きにあこがれたりします。それは、自分の能力の限界への挑戦、その力を信じたいという気持ちと、その反面である、現状維持なら、現状のレベルを保てるとの幻想。
  幽玄がことばの意味を持っていた頃、自分との相対的な関係には、いつまでも自分という物差しができてしまいますが、その物差しを測ることはできるのであって、そう、測ることは、大したことではないのですが、測ることの向こうに、自分の位置を確認するという作業が伴います。
  たぶん、コミュニケーション阻害ですね。こういう症状は。

 金時豆にこっています。甘過ぎないのがいいですね。それと、鳴門金時芋。ほくほくしておいしいですね。徳島に行ったら買い求めるといいですね。
  いずれまた行きたいです、徳島。鳴教の図書館でいろいろと調べたいですから。橋本先生ともお会いしたいですね。

 たぶん、生きている限り、寂しさは消えないから、ことばはいくつあってもどうにもなりません。でも、ことばの数でなく、ことばから伝わる雰囲気は、そのことばを使う人の心なのですから。説明ではなくて、独白、あるいは、語り、そして台詞。人の話すことばに、その雰囲気があり、そして、その人の視点からの語りは、確実に心なのです。その雰囲気を伝えていくこと、それは心を伝えていくこと。
  主人公という借りの人物を通して、実は、自分のこころを読み手に伝えているのですね。やさしい文章というのは、そういう書き手の心が伝わる文章です。書き続けているから、そして深く考えているから、書けるのです。書いていけるのです。明日も。

 またもや徹夜。おとといが徹夜、昨日が30分、で、今日も徹夜。そして、これを書いているが、午前4:00。ほんと、よく生きています。以前、甲斐先生にメールを2:00頃送ったら、返信がすぐ来ました。甲斐先生も夜、寝ていないのでしょうか。けっこう夜遅い人は多いのでしょうね。田近先生も2:00ぐらいに寝るらしいですからね。もっとも、一年間で徹夜する日数は、田近先生のほうがはるかに多いです。70歳を越えて、まだ徹夜をしているのですから、若い。
今日もまだまだ寝られず、書類作成をしてから、明日は原稿書きです。いつ死んでもおかしくないですね。もっとも、いつ死んでもいいのですが。現世にはそんなに頓着していないので。心残りはいくつかあっても、でも、しかたないことばかりですからね。夢は夢で心に秘めておくのがよいかと。
  とは言っても、今日は寝ますが、多分、午後まで昏睡するかもしれませんね。

 -:--就寝、-:--起床、0:00睡眠。徹夜です。
  朝食、ごはん、納豆。昼食、パン1枚。夕食、ごはん、みそ汁、たけのこ。夜食、なし。

 
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