鴛鴦呼蝉庵日乗
2006.1.2  実家への線香代

 正月二日は恒例の亡父の墓参で、親戚回り。墓掃除はいつもながら、暖かい季節が一番であると思います。なぜ、この時期にという疑問はありますが、それは精神論なので。で、実家に帰ると線香代を渡すわけですが、一年分ですから、どれぐらいなのか。相場がわからないので、適当な額を渡しますが、きっと適当とは、それぞれの家庭の事情なのでしょう。
  それで、墓参ついでに古きを知る人に、青年学校のことをインタビュー。ただし、聞きたいことは記憶にありませんでした。
  ついで、別の人と話をして、電車の車輪も四輪駆動にしていけば、脱線確率は減るのではないかと言うこと。この場合は、車輪の角度を変えることも必要なので、それなりの耐久性が求められます。経済的には無理な話ですが。

 昨日に続いて新年特集という、別に特集なんかしてもしかたないわけですが、特集というと、別時に何かするのが特集で、毎日のは特集ではないのかという疑問さえ起きますが、そういうことはどうでもいいので、ただ、だらだらと書いていくのがここの常なので、常でもないですが、ならばいったい何なのかということも言われそうですが、別に決まった物ではないから、しかたないのです。しかたないというか、それが普通という出来事なので。
  まあ、本歌取りはいいことにして、一体何の本歌取りがということは、省いて、前日に続いて中国書法家についてです。
  まずは、伊秉綬。1754−1815。清の人。字は組似。号は墨卿、黙庵。隷書で有名ですが、そのつかみどころのない作風は、どこか鄭道昭を思わせます。そして、摩崖の字にも似ていて、実は雄渾なのです。それよりも、行草にその真髄を、いや精神を見ることが出来ます。その行草は章草とでもなく、むしろ破体というも言うのがふさわしいような生命力であり、精神的な高まりを感じさせるにはふさわしい作品だと思います。
  次が、何紹基。清代後期の人。1799−1873。字は子貞、号は東洲、蝠叟。師匠は阮元ですから、古典、つまり金石に詳しく、北碑、金文をよくしたと言われています。何紹基も隷書をよくする人ですが、一般には行草を臨書する人も多く、伊秉綬と似て、隷書では雄渾であり、行草では闊達であるというところがあります。しかし、何紹基の筆致を真似るのは難しく、その筆致にはただならぬものがあると思っています。どちらかというと、伊秉綬の行草を好みますが、何紹基の作品を見ると、張瑞図と同じく、見入ってしまいます。
  張瑞図は、書で知られていますが、やはり文人画が骨頂です。1570−1639。早くして進士になったわけですから、その活躍たるや推して知るべしです。書は力強さから、よく日本でももてはやされていますが、文人画の気風はなかなかのもので、その構図たるや端正そのものです。筆致、題材ともになかなかの眼力をもった人物であると思われます。
  なんとなく、似た精神力の持ち主に、黄道周がいますが、それはいずれ。

 書いてUPしようとしたら、サーバーエラー。こういうことは突然起こるものです。

[今日の記録]
睡眠時間:5:00就寝、10:30起床、5:30時間。
最高気温:7度

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