鴛鴦呼蝉庵日乗

2001.8.30 古いエッセイ−新緑の雨と香り
   以下は、無題で2000.6.6にとある通信に載せたものです。それを採録します。前回のこのパターンでしたが、これまで非公開の文章も公開した方がよいかと思いまして、まったく、「日乗」ではなく、内容も季節をずれてしまっていて、なんの必然性もありません。それでも、いまこうやって表現ていることの、流れがあるような気がして、ファイル整理するついでにしばらく、このパターンの形式はよいかなと思っています。

 数年前、雨の降りしきる五月に奥多摩へ遊びに行ったことがある。遊びといっても、雨の中でとりわけて何かをするという目的ではなかった。檜原村から奥多摩へ、そして小菅まで抜けてみようと思ったのである。梅雨時は本を読むにも紙が湿りがちになり、どうも部屋にいると滅入ってしまう。それでも外出すると服は濡れ、人いきれに閉口するものではあったが、部屋に閉じこもるよりはまだ楽ではあった。
 奥多摩は「新緑の候」ということばに何の違和感も感じることのない、春の名残があちらこちらにあり、ところどころにみずみずしさを感じることができた。そして、雨もそのみずみずしさをいっそう引き立てているようであった。
 檜原村を通る頃、雨も小降りになり、アスファルトから湯気のようなものがゆらゆらと立ち上るようになった。気温が上がったのである。この湯気が出ると、まもなく雨が上がる、そんなことを考えていた。
 少し効きすぎていた車内のエアコンにかえって膝を冷やしてしまったので、外の空気を入れることにした。雨はもう降り込んでくることもない。窓を開けはじめると、はっとおどろいた。霧雨とともに、檜の香りが車内を飛び交ったのである。あたりに檜があるのであろう。その香りは雨によって閉じこめられていた身と、そして心を覚醒させた。あたりの空気一面に漂う檜の香り、自分はそこにいるという存在感。あたりのものを自分の存在にまで取り込む力。それは樹木の長年の営みと同時に繰り返される、生命の営みのしるしあった。檜は雨上がりに自分の存在を周りに知らしめていたのであった。
 2000年の春、久しぶりに新入生の担任となって、教室で話をしているとき、ふとこの檜のことを思い出した。檜の葉の後ろには白い葉脈が見える。それは、生きている証拠と、檜であることの証拠である。入試という「雨」を越えて、雨上がりを迎えた「檜」は、その存在をどこで示すのか、そして自分の存在を示す「香り」をどこで放ちながら、成長していくのか、そんなことを考え、窓の外に目を移したのであった。

前へ 目次へ 次へ
かくかい.net 目 次 かくかいNEWS 作者から  本  開発情報
Copyright 黒川孝広 © 2001,Kurokawa Takahiro All rights reserved.