2001.9.6 OAグラス−形あるものいつかは壊れる | |
本当は三日坊主になるはずのこの書き物も、いままで溜めたものを提示することで、なんとか延命を保ってきました。でも、日常のことは何も書いていないようですので、近況について、つらつら記そうと思います。 私は、普段より、紫外線に弱く、特に眼は紫外線を強く浴びると赤くなります。そして、目やには出ますし、涙は出てきます。その現象がパソコンの画面を見ていると出てきます。パソコンの画面を見ていると、涙が出て来ます。若い頃は、それでもなんとか保っていました。最初にパソコンをさわった時は、まだグリーンディスプレイで、たしか、関東電子工業だったでしょうか。それに8ビットパソコンでした。FM−8という機種で、当時はなぜかバブルカセットなるものを装着できるものでした。フロッピーはまだ高価な時で、保存はもっぱらカセットテープだったのです。カセットテープの録音と停止は手動でした。パソコンのスピーカーからは、「ピーゴロゴロゴロ」と音が聞こえてきたのです。これは、まだBASICの音で、機械語の場合は、「ビーゴ、ビーゴ、ビーゴ」という音でした。その音を聞きながら、終わるのを待ったのです。 カラーの命令があっても、画面ではグリーンなので、緑と黒の表示でした。そんな中でも、簡易データベースを作ったり、簡単なカーソルキーゲームを作ったりしました。しかし、限界というものはあって、その先はなかなかすすめません。それで、雑誌にあるコードを一つ一つ手で入力して、プログラムを楽しみました。インベーダーゲームやギャラクシー、スタートレックなどのコードを入力して遊びました。 そんな中で画期的だったのは、ワープロです。まだ、16×8ドットの画面表示で、単漢字変換のワープロでした。もちろん、印刷だって、スクリーンをそのまま印刷するので、字も荒いものです。そのうちに、16ドットの文字を幅8ドットにして、プリンタの印刷も1/2改行にしてやっと少しは読みやすいワープロとなったのです。このワープロは画期的で、長い文書も入力することができ、また、拡大文字も可能でした。このワープロを私は頻繁に使用しました。大学に入って、ゼミのレジュメもこのワープロで作成し、それが教授にも、ついにワープロが来たかと新時代を告げたと思います。残念ながら、卒論のワープロ使用については当時の学科教授会で否決されてしまいました。もし、採決されたら、私はその学科の最初のワープロ卒論だったと思います。 しかし、だんだん年をとると、眼に応えてきました。頭痛はする、ドライアイにはなる、腰痛にはなる、いいことはありません。そゆえ、ついにパソコンのディスプレイを見るのに何かいいものはないかと探しました。それがOAグラスという、有害な青色光線を除去するいわばサングラスみたいなものです。もともと、画面の明るさを人よりも極端に暗くするのですが、眼の疲れはとれません。それゆえ、このグラスをかけることにしました。すると、不思議に涙は出なくなったのです。それ以来、パソコンのディスプレイを見るときはこのグラスを使用することにしました。 ところが、やはり耐用年数というものがあって、グラスにひびがはいり、ついに先日、フレームとの接合部分が壊れてしまいました。それは、残念です。というのも、グラスをはずして見ると、やはり、眼が疲れてしまうのです。 いくら、情報化といってパソコンがはやっても、結局体にはいいことはありません。それゆえ、私はパソコンには不信感があります。でも、使わざるを得ないので、というのも便利だからです。データは保存できる、情報は検索できるからです。でも、それだけかもしれません。少し前に、コンピュータを作りだした、というよりも、ネットワークを作りだした人々がどのような情報教育観をもっているかまとめました。 情報教育における情報学基礎論 (http://member.nifty.ne.jp/kakukai/kyoiku/k010904a.htm) 人々は即物的な目的ではなく、夢を持っていました。その夢に向かっていたのです。 ◇ 今日、情報工学に興味を持つ人と話しました。通信技術について考えている人です。そういう人は技術的な面で力を発揮するでしょう。しかし、その前に情報学を考え出した人々のロマン、夢について知っていた欲しいと思い、私の書架にあった ハワード・ラインゴールド『思考のための道具』(パーソナルメディア 1987年12月) を、渡しました。学術書ではないのですが、情報学について少しは理解していただけるかと思ったからです。これからの人には、情報工学の細部について革新的な技術を作り上げて欲しいと思います。その技術の基本には、必ず「思い」があります。その「思い」をもって望んで欲しいがゆえに、この本を読んでいただきたいと思います。そして、その次には テッド・ネルソン『リテラリーマシン』(アスキー出版局 1994年10月) を読んで欲しいと思います。 ◇ これからの人々には、いままでの私のコンピュータ歴を繰り返さないで、より革新的に、人々にとって有意義に開発をしていいただきたいと思います。そんな夢を次世代に託すこと、最近、そのようなことを考えます。私ができること、それは、次世代への架け橋ではないかと。もちろん、相手はそんなことは思わないかもしれません。それでも、私は、私の「思い」を伝えたいと思います。それは、私という存在を残すというよりも、私自信が私であるための記であり、私のことが記憶の残らなくても、私は精一杯の努力をしたいというのが正しい解釈でしょう。 ◇ OAグラスが壊れて、新しいものを注文して、今日、届くことになりました。その記念に、私は、次のステップに進もうと思います。新しいものが自分のものになるとき、それは、自分の考えも新しくなれるチャンスです。そのチャンスを生かして、明日につなげたいと思っています。 |
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