24日に、市毛勝雄先生の最終講義がありました。それは、国語表現の最終授業を公開したもので、学生の授業そのものを示したものです。それについて、宇佐美先生は、この授業が最終授業で参加者がいるという「特殊」を唱えましたが、市毛先生は普段の授業を提示したと言います。
市毛先生は文体論であると言えるでしょう。言語技術ということで言われていますが、市毛先生の授業や指導を見ると、技術の指導の中でも、「聞く」ことの指導の後に「書く」指導をしている。そして、単語レベルでなく、言葉の使い方を大きくとらえ、その中で、一番中心となる文章のスタイルを指導しようとしいます。そして、学習者の状況を分析するため、これという決まった指導をするのではないのです。この学習者に合わせた授業、「書く」指導の前に、きちんと情報を取り入れるために「聞く」指導をすること。そして、文の構成を考えて、いくこと。論理的な文章の書くことを通して思考力を高めようとしていること、それゆえ、文体論者であるという結論になると思います。まだまだ確定した証拠はありませんから、どなたかこのことを検証してい欲しいのですが、市毛先生の根底には、さまざまな言語理論を踏まえて、そして文学を大切にするがゆえに、生んだ理論だと思います。 |