鴛鴦呼蝉庵日乗
  2002.10.01 秋刀魚そして「時の佇い」
 昨日、秋刀魚を食す。この秋は月曜日に秋刀魚を食す機会を得。大根おろしの味が甘いのは、幼少の頃と異なり、あの辛さ、苦さはすでにない。以前、練馬に寄寓する折は魚油のにほひが本に移るのを怖れて魚を焼くことためらうこと多し。今は本に匂いが付いても、魚を食せざることを耐え得ざるによりて、食す。
 食すことをしる記すのは、正岡子規のならいなり。また、永井荷風のならいなり。ただ、文豪とは異なり、毎日詳細を記すことあたわず。ただ、思いに任せてつらつらと記すこと多し。

 以前、近藤夫人より日記を記すのは誰がためかと問われしが、答えることあたはず。千坂氏よりも日記のこと問われしが、日記を記すのは、誰がためらあらず。自ずからの表現の一つなり。よって、日記に記せざることも多し。自己懐中を全て述べることあたはず、ただ、思いの一つを述べるのみ。正岡子規、永井荷風が記したごとく、自らの表現、自らの記録のために記す。しかし、自らの正確なる記録でないがゆえに、自己の記録というよりも、自己の表現なるべし。
 その目的も時とともに異なる事多しゆえに、書く意識、内容、文体は大きく異なることあり。それもまたその書く時の自ずからの表現となる。よりて、日記とは、その人なりの表現でなく、その人の書いたときの雰囲気を伝えるものであり、常でなし。その折々の思いとその折々の人の考え、それは変わりゆく時の流れのように、変わりつつある変化を楽しむべし。

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 試しに文体を変えてみましたが、どれがいいものかわかりません。自分に対して書くのなら、自分にあった表現があるのですが、それは何か、まだつかめていないのです。不特定多数なのですが、その不特定多数に、個人情報を伝えることはないので、結局自分自信の一部しか表現できないことになります。これもまた、ジレンマでしょう。演技する自分と演技される自分と、その演技と自分との葛藤。それがこういう場面での日記なのでしょう。それゆえ、タイトルを日記としないで、「日乗」としたのです。しかし、この解釈も今考えものであって、最初はやはり、永井荷風の影響ですね。「断腸亭日乗」です。やっぱりあれはすばらしい日記だと思います。

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 本日購入のCD。
「甦る古代の響き 方響」 ALM ALCD-2003
「甦る古代の響き 箜篌」 ALM ALCD-2002
「甦る古代の響き」 ALM ALCD-2001

 実は聴くまで知らなかったのですが、「方響」と「箜篌」には一柳慧さんの「時の佇い」が入っていたのです。この曲を最初に聴いたのは、日本の夏です。あのときは、ハープと比較して演奏していました。たしか、ハープ奏者の篠崎さんだったと思います。木戸さんの解説でしたね。とてもいいシリーズで、草月ホールで聴きました。休憩時間に箜篌をさわることができたのですが、その時に、その旋律をほんの少し弾けたのです。それで、箜篌に親しみを持ちました。今、演奏者が異なるのですが、箜篌の方を聴くと、篠崎さんとは違った演奏方法で曲の雰囲気もかなり違いました。この「時の佇い」のシリーズはとても好きなのですが、手にあるのがこの「2」と「5」だけですので、他のも探してみようと思います。
 もう一つ、うれしいことに、このCDには石井眞木さんの曲も入っていました。「オーケストラのためのモノプリズム」「モノクローム」は傑作です。私は、この「モノクローム」のサイン入りスコアを持っていて、スコアを観ると、石井さんの才能のすばらしさがわかります。
 いやー、ちょっとしたきっかけで購入したのですが、こんなにもいい曲が入っているなんて、よかったと思います。
 最近CDをよく買いまして、一つ、うれしいものもありましたが、それはまたいずれの話で。もっとも、全てのCDや本を記している訳ではないので、いずれ絞って考えなど述べたいと思います。なかなか全てを書く時間はありませんので。全てを管理して、書くといいのですが、そういうレビューもやってみたいと思っています。演劇や歌舞伎、CD、映画、ライブなども。そうしていくうちに批評の目と、鑑識眼が養われると思いますから。

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