鴛鴦呼蝉庵日乗
  2002.10.09 人生
 若い頃、自分の進路、つまり何に向いているかを探索したいと思ったことはありませんでした。自分が何に向いているか、わからないままそのままになってきた気がします。今の職を決めたのも、職になりたいからでなくて、職があったからでした。高校生の時はどうだったのでしょうか。高校時代に熱中したものも、今はまったくしてません。その道に進むかと周りからは思われたでしょう。でも、私はその道を進まなかった。就職活動もしないで、進学もしないで、それで結局、時間で働くことになったのです。
 いつも、行き当たりばったりの人生でした。考える気力が皆無だったのかもしれません。人生はそういうものではないでしょうか。自分が進みたい道はなかなか進めるものではありません。ただ、その時の分岐点で自分が選んだ道が結果として正しいものであって、それがどのような道であっても、いいのでしょう。成果や評価は終わってからのものです。いいかどうか、その途中はわかりません。だから、進む道に間違いはないのです。進んだ結果でまちがいはあっても。
 高校時代には進路について何も考えていなかったことを考えると、最近の高校生が思いのほか進路について考えている、あるいは、考えてないことを悩んでいるのを見て、自分の時よりもしっかりしていると思いました。学部さえ決めたのは高3の冬でしたから。何をしたいわけではなかったのです。国文学だって、まったく興味がなかったのに進んでしまった。そういう人生です。

 本を読むとします。漫画だと、他人に読書とは言えなくなることがあります。それは、なぜでしょう。漫画というものが読書の価値がないものと思うからです。音楽を聴いていても、それを他人には言わない。それはしっかりした趣味です。しかし、言えないというものは、音楽としてそぐわないという意識を持っているからでしょう。意識なのです。漫画だと読書ではないという価値観をいつの間にか自分に植え付けてしまっている。いや、植え付けられてしまっている。読書とはきっと小説などの本を読むことだと勘違いしてしまうのです。自分の中にある、いつのまにか身に染みついた先入観。それは文化の一部なのですが、その支配は、自分の意識とは別に、文化によって構成されているのものです。その価値観はいいのならそれでいいのです。しかし、それが自分の本当の、いや、あるべき姿としての意識と異なる場合には、迷惑というものです。だからこそ、価値観の変換が求められるのです。新しい考えのために、よりよく考えるために。自分はどのように生きるかを、他人を手本にすることなく、自分の意識で進むために。なかなか自分では気が付かないものです。他人との比較において、自分の価値がわかるものです。他人の生き方と自分の生き方との比較。それは何か。

 今日は、CDを5枚、購入。中古3まいと新品2枚。新品がなかなかいい。音楽の広がりを感じる曲です。中古の方は聴く時間がありません。残念ですか。来週に聴こうと思います。明後日までの仕事があって、今日も深夜になりそうです。この数日、就寝時間が2時30分ごろ。去年の末から今年の7月まではこのペースで、毎日睡眠時間が3〜4時間。かなりきつかったのです。そのせいでがくっときたのでしょう。体調はかなり回復しました。食も少しずつ戻りつつあります。更年期障害の軽いものだと思います。

 今朝はとても調子が良くて、このままでいくといいと思いました。厄払い出来たのかもしれません。特に何かをしたわけではないのですが、一つの区切りなのでしょう。そういう意識が自分を変えていく。自分の夢、それを追い求める。追いかけていく。夢を捨てないで歩いていく。生きていく。いつまでも追いかけていく。そう、そのために生きているから。

 連続日記もここまで続いてきました。明日からは断片的、休みつつ気の向いたときに執筆したいと思います。日記を書くのが疲れのではなく、メッセージの主要な要因について考えたいからです。

 自分の中にあるすでに染みついた価値観。それをさぐることがここ数週間の目標です。無くしかけた夢をもう一度つかむためです。

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