2002.11.17 孤独の続き
  昔、全国の私学の研究会で発表しました。その時にある先生から「ほんと、今まで何してたんだろう」と、何度も言われました。私は独自の教材を10種類ほど紹介したのですが、その先生はそれまでの間、そういう教材開発をしてこなかったようです。それは無理もありません。仕事に追われて教材開発まで手が回らない現実があるからです。でも私の発表を聞いて「何してたんだろう」と思うことは、私自身の発表が良かった、内容がよかったからでなく、その人が向上したいという意識を持っていたからでしょう。プライド、あるいは向上心。それが「何してたんだろう」という言葉になります。後悔をすることは、向上心があるからです。そうでないと現実を肯定します。自己を否定することは、向上の表れです。でも、その自己を肯定するも否定するも、自分だけのことであって、他人はそのことを理解できません。ある意味で、その先生は孤独から解放されたい意識で「何してたんだろう」と言ったのかも知れません。言うことで共通の話題が出ますから。そして、今まで気づかなかったことを気づくことができます。
 そういう構造の長でも、他人を意識してしまうときがあって、それは共生ということになるかもしれませんが、自分の弱さかもしれません。他人と自分と比較すること。それは孤独への最初です。一人でいることの孤独は、一人であるからでなくて、周りに人がいないから孤独なのです。いて欲しい人がいないから孤独を感じます。寂しさと孤独は似てます。他に置き換えることができないから、だから、孤独を感じるのです。こうやって分析できるのも、例を提示してくれた人々の気持ちがあるからです。それも甘えかもしれませんし、それは孤独であるからかもしれません。

 今日は休日勤務でした。なかなか仕事がはかどらず、時間ばかりかかってしまいましたね。それで、コピーを整理しているとき、右手の甲を机の引き出しに思い切りぶつけてしまいました。それがちょうど机の角で、スチール机だったもので、余計に痛かったのです。その上、ちょうと神経の所らしく、激痛の後、しびれがでたのですが、その時、右手全体が温かくなったのです。いや、熱くなったというのが正しい。よく地震で倒れて、体に乗ったとき、その部分が一度に熱くなって汗をかくぐらいになるといいいますが、まさしくその通り、体内の分泌が治療するために活発になったと思います。夜になってもしびれは止まらないのですが、なんとかパソコンで打てる程度まで回復しています。一晩寝れば治るでしょう。でも、神経にぶつかるとそれは耐えきれない痛みだということ、以前も同じようなことがあってしばらく忘れていましたので、心にとどめておきたいと思います。

 寒かったせいか、それとも何か食べたのが悪かったのか、一日中体調不良でした。ふらふらしてまして、集中力も欠ける。顔色悪いですよと言われましたが、自覚もない。そういえば、一日中、今でも足が冷えてしかたありません。冷え症だと思うのですが、冷たいものにさわるだけで、手が冷たくなります。定温動物の哀しみですな。もっとも睡眠時間が短いというのもあるのでしょう。でも、あせりますね。時間が少ないことは。もっと時間が欲しいのですが。昔と違い、短い時間で処理できなくなっていて、それもどかしいのです。そういう細かいストレスを抱えて、新しい展開に向かいたいと思ってます。

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