2003.01.04 仕事初め | |
今日から仕事です。明日も出勤で、実質休みはこれまでです。仕事初めになのに、それほど疲れがないのは、仕事をしていても、手際が極めて悪い。なかなかはかどりません。やっと三つの仕事を終えたまででした。パソコンの調整にも時間はかかり、時間割もかなり手間取りました。年と共に時間はかかります。残された時間が少ないからこそ、あせりが生じます。そのあせりは、予定を考えているからです。 予定とは期待と同じです。期待するから、その期待に応えられず、ショックを受けます。期待することがなければ、自然体ならいいのですが、人間ですから、期待してしまうのです。それが自分にかえってきてしまう。仕事初めに、その期待をしないで自然体でいくこと、それはマイナス評価でなくて、プラス評価をすることでしょう。自分の欠点を直すよりも、自分のいい所を伸ばす、それが一番いいのですが、いいところがわからないともどかしくなります。いいところは他人が評価して初めてわかりますから、他人との関係で気づきます。しかし、その他人も信頼できる人でないと評価を受け入れられません。感情で聞くからです。 多くの場合、感情で聞きます。授業もそう。感情です。いい講義、よくない講義は半分ぐらいは感情的でしょう。理性的ではないと思われます。そして依存的です。自分で学ぶことがあれば、どのような講義でも、積極的に自分に活かすことができる。しかし、自分で学ぶことができなければ、講義を聞いてもその講義がつまらないといって拒否します。拒否とは自分の枠組みで考える行為です。現代的とも言えましょう。肯定的に捉えられない人ほど、否定的に他人の行為を疑心暗鬼に思います。受け入れることは理性的であって感情ではありません。好き嫌いという感情は理性とは別次元にあります。感情で判断する人は当然生きているからです。その理性と感情とをバランスを取ることです。信じること、それは自分を信じることです。信念とも言っていいでしょう。 伝統的なものがいいとは限りません。江戸時代の生活に戻ることがいいとは思えません。江戸時代の食はおいしいものもあるでしょうが、今の生活や味覚には沿わない場合もあります。旅館もそうです。江戸時代のままでは今の暮らしからみたら不自由ばかりです。だから、今の様式に合わせます。食も今の方がおいしいものが多いでしょう。伝統な格式は郷愁的ですが、必ずしもいいとは限らないのです。しかし、その伝統の中に息づく何かがあるのです。それは感情の部分です。 心機一転とがんばる気持ちがあっても、仕事のはかどりが自分の能力をみせつけます。昔なら忍の一字でしょう。その忍の一時とは一念あってのこと。その念とは今は何があるかわからない。その不安定な気持ちと心の丈夫さと、いろいろなことが重なると、人は自分を失う。では、どうすればいいか。それは待つことです。時節を待つことです。そして何かをすることです。何かをしていないと悪いことばかり考えてしまいます。時節をどこまで待てばいいのか。それはわかりません。ただ言えることは、そう長いことではないのです。寝れば朝が来る。その繰り返しで一年を過ごします。 |
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