2003.01.31 美学
 

定年で退職する教授は大概、最終講義をします。最終講義は今までのお弟子さんが集まって先生の新しい学説や今までの学説での補説を聴くのがよくあることでしょう。最後の授業だから最終講義が存在します。しかし、最終講義をしない人もいます。そういう習慣でない場合。あるいは、それとは別に意味あってしない場合です。
 早稲田大学の教育学部では、昔気質の先生が以前は多くいました。川副国基先生、今井卓爾先生、佐々木八郎先生、その他多くの先生方です。教育学部の先生方は高等師範の流れを汲むのでしょうか。研究者と教育者と併存している形であり、しつけにはもちろん厳しく、教えることを大切にしていました。それぞれの先生方は最終講義なるものを好まず、普通に去ることで、次の世代への期待を示したのです。退任論集も基本的には断りましたが、断り切れないこともありましたので、引き受けざるを得なかったのも弟子思いの現れているのです。もちろん、ひいき目に見ての判断でしょうが。しかし、ものの終わりを一つの流れの中に置くとき、最終講義なるものよりも、講義とは大学だけでするものでなはいので、個人の中にいつもでも講義する姿勢を保つのであれば、最終講義は必要ないのです。永遠なる研究と教育の姿勢、それを学には最終講義を受けるよりも、その先生の教えをかみしめていい講義をしていこうとする姿勢を保つことです。そして、いい人材を育成していくことが、基本的な行為ではないでしょうか。
 そういう意味での姿勢、あるいは伝統というものが、だんだんすたれてきてしまっているようです。早稲田の教育学部では、理論よりも原典をよりよく読んでいく作品中心の解釈が基本でした。そして、古事記、万葉集から近代文学、漢文学、劇文学、国語学まで幅広く網羅して原典を読み解くという姿勢がありました。それは時を経てとても貴重な体験であらゆるジャンルについて、時代についての認識を深めることができ、また文章を読むという基本の作業を十分に行った結果、知識と見識が身に付いたのです。
 しかし、現在の各大学ではそのような地道な作業は敬遠されます。学生から見れば読む行為よりも理論で新しいものを取得することがいいように考えるらです。早稲田といえども例外ではありません。これは早稲田批判ではなく、学問として捉えることの重要な視点を、学問研究から考えるべきであり、受け手から考えるべきでないという教育学的な見地から述べたまでです。受け手から発言するなら、もっと別な視点で述べますから。基本的な活動を重視する伝統的な作業には、大切なものが含まれているのではないでしょうか。それは、即効性のないそして時間を経てその意味がわかるものです。即効性を求めるこの時代に、逆行するかもしれませんが、大切な視点を私たちは失ってはいけないのです。

 今日、夜の道で中野幸一先生にばったり出会いました。通り過ぎてから、先生は懐かしげに会釈してくれました。そして、「最終講義をしないのですね」と問うと、「そうなんだよ。すまないけど」とあの笑顔でした。そこで「いや、私はうれしいのですよ。高等師範からの教育学部の伝統を先生が守って下さったから」。言い過ぎのように聞こえますが、通りすがりにお世辞は言えません。寒くて口もまともに動けないのにこう出た言葉は、真実です。「周りからは偏屈とか言われてね」と笑顔です。私は繰り返し、川副先生、今井先生の伝統がここにあることを述べました。「いや、うれしいよ」と一言。そして、「派手なことはしたくないからね」。一層の笑顔です。そして、別れ際「男の美学だよ」と、このさむ空の下、穴八幡を前にして、坂を下る先生と、坂を上る私と、そのほんのわずかな1分ほどの時間ですが、私は、これまで長い間先生から受けたいろいろな言葉を思い出しました。
 ある講義で、「今の学生はいやになっちゃうよ。まだ1980年代の論文を出して発表するのだから。今の研究をしっかり見ていかないと、新しい研究はできないよ」古い先生と思われますが、実は、進取の精神だったのです。高等学院で、緋の長襦袢を濡らして講義した「たけくらべ」の伝説の授業など、伝え聞いていることはたくさんあります。
 そして何よりも学部学生の時、一緒に古本屋に行ったことを思い出します。玉英堂の二階でふと目にした本の「九曜文庫」の文字。「これどなたのでしょう」と聞いたら、「さあ、だれだろね」とあの笑顔。しばらくして当時立教大学の井上宗雄先生に尋ねたら、「はは、それは中野先生の蔵書印だよ」と。してやられました。ああいうところがダンディズムです。私は一度も中野先生のお宅に伺うことはできませんでしたから、もっとはやくに話していけばよかったのにと思います。それが残念。いろいろ生き方も含めて教えてくれた先生でした。研究の厳しさも。誰もが最終講義を待ち望んでいたのでしょうけど、それはかなわぬことです。でも、それが中野先生の生き方だと私は胸を張って言えます。
 高校時代はクラブ三昧で、大学は成績が悪く、態度も悪い学生でした。でも、高校では鈴木精之助先生、兼築先生、川平均先生、岡田袈裟男先生、寺村先生、堀誠先生、いや、いい先生方でした。そして、大学では、入れ違いに川副先生の講演を聴けたこと、紅野敏郎先生、興津要先生、桜井光昭先生、岩淵匡先生、駒田信二先生、津本信博先生、堀切実先生、柳瀬先生、杉野先生、いや、多くの先生方、いい先生に恵まれたかもしれません。中学高校時代よりも大学時代は楽しかった。学問がありました。確かに。そういう出会いができるか、今はもう私も年となり、今までの先生方の恩返しを若い人にできるか、それがこれからの人生の証拠となりそうです。

 精神的な不安定になると、大学の図書館に行くと安定する理由は、そういう大学時代が私にあったからでしょう。当時は人間関係で辛い思いをしました。今でもそうですが、人間関係で自分の思うとおりにならないと、かなりショックを受けます。平成14年の1月より続いたこの精神的な不調も、やっと終わりを告げようとしています。ずっと辛い時期でしたが、もう吹っきる時です。精神的な弱さをそのまま認めていたのでは、進歩しません。好悪、善悪を超えて自分に自信を持って突き進む、その時が来ました。だれのためでない、自分だけの人生。だからこそ、大切な時。そのために生きている。今を、そして今の自分のことばで表現し続けていく。それが私であって、それを曲げる必要はないのです。
 厄年であるのは違いないのですが、そのせいにばかりはできません。もちろん、これからも落ち込むことがあるでしょう。大学時代は落ち込むこと2年間かかりましたが、それでも人間不信は解消できました。時間が全てを解決したからです。新しい気持ちで、もちろん、また繰り返すこともあるでしょうが、それでも今までとは違った落ち込みになります。それは違う自分であり、再生ではない、創造です。もちろん、これらはすべてことばの綾であって、真実ではないかもしれません。
 人生の終わり、引き際を考えていましたが、今まではいかに死ぬかばかりでした。しかし、今日、あの中野先生の笑顔を見て、先週の田近先生の最終講義を聴いて、そして、岩淵先生の励ましにあって、デッドラインをもうけていた自分に、もう一度、その最終の日に、その日は変わらないとしても、その日まで暗いまま進むのではなく、何か違う自分を作り上げてそして、デッドラインに向かいたい。引き際は自分で考える。だが、それまでにやることがあるのです。その事を目指して行きます。
 福沢小学校の調査も始めます。春学会の準備もします。紀要の最後のつめも急いでします。そして何より自分の論を完成させます。その意気込みです。

 もう一月も終わりです。何もできなかったこの一ヶ月。でも、これからの一ヶ月はものすごい勢いでどんどんやりたいことをしていきます。落ち込みの時に買った本やCDの支払いがたまっていて、先月の16万を超えて、今月は18万になりました。いや、買いすぎです。でも、知識を取り入れない日は私にとって無意味なので、これからもどんどん情報収集、そして思考して、表現していこうと思います。ネット社会は私にとって好都合の媒体であり、いい時代となりました。でも、これからもっと、ハイパーテキストの考えを深めていきたいと思います。

 明日から、いや書いている時点はすでに2/1ですが、意気込みを新たにがんばります。気にしすぎないで、自分を素直に出すこと、それが第一の目標です。


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