2003.02.02 AA | |
AAというとAscii Artの意味か、あるいは企業の格付けと思われそうです。今日、Ansel Adams Galleryより、注文していた写真が届きました。高校時代より欲しかったAnsel
Adamsの写真。高校時代では、オリジナルのAnsel Adamsが現像したもので、20万円ぐらいしました。今では、100万から1500万円。いや高額です。本人が現像(焼いた)ものでないと、3万以内で買えます。それを今まで知らなくて、最近日本へ向けて販売しているのを知りました。いわゆる個人輸入扱い。送料は8000円かかりますが、なぜか着払い。理由は関税でした。 Ansel Adamsの最初の出会いは、小学生でした。タイムライフブックスの写真講座に出ていた、あの岩の写真です。その本の中にMoon rise , Helnandesがありました。わずかほんの一瞬の月の出、そして遠くに閑散とした墓場。たなびく雲と月と、土地と。石川さんの『月光浴』が有名ですが、すでにAAは以前より月の光で表現していたのです。あの風景はいつ見ても同じであると思い違いをしていた私に、風景とは一瞬の切り取りであると教えてくれたのがあの写真です。写真とは静止物でも一瞬の切り取りであるから、物体と撮影者の意識と、時間とを記録すべきであると考えるようになりました。いわば主観的な表現です。写真とは主観でしかあり得ません。ただ、写真を見るとき、その被写体について語ることが多く、むしろ、写真家の視点が語られないのが残念です。それで今読んでいるのが、『写真集を読む』(リテレール編集部 メタローグ)ですが、そこに飯沢耕太郎さんの「荒木経惟私家版『センチメンタルな旅』を読む」が収められています。飯沢さんは荒木の視点を読もうとしてる点で写真論になっています。以前、金丸重嶺さんの本にも同じような視点が書かれていました。表現する者と評論するものとの差がここにあります。 昨日、NHKでテレビ50年の番組をやっていて、『タイムトラベラー』の最終回のさわりを放映していました。あの、NHKにも残っていないテープを視聴者が録画していた貴重なものです。そういうことを見ていると、昔から今の自分について検証しているようであって、いわば、自分の存在理由を調べるために、昔気になったものを調べているような気がします。Ansel Adamsもその一つかもしれません。A friends of photography のワークショップに行きたかったのは事実でしたか。しかし、英語ができないので、言っても意味はなかったでしょう。知りたかったのはゾーンシステムの内容でなく、適用と、その概念によってじこの表現の何が可能となるのかでした。 実は、奈良原一高の写真集も買ったのですが、それはまた後日に。 今日は朝から夜までの仕事の第二日目。明日は通常で、あさってまた緊張する一日です。あとひとがんばりです。忙しい毎日ですが、乗り越えないといけません。そんな時だからこそ、Ansel Adamsの写真は自分にとってありがたいものでした。 |
Copyright 黒川孝広 © 2003,Kurokawa Takahiro All rights reserved. |