鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.02.28 理解

 何をやっているのか。そして、何を目指しているのか。どうにもならないように気がしていました。ただ焦燥感なのでしょう。でも、それがイライラでなく、絶望のように感じられてしまう。存在価値というのは、他人から見てでなく、自分が意識するもの、それがないように感じられると、救えないのです。悲しみがそこにあります。
 悲しみは自分でどうしようもないものです。風呂に入っても、食事をしても、歩いていても、結局どうしようもない悲しみが迫ってきて、ただ見るもの感じるものを何の意味もないように感じていく。そんな感覚が襲うのです。自分がしていることが不十分なのは知っていてもそれを打開できない。
 それを情けない、自分の弱さだと言われても、その弱さは、環境とは別物。もっと、がんばっている人がいると言っても、その悲しみはだれにもわからないことでしょう。理解されないということは、傲慢であって、理解されようと努力していないのが事実。でも、それが本当ではなくて、自分の打開できない現状が本当。

 田近先生の研究室の引っ越しが3/17になりました。いよいよです。浜本先生の荷物も3/23に届きます。まもなくです。

 つもることも有りますが、今日はこれまで。人は理解されることは内が、理解されているという実感は感じられるという話。


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