鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.03.06 過去からの解放

 勉強するのは、自分のためなのですが、勉強するのは、知識を得るため、頭をよくするため、それだけではないのです。今までの自分とは違った自分を作ることでする。今までの自分の呪縛のままでは、先にゆけない場合、あるいは、辛いことがある場合、考えが固まってしまう場合、そういう時は、自分という呪縛を解き放つ必要があります。一番いいのは誰かそれをアドバイスしてもらうことです。信じる人からのアドバイスがあれば、それで先に進めます。しかし、自分しかいない場合は、自分の力で克服するしかありません。その時に、呪縛からの解放が求められます。
 すべては自分の意識です。好悪などは特に。集中できない、あるいはイライラするということも、すべて自分の意識がなせる技です。だからこそ、自分の意識を変えていくことで自分を伸ばしていきます。
 ドラマで「アンティーク」があります。それぞれの人物が過去を背負っていて、その一つ一つの呪縛、それは意識の負い目を解き放つ物語です。そして、それぞれの人がお互いに深い干渉をしないで、そして自然に、そして大人に、そして優しさをもって接していく。それは、自分の過去があるからこそ、優しさがある。その過去の負い目を解き放つ物語です。
 映画では、「LOVE LETTER」が、そして、映画では「まあだだよ」がそれぞれ、優しさと過去と、そして今との物語である面、とても好きな作品です。映画「ピンポン」も過去からの清算が物語りです。過去と優しさ、そして、人との関わり。饒舌ではない所、いいのでしょう。

 優しさとは何か、永遠の課題です。何かしてもらわなくても、ただ、その人の振る舞いで優しさを感じる時もあります。ドラマや映画でも優しさを感じることができます。言葉での優しさもありますが、なにかしてくれるという行動の優しさ、それと、何もしないけど、自分の行動を見せていくこと、そういう間接的な優しさ、それは全て自分の意識によって、優しさを感じているのです。そういうのは感性であって、その感性は、今までの自分とは違う意識を作ること、つまり、自分の呪縛を解放すること、言い換えれば、過去からの解放が自分を成長させていくのです。

 価値観というのは、過去からの引きずりです。自分がどのように考えているか、それは価値によります。価値は人によって異なる。だから、面倒ではあります。人の感情に左右するからです。人は他人でもあり、自分でもあります。価値が価値を生んでいくからこそ、コードという大系は、価値の上に乗っていることを考えないと、いつまで、コードという大系の中に存在してしまいます。だからこそ、価値体系というのは、コードとして見るのではなくて、全体としてコードはあくまでも技術の側面であり、読み取るべき方法論だということ、そして解釈は全感覚で行うこと、そこに価値があると考えたいのです。

 書類が溜まってきました。まだまだ時間が足りませんが、それでも余裕をなくしてはいけないと、言い聞かせているのですが、そういうときは、きっとあせっているのでしょう。


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