鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.03.11 表現者

 新聞を見たら、東松照明の写真についての文章が掲載されていました。沖縄で過ごした日々の写真集がたのが「太陽の鉛筆」で、当時は写真が芸術であるという認識があまりないところでの撮影ですから、むしろ意識されない世界での制作だったと言えます。それでも、写真を芸術表現として選び、表現し続けてきました。そうです。表現し続けることに意味があります。表現者であることは、表現することに価値を求めます。表現していくことで、自分を探すのです。しかし、表現しても自分はなかなか探せない。探せたと思っても、ほんのわずかなことで、違うことを思い知らされます。それゆえ、表現していくことは、次の表現をしないと満足できなくなります。その繰り返しです。表現者であること、いままでずっと表現してきたこと、それが東松照明の生き様です。「東松照明は今」という写真展が全国各地で行われました。多くのボランティアによって運営され、全国の東松ファンは支援していました。私がそれを見たのは横浜の美術館でした。いや、市民会館だったか、忘れましたが、その地で見たのを覚えています。入り口で名前を書いたら、私の名前を知っていて、驚いたことがあります。その時はすでに写真をやめていたので、そのことは知らないままだったのでしょう。知らない場所で、私を知っている人がいると、驚きです。それゆえ世界は狭いということですが、その狭さゆえ、いろいろなところでいろいろな人が活躍していることがわかります。
 写真から遠ざかって、東松照明の動向はまったく知らないこの時に、新聞の記事で、健在であることを知る。それは不思議なことです。それゆえ、表現すること、表現し続けることの価値はあると思いました。

 新しい湯飲みを使いました。それで、新しく急須を買って。ただ、その急須には、口の所に保護用のゴムがないので、割れるか心配です。それまではマグカップにお茶用の袋に入れた茶葉をゆらして飲んでいましたから、時には濃く、すぐに出なくなります。今回は、一杯ごとに絞るので、何杯かは味わえます。それに、お茶の味がなかなかいい。入れ方でお茶はずいぶんとかわるものだと知りました。明日はそば茶を飲もうと思います。ただ、ダッタンそば茶なのですが、中国産なので、農薬のことが心配です。もちろん、そんなことは実際に見に行かないとわからないものです。国産であっても。

 プリンタの調子が悪いので、ストレスです。それに今日はデジカメを使うはずだったのに、忘れてしまい、残念。きれいな画像にはなりませんでした。明るいレンズでないときれいにとれませんね。やっぱり。

 ソフトを駆使しないといけないのに、まだソフトの使い方がわからないので、苦心しています。いい、ロゴを作りたい。そして、いいフォントを使いたい。MacOS10だと、ヒラギノが入っているのですよね。私は、ヒラギノのProを自分で買いましたが、やっぱりすでに入っているといいでしょう。特に、ウェイトの4はきれいです。最近もB4の横置き、縦書き、二段組みに9ポイントで使用しましたが、なかなかいい感触です。ああいう表現媒体は、文字と言葉との融合を考える私にはとても好感触です。

 今日は、サンドイッチを作って食べましたが、いつもは、ツナサラダソースのみなのに、今日はレタスを入れて、その上、キウイを入れたら、これが失敗。パンが解けるのです。キウイの酸味なのでしょう。てがべとべとで、食べにくかったですね。

 さて、追い込みです。毎日の仕事に追われて、自分のことができない。今年は忙しい年度末です。


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