鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.04.11 自分の枠

 運転をしていると、道をゆずらない人が多くいます。統計的に女性が多く、その理由は定かではありません。道を譲らないのは忙しいのもありますし、譲る方法が考えられない、相手が譲るものと考えているなど、いくつかの理由があげられますが、その確かな理由はわかりません。個別でしょう。ただ、それに対して怒るとか訝しがることはよくあっても、それに対処することはできません。全ての人間が同じように譲るとなると、逆に自分の意識が全てに通じるというとになります。ある意味では、自由であり、そして優しさがある人の方が、わがままな人に振り回されて、迷惑をする。その図式はいつもです。優しい人が被害を受けて、傲慢な人がのさばる。その繰り返しです。そうやって歴史は繰り返される。優しい人はいつでも損をしていると思ってしまうと、それは、他人との比較で生きてしまうことになります。だから、自分の生き方を変える必要はありません。変えないで、自分のままに生きることです。それが個性であり、そうでないと、個性は他人との社会的な関係でまがってしまうからです。これからの時代であるからこそ、他人との関係で生きる時代ですから、自分との距離をも考えるのですが、しかし、自分というものも大切にしていくこともあるでしょう。
 車の運転で、道を譲らない人がいた場合は、そういう人もいるんだという程度ですませないと、怒りは他人によるものであって、他人によって影響されてしまうのでは、結局の所、負けなのです。そうでなくて、自分を中心していかないと、まがってしまう。もちろん反省は必要ですが、多くの場合は、反省とは自己内反省であって、客観的な反省とはいえない、いわば自分の都合によいように解釈する反省なのです。

 自分の枠をどのように広げていくか、それは自分という視点を自分で広げる好意であって、他人との関係ではないのです。


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