睡魔におそわれる時間は大体かわりなく、毎日あります。夕方5時から7時頃が一番の睡魔がおそいますね。座椅子に座っていても寝てしまいます。ほんの10分程度なのですが、その時間はかなり充実した睡眠ですね。子供の頃に休日は昼寝をしていました。平日でも食後は30分ぐらい寝ていました。テレビを見ながら寝て、そして夜はまた寝ます。それで一日が終わり。今に比べたらよく寝ていました。中学・高校時代までは休日は寝る日でしたね。10時頃に起き出して、午後も2時間ほど睡眠。そして夜も寝てました。
今のように寝なくなったのは、大学に入ってからですね。もっとも小学生の頃の土曜日は深夜放送をきていましたね。オールナイトニッポンでしたが。中学になってから、パックインミュージックを中心に聞いてました。セイヤングは不得意でしたね。歌うヘッドライトまでは必ずです。そう考えるとその頃すでに寝ていたのは3時だったのですね。いや、不健康きわまりない。
20代ではラジオ深夜便でした。そのころ鈴木健一が吉川英治の「宮本武蔵」の朗読をしていました。ほとんど聞きましたね。それで、内容を理解しました。かなり人情話だったと。歌番組は聞かず、NHKラジオの演芸番組はよく聞いていました。ラジオというは、声で勝負しますが、とぎれることない知識や内容は私にとって有効でしたね。テレビは知識や内容がとぎれます。それゆえ飽きます。ラジオを聞きながら食事を作ったり、食べながら聞いたりしていました。
この話もなんどとなく、書いてますね。でも、飽きずに書きます。
ある日、夕食を作りながらラジオをつけてしまたら、野球中継をしていました。野球を特に聞くわけでもないのですが、NHKが興味のない演歌番組だったので、民放を聞いてました。ラジオは確か、ヤクルトの試合ですから、TBSラジオだったのでしょう。聞いているときに、突然、観客の歓声で満ちて、ラジオの実況が途絶えたのです。何が起きたか聞いたら、荒木大輔が久しぶりに登板したのです。わずか1イニングを。アナウンサーも解説者も興奮していました。けがで2年間も遠ざかっていたのに、1イニングを登板したということです。無事抑えましたが、その復活でヤクルトは勝利しました。古田の話では、受けるときに、目が潤んだとのことです。復活というテーマはここにありました。復活すること、それを待つこと、そしてそれはラジオという音声だけの場面でも、しっかり場内の雰囲気は伝わりました。翌日、熱烈なるヤクルトファンが、荒木の復活について報告してきました。それほどにうれしかったのでしょう。その報告の声は、しっかり前日の観客の興奮と同じでした。待っていた人がいたから、観客の歓声は上がったのです。観客はしっかり荒木を待っていました。そしてその期待に応えた。その関係は、相対的なものですが、しかし、願いをかなうという次元と同じです。
音声を聞くということは、単に音や声を受け取るのではなく、その心を受け取ることになるというのをその時に感じたのでした。それ以来、ことばをことばとしてとらえるのではなく、音声や文字との関わり合いから気持ちを伝える、あるいは伝えること自体がことばである、そしてことばが伝えるという行為になってこそことばとして存在するという考えに至ったのです。結果としてそれが言語過程説と同じということは、かなり後になって知ったことです。
現代文化研究を本格的に始めてました。いままでは有識者としてのメンバーも、これからはワークグループとして位置づけることします。いずれまとめていく予定です。ただ、それまでには長い年月がかかるでしょうけど。刊行できるかは未定です。
今朝は、鶯の鳴き声が響いていました。カラスがいない時は、よく聞こえますね。カラスとツバメ、鶯とは相反するところがあるようです。
S.O.S.のアルバムを聴きました。最近のシングルスをあつめたものです。年代ごとにまとめたらよかったのにとも思いました。
先ほどの眠気さましですが、ココアを飲むことがありますね。ココアの一匙です。文学に関係づけることはよくします。そういう雰囲気が好きなのですね。ことばでのやりとりもできるといいですね。名せりふやしぐさとかで。
体調はあいかわらず、悪くはないのですが、よくないですね。どうもふらふらします。精神的にはまだ閉塞していますね。打開したい、もっと機敏に、もっと頭を使いたいという意識があります。もっと、自分を追い込んでいきたいという気持ちもあり、それができていないことへの悔やみなどもありますね。一日が48時間ならよかったのにと思います。いろいろなことを後一週間で片付けます。やるときは今ですね。
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