2003.07.20 夏休み | |
友人の結婚式でした。式が人前婚式で、人が承認となり拍手をするもの。でも、司会はいるので、結局式進行の通りにします。指輪の交換など、通常の結婚式とそう変わるものではありませんでした。そうなると、宗教性としての結婚式は神前や仏前などの区別はあっても、大きく言えば、宣誓と指輪の交換、それが基本ですから、この範囲では変わらないことになります。その意味では、当人たちが選ぶことの出来る、もちろん全ての方法ではなくて、一部ですが、その選ぶことのできる、人前婚はいい方法ではないかと思いました。披露宴では、必要の範囲のスピーチと、必要の範囲を超えたスピーチがありました。シリアスになるところはいいのですが、はずすところが、どうもぎこちなく、そこそこの範囲でなくはずす、つまり行き過ぎになるので、その歯止めがないところがいけませんね。ことばでだれもが言うしゃれのれべるならいいのですが、どうして当事者の欠点を言うのか、それは余興としての関門なのでしょうけどね。別に不愉快ではないので、文句ではないのですが、もっと、幅広く楽しめるものはないかと思ったりもします。 スピーチといえば、昨日の田近先生の記念パーティーですが、スピーチをする人がそれぞれを語るので、結局小一時間ほどかかりました。その時にふと思ったのですが、スピーチを待っている人は、自分は何を話そうか考えていて、そして、前の人のスピーチとは違った内容にしたいと思うようになります。そうなると、前の人の話の影響を受けているわけで、つまり、順番のスピーチとは前の人の話を聞いて、それに影響されて話のテーマを決めるという、「場」の意識が高いと言えます。最後の人は、きっとまとめようとしますね。昨日は牛山先生を指名してまとめていくことを期待するスピーチを私はしましたから。 帰りに人盛りができていたのに、ふと見ると浴衣の人々の群れが。そう、調布の花火だったのですね。遠くからほんの少し見たのですが、近くで見ないと面白くないようです。ふと、飛田給の駅の横を通ったら、味の素スタジアムへの歩道橋に人がたくさん座っていました。そこから見るのでしょうね。 昨日、ゴミ処理をしていて、ふと気になったのが、お菓子などの箱をつぶさずにゴミ箱に入れる人がいることです。一つ一つ丁寧に処理すると時間がかかりますし、箱をつぶすのに力がいります。それはわかるのですが、大きな紙箱、それもそれほど丈夫でないので、ちょっと箱の隅をつぶすだけでいいのに、それをしない人がいます。それだと、ゴミ袋の処理もこまりますし、箱の角でゴミ袋がやぶけることもあります。それゆえ次の人、あるいはゴミ袋の処理をする人から見れば、余計な手間をかけてしまいます。 さて、いろいろと自分のことも考えなければという時期になってきました。そろそろですね。がんばるかやめるか。残りの人生もどうするか、そろそろ考えないと。作るか、終わるか。昨年の鬱とは違った考えですが、前向きと後ろ向きと同居しているので、いかんせん、進みません。今も自分を変えるべき新しい調査をしてはいますが、ここのところ、停滞しているので、ちょっと違う考えを出さないと。でも、その調査、楽しくなっているのですけどね。 能力がありながら、その能力が何かわからないという人は多いと思います。表現する人は、自分が好きな人が多いのですよね。でも、何か達成感がないから、自信がなくなって、自分を好きになれない気がするのです。自分の欠点ばかり気になるのですよね。自分のよさを認めてくれる人がいれば、その人のために信じていける。そしてその自分のよさに気づいて、そしてがんばることができる。そのためにも、表現するひと表現し続けていく必要があります。100回に1回しか反応がなくても、アドバイスがなくても、1回の表現がとてもよかったら、それは存在価値があることになります。そのためにも、表現し続けていくこと、そして自分にとってのいい表現を探し続けていくことですね。 4:30就寝、9:00起床、4:30睡眠。 明日から、旅に出ます。といっても、ちょっと骨休め。それで木曜日まで日乗もお休みします。ネットができませんので。金曜日の再開はもしかしたら休んで、土曜日から再開するかもしれません。その間の分は後から補完しませんので、しばしのインターミッション。 |
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