2004.01.12  目的   
 

 インフルエンザが流行してきました。予防接種は受けていませんが、インフルエンザにかかった記憶がありません。こうこうことを断言できるかが、問題で、かかった記憶がないわけですから、かかったことがないというのと異なります。かかった記憶がなくて、実はインフルエンザだったということもあり得ますね。
  中学の時に友だちが風疹にかかりましたが、3日で完治。友だちは体力があったので治るのも早かったというのが、当時の話。でも、もしかしたら、すでにかかっていて本人はかかったことを気づかずにいたのかもしれません。それならば、日数は違ってきますね。
  かかったかどうかは、自覚と診断の問題ですから、確定できません。でも、かかった記憶がないわけで、それはその人にとって、かかったことがないという事実と同じ意味を持つことになります。
  すると、事実とは、実際の出来事ではなくて、その人が記憶している、そうだと思ったことが事実となりますので、だれがみても言えることはなくなってしまいます。でも、言えることもあるわけで、たとえば、今日は曇りのち晴れですから、でも、ある人から見れば、曇りですし、ある人から見れば晴れですね。それは、時間帯によるからで、その時間によっては、晴れでもあり、曇りでもあります。つまり、一日のうちのどこの時間の天気を記憶しているかで異なります。ただ、ずっと晴れていれば、晴れと認識できますね。これはだれでもが認知することで、しかし、それはだれでもが記憶していると言いなおませす。
  事実とう相対的な問題があるからそ、客観的という理想の言葉が生まれます。事実が相対的なら、絶対的なものを求めます。どれが正しいか、どれが真実かを求めたくなります。自分という存在や考え方が正しいかどうか、それがゆらぐときに、正しさを求めていきます。そして、求めていくのが真実であり、その真実に近づくことで、喜びがあるのです。
  ただ、その真実も実は自分の記憶、言い換えれば認識の範囲であって、客観的な事実ではないこともあります。すべてはその人の主観であり、その主観の表現から認識が生まれているのですから、それを越えることは出来ません。
  もし、客観的な認識が存在するとならば、その人は、全世界、全宇宙の出来事をすべて網羅して記憶し、分析するだけの時間と思考力が必要となります。それは大変なことです。

 ネットだと実名で書くと、いろいろと問題が生じてしまいます。だから、ハンドルネームなど架空の名前を使いますね。バーチャルであるから、リアルでありながら、実はリアルではない空間が存在していくわけです。その瞬間に自分は事実を伝えていくように感じていながら、実は、匿名という人間を演ずるわけで、自分が誰かわからないような匿名を演じつつ、そして自分を出しつつという葛藤が生じます。葛藤というと大げさですが、意識しないうちに演じている自分がいるので、その自分が意識しないうちに、自分という存在をアピールするのです。つまり、匿名という名を隠すという行為でありながら、個性を出したいという不思議な精神構造がここに露呈していくのです。
  ハンドルを使うというのが、一つの礼儀ということもありましたね。niftyでは、ハンドルが一つの礼儀でしたから、実名はあまり好まれませんでした。でも、実名で通した人がいて、別にそれは違和感でもありませんで、ただ、実名がハンドルネームと同じ役割を持つような感覚で回りは見ていたようです。
  ただ、匿名性が高い分、ネットでは、情報が不確かです。間違ってしまう、あるいは書き間違うものが多くあります。そういうネット情報があって、それを真に受けてしまうと、洗脳される憂き目にあいますね。それゆえ、情報を見抜く力が必要であり、それをメディアリテラシーと呼ぶのです。
  メディアリテラシーというと指す範囲は広くて、機械を使うこと、つまりパソコンを使うことをメディアリテラシーと呼ぶこともありますが、それは、使用方法の問題であり、今はすでに使えるようになる人が多くて、それを一つ一つ教えるということよりも、そういう人たちは、何のために使うか、ということがまだはっきりとわかっていないことがあります。ネットにはつないだものの、何に使うか。新聞の代わりや、辞書の代わりに使うのであれば、別にネットにつなぐ必要はありません。メールもそうで、携帯の方が早くて持ち運びに便利です。むしろ、パソコンよりも、携帯の使い方や電子辞書の使い方を教えた方がいいわけで、パソコンを教えることを中心に考えることは、英語を通して働きたいという人に、英語学に行くということと、同じ事になります。
  あいつに勝ちたい、勝ちたいから自分の体力を伸ばしたい。で、体力向上を目的としてがんばってしまい、体力が向上したらそれで喜んでしまう。
  同じく、ダイエットをしようとがんばって、体重を3キロ痩せたからうれしく思う。でも、ダイエットは目的ではないですね。健康になるため、スリムになるために痩せるのであって、体重を減らしたからといって、健康になったか、あるいはスリムになったかは別問題なのです。この場合も、目的を間違えてしまう場合ですね。
  金がないからもうける、のではなくて、金を使うことで喜びを得る、そのために金が必要、でもうける。ということになるのですが、それが金を儲けることが目的となる場合があります。そうなると、目的が目的としての行為、つまり途中過程であるはずの行為が目的となってしまって、本来の楽しい生活、健康などの意味がはぶかれてしまうことがあります。
  それと同じく、ネットしていると、情報を得るという段階から、娯楽の段階、そしてただネットで見ていくのが習慣ということになることもあります。単純にネットでサイトを見ることも実は有意義なのですが、その目的、意義、あるいは価値を見いだせないと、ただ単なる行為となってしまい、していることにむなしさや、寂しさを無限に感じてしまい、そして、ネットに依存して、何時間もネットをしているのにもかからわず、新しい発見はなく、事実の連鎖のみで終わることがあります。
  結局の所、メディアリテラシーは、こういう情報が溢れる社会において、情報をどのように活用していくか、そして、情報自体が正しいかどうかを判断していく力ですが、その目的としては、情報をうまく近い、有意義な生活を送るということが含まれているはずです。その目的があるからこそ、価値があるわけで、パソコンを使うというのは実は目的ではないのですね。
  それゆえ、ネットに過度な期待をかけても、実は何もなかったりします。しかし、期待するものを限定していくことで、実は有意義になったりもします。この分かれ目は、目的を持つこと。ネットが人生の全てではないこと。むしろ、ネットという認識を変えていくことが成長なのですね。
  アニメの主人公と同じで価値観を変えて成長していくかどうか、つまりネットに対しての認識を変えていくことが出来るか、目的、自分の存在価値を見いだすかどうかにかかっている気がします。

 風邪の具合はよくなりました。明日からは通常生活です。そろそろ気合いを入れないと。

 7:20就寝、11:30起床、4:10睡眠。
  朝食、なし。昼食、チャーハン。夕食、野菜スープ、冷や奴。

     
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