2004.05.07 生産性 | |||
職場で急に辞める人が出て、その後の対応で、いろいろと調整しました。こういうとき、いつも思うのですが、辞めてもすぐに対応可能ということです。つまり、代替可能なんですね。そうなると、その人でなくても、別の人はでもいいということになりますから、ある意味では、生産性の問題となっていくのだと思います。極端な言い方をすれば、だれでもいいということになります。それなりの技能を持てば。そこには、個性ということはあまり関係なのですね。ただ、経済的な利益のためには、別の人物をそこに補填するということです。結局それは、工業的な生産と変わりない図式であり、それを否定していくのですが、しかし、否定し得ない事実もあるようです。 愚痴というは、愚痴ではなくて、意見表明ですし、それはバランスでもありますね。愚痴を聞くことは、それは、愚痴の内容ではなく、愚痴を言えるという関係が大切だと思ってます。それは、共有する時間があるということです。時間を共有できることは、それは、自分の価値を認めてくれることです。単に愚痴というレベルで消去するものではないですね。愚痴は実は、向上心なのです。向上心があるからこそ、愚痴があって、向上心がなければ、現状ですべて満足してしまいます。愚痴があることこそ、実は、力だと思っています。 都留文科大学の牛山恵先生から、「みんなのほんばこ」をいただきました。国語教育ゼミの学生さんが作ったものです。いずれMLで紹介します。 村上呂里先生から連絡。久しぶりです。地域の体制の関係から教育を論じる視点は、さすがです。 現実と突出の問題について。いずれ。 年賀状のお年玉当選番号、見ていませんでした。年々、これを見るのが億劫になります。 職場の机の上に「一六タルト」が。どなたが、松山に行ってきたようです。一六といえば、巌谷と私は思いますが、どうでしょうか。巌谷一六なら日下部明鶴ですね。でも、私はこれに近藤雪竹を加えます。吉田包竹もいいですが、やはり近藤雪竹ですね。そして、端正、昭和の文徴明と言われた松本芳翠でしょう。わずか数日の芸術院会員でしたが。 やはり、家から外に出ると饒舌になります。 3:50就寝、7:10起床、3:20睡眠。 |
|||
Copyright 黒川孝広 © 2004,Kurokawa Takahiro All rights reserved. |