blue 鴛鴦呼蝉庵日乗
2004.06.08  乗り越えるべき現在

 責任を追及するのはいいのですが、追及することのみ考えてしまう傾向が最近多いと思います。だんだん戦時中の雰囲気に似てきています。特に、東京の場合は。この雰囲気があたりまえのように価値観を一つに求めていますし、そのままだと、社会をよくするには、現在の社会を乗り越える視点を身につけるという本来の意味さえ忘れがちになりますね。極めて、危険な状況です。

 楽な道を行くか、挑戦する道を行くか、それは自由ですが、楽ゆえに堕落しやすいということを自覚できるかどうかにかかっています。

 久しぶりの学会の委員会。犬塚先生、和智先生、岩崎先生、大塚先生らと立ち話。色々大変なようです。どこかねじれていく社会について、懇談。危機的状況だという認識で一致。犬塚先生も価値基準が一つであるという現在、たとえば、実績ですね。学校の場合は、東大に何人入るかというのが、週刊誌や他の機関での基準になっています。企業での売り上げや納品先と同じですね。だんだん基準が一定になっていてい、他の価値観を認めないという方向に。

 ここ数日、再び布団で寝ていません。パソコンに向かったまま、いつのまにか寝ていて、朝を迎えています。それゆえ、足が血行不良に成りやすく、エコノミー症候群に似た症状が出始めてます。それと風邪も。

 足がかりとしての読書があります。いつか小説を読もうという、知識や考え方、感性をふくらませることができるために、今は、読んでいて楽しいものだけをそのまま読んで、楽しむということ。それは、小説や物語もそうですが、漫画にもあてはまると思います。
  むしろ、小説よりも、漫画やゲームの方が設定やキャラクター、世界が広いと思います。その広さなどから見れば、小説の方が狭くてつまらない存在となっているのも考えれるのではないかと。
  あながち漫画の価値や小説の価値、ゲームの価値、の意味をも数量でとらえがちですが、意味とは相対的であり、その意味を構成するのは体験であるということ。そして、それらを包含するものとして、世界があります。世界とは、地球儀の範囲ではなくて、自分が創り出す、固有に認識。ゲームや漫画、そういうものから想像していく世界、それは、認識と言ってもいいのでしょうが、世界を創り出すこと、人物や設定に深い広がりを想像すること、あるときにはそれを妄想とおもわれがちですが、それもしっかりとした創造であること、それを認めていくことが個性の発露ではないかと思います。
  このあたりはワークグループにももちかけたいと思います。

 知り合いが犬を飼っているのですが、その犬、服を着させるとなかなか似合うので、とても楽しみなのですが、服が似合うということは、その犬は、飼い主の意向を受け入れている、信頼しているからなんでしょうね。動物でも家族としての意識を持つと、幸せなのでしょう。関係性というのは、そういうちょっとしたことのように見える所にあると思います。

 まただらだらと。

 4:30就寝、6:30起床、2:00睡眠。椅子上での睡眠。
  朝食、ぱん1個。昼食、パン2枚、みそ汁。夕食、外食。。夜食、なし。

 
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