金曜日の出来事ですが、帰宅してから朝まで仕事だったので、日曜日に書いています。以下、相対的な記述は金曜日をベースに。
昨日、パソコンのHDDのウィルスチェツクをしましたが、全部は必要ないので、最低限の範囲にしたら、チェツク完了まで、2時間。全部をしたら、はたして何時間かかることか。HDDの容量が増えると、チェックなどに時間がかかります。
苅谷夏子さんの講演に行ってきました。ちょうど用事があって出かけたとろこで、当日にそういうことがあると聞いて、急遽参加。
大村はま先生のことで、一番の嘆きが、後継者がいないこと。それについては、浜本先生が精神は継承していると指摘。大村はま先生と同じ実践は、いまの時代状況から見ても、無理がある。周りとの関係や管理的な現在では。それゆえ、今日的な観点から、どう継承していくかは、精神を継承していくことにある、という概要。
たしかにそうでしょうね。そのまま継承するのは難しいですから、エッセンスではなくて、精神を継承していくことでしょう。
大村はま先生の特長は、授業のオリジナルや単元ということではないと思います。一人ひとりの生徒がどのように考え、何を与えて活動させれば、ことばについての感覚や活動を豊かにできるかを判断し、的確な指示を与えていくことです。そのために、お話しも生徒の心にはいるような内容と、話し方を工夫し、教材も生徒を伸ばすべくものを選ぶ。そして、観察をする。教師としての力量形成を目指す、などいろいろとあると思います。授業については、あまり多く記録されていません。大村はま先生の授業への取り組みや日頃の考えは本になって残っていますが、それだけではないでしょう。形から入るのではなく、の内発的な精神を汲み取ることが第一だと思います。
そこから、大村はま先生ではなく、教師が自分独自の価値と特性とを生かした授業展開をしていくことで、継承できるのです。
継承とは、そのままを受け継ぐのではなくて、そこから派生するものも含んで受け継いで、変化させ、そして自分独自のものにしていくことです。
講演の後、苅谷夏子さんと浜本純逸先生と町田守弘先生とお話。主に苅谷さんと浜本先生の話に、横から私はが質問する形となりました。町田先生には申し訳ないですが、時間がなかったので、私も参加した次第です。
で、その中で、どうしても分からなかった、戦前と戦後をつなぐ大村はま先生の変化、および、大村はま先生の教師力量の形成過程です。特に、女学校時代から、府立第八高女時代のこと。そこですね。なかなか話をしなかった頃のことです。
事実、府立第八高女の卒業生はあまり大村はま先生の元に訪れていないようです。石川台の方がはるかに多いらしいですね。それはそうでしょう。
その確信については、まだ確証ではなく、大村はま先生にも尋ねていませんので、ここで書くのを控えますが、概略として、戦争の影が、大きく大村はま先生の心痛となったこと、それが教育現場に影響したことだそうです。その反動として、そして生き甲斐として、後の一人ひとりの新聞の授業に発展したと考えてよいと思います。
いずれのこのあたりについては、大村はま先生、苅谷夏子さんと尋ねて、教師の力量形成、子どもの状況把握と授業展開への構造として、確認していきたいと思います。
苅谷さんとの話で、花火について。339隻は規制線内と指摘しました。あとで詳しく連絡するつもりです。
紀要、第2号が完成。本橋さんの編集、ご苦労様でした。
新刊発売のラッシュ日がこの日。新しい本を取るときは、よろこびでもあります。
夜、さすがに疲れて、うつらうつらしていたら、浜本先生からパンの差し入れ。あまりにも疲れているように見えたのでしょう。たしかに、疲れ気味です。
4:30就寝、7:10起床、2:40睡眠。椅子で。
朝食、ごはん、納豆。昼食、おにぎり1個、みそ汁。夕食、パン2個。夜食、なし。 |